1-4.ある夏の1日


───塾の教室内…


「よーし、じゃあ次……成瀬!この問題分かるか?」


 柊と一緒に受講している塾の夏期講習。

 英語の柏木先生に指名され、ノートに記した答えを伝える。


「おー!完璧だ。成瀬はもう合格間違いなしだな!」


 そう言って大袈裟に褒めると、私の頭の上にポンッと手を置く先生。


「よく頑張ってるな」


 優しく微笑むと、次の内容へと移っていった。



 なんとなく視線を感じて……


 離れた斜め後ろ──教室の反対側の壁に保たて、ダルそうに授業を受けてる柊をチラッと見る。


 一瞬目が合って、すぐに逸らされた。


 心無しか……怒っているような?





───休憩時間になる。


「ねぇ、さっきのあれセクハラだよね?」


 前の席から私の方に振り向いて話しかけてきた同じ中学の友人の麻由。


「え……?」

「柏木に頭触られてたじゃん」


 あぁ……。


「あいつ、絶対に亜妃のこと狙ってると思う」

「え?!ちょっと、何言ってるの?」


 そんなわけないでしょ、と受け流す。


 確かに柏木先生はいつも優しくしてくれる。


 ユーモアがあって教え方も上手く、イケメンで生徒達にも人気の先生……としか、思ってなかったんだけどなぁ?


「亜妃、知らないの?」

「……なに?」

「大学生からしたら、中3だって恋愛対象なんだよ?」


 いやいや……そんなはずは……。



「──なぁ、亜妃?」



 聞き慣れたハスキーボイスに振り向くと、私たちの座っている席に柊が近づいてきていた。


 私と柊をチラチラ交互に見ながら、麻由は何やらニヤついている。



「今日さ、帰り図書館寄って帰らねぇ?」

「あ……うん、いいよ」

「おう、じゃまた後で」


 自分の席へと戻って行く柊の後ろ姿を、ぼーっと目で追っていると……



「あれは平岡くん、気付いてるな〜笑」

「え?!何を……?」

「柏木が亜妃のこと狙ってるって」


 え……?あ、そっか……。


 きっと柊のことだから、いつもみたいに心配してくれてるのかな?大人の男の人に騙されたりしないようにって。


「帰り、平岡くんに怒られちゃうかもよ?」

「……どうして?」

「『男に気安く触られてんじゃねーよ』とかさ。笑」


 確かに、言いそうだけど……。

 心配性の柊のそうゆう優しさに、私はときどき胸がツキンと傷んでる。


「柊、心配性だからさ。笑」


 私がわざと笑顔を作って言うと、麻由は眉間に皺を寄せる。


「はぁ…っ、ダメだこりゃ!」


 なぜか大きく溜め息をついて、呆れたように笑って前を向き直った。

 ちょうど次の講師が教室へと入ってくる。

 再び授業が始まった──





───夏期講習を終え、柊と図書館へ向かう。


 塾で自習をする生徒達も沢山いたけれど、なんだかんだお喋りをしている人も多く、静かで落ち着いた図書館の方が集中できた。

 だから私と柊はときどきこうして二人で図書館に行き、勉強した。



「あのさ……亜妃…?」


 図書館まで歩いていると、柊が徐に口を開く。


「なに?」

「お前、授業中もっと後ろの席座れば?」

「え?」

「前の方って先生近く来るから集中できなくね?」


 んー……まぁ、たしかに。


「それに……」

「ん?」


 気まずそうに言い掛けた横顔を覗き込む。


「……やっぱいーや。笑」


 柊は頭を掻いて、ぶっきらぼうに笑った。





───図書館で、二人並んで勉強する。正直ここでの勉強は、最初の数十分はいまいち集中できない。柊が隣にいると思うと、ドキドキしてしまうから。


 1時間程経った頃……


──…コツコツッ…


 私のデスクを小さく叩く音がして隣を見る。

 すると、柊がノートを差し出してきた。


『あと30分経ったら休憩しよ』


 辛うじて読めるような殴り書きに口元が緩む。私が頷くと、ふっと柊も優しく笑ってくれて、また自分の手元に意識を戻していった。




「──おつ」

「おつかれさま」

 二人で缶ジュースを買って、休憩スペースのベンチに座る。


「……俺さっき腹鳴ったの気付いた?」

「ふふっ、うん。聞こえた。笑」


 はず、って言いながら照れ臭そうに笑う姿が可愛くて、ついついキュンとしてしまう。


「つーか俺……脳みそ溶けそーだわ…」

「私もなんか疲れちゃった…笑」


 もう少しやったら帰るか、と言って飲み終わった空き缶をゴミ箱に投げ入れる柊。私が飲み終わるのを待ちながら、隣で脚をブラブラさせてる。



「俺らさ……」


 “俺ら”

 突然聞こえてきたその響き。

 なぜだか嬉しくて……話の続きに耳を澄ませる。


「高校行っても変わらずいよーな?」

「え?」

「まぁ……二人とも受かんのが一番だけどさ。もし高校違くなったとしても、変わらずいよ?」


 私がずっと心の中で願ってきたことを言葉にしてくれた柊に、胸がキュッと熱くなる。


「……うん、変わらずいようね」

 泣きそうなのがバレないように声のトーンを整えて、私もそう応えた───





──結局、休憩して気分転換ができたからかお互いやけに集中してしまって。閉館時間と同時に図書館を出ると…辺りは真っ暗。


「遅くなっちゃったね」

「集中しすぎたな。笑」


 私たちの住む住宅街に到着した頃には、20:00を過ぎてしまっていた。


「じゃ、また明日な」

「うん」


 いつものように柊が頭をポンポンしてくれて幸せを感じながら家へ入ろうとすると……



「あ、柊!遅かったじゃない。亜妃ちゃんごめんね〜。柊に付き合わされちゃった……?」


 ママが柊の家から出てきて心配してくれる。

 するとその時……


「あら、亜妃。良かった……。遅かったから心配で

 お迎えに行こうかなって思ってたのよ……」


 今度はお母さんも私の家から出てきた。さすがに遅すぎちゃったなぁと反省。柊も少し気まずそうにしてる。


 ふと、ママとお母さんが互いに軽く会釈する姿が目に入る。


 うちのお母さんと柊のママは、ほとんど交流を持っていなかった。向かいの家に住んでいて、子供同士が幼少期から仲良しだったにも関わらず。


 世間で言うところの“ママ友”になっていても何もおかしくない環境だったけれど、二人が会話をしている姿はこれまで数回しか見たことがなかった。


 かと言って、悪口を言ってるのを聞いたりしたこともなかったから、『きっとお母さんとママは気が合わないんだな』と私は子供心になんとなくそう理解していた。


 家に入り、夜ご飯を食べてお風呂に入る。

 湯船に浸かって、今日一日を思い出していると……


 “変わらずいよ?”


 柊の言葉が、脳内から耳へと送り込まれ反響する。



「──…よし、頑張らなきゃ」


 私は両頬をペチッと叩き、気合を入れてお風呂を出ると、再び机に向き合った。


 そうして日付が変わるまで勉強に打ち込んだ、ある夏の1日だった──



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