キャッチボール

@puni-hiyo

キャッチボール

 ねえ、キャッチボールしようよ。

 私がそう言うと、妹は明らかに嫌そうな顔をした。勝手にやっていろとばかりの鋭い目つき。

 妹よ、キャッチボールは、一人ではできないのだよ。


 妹が私と話をしてくれなくなって一年くらい経っていた。私が大学に進学して一人暮らしを始めたとたん、高校に入学した妹と会話しなくなった。この春休みに帰省して、私がただいまと言っても、一言も返さなかった。たまに言葉を発しても、せいぜい一文字くらいだ。あ、とか、う、とか。

 反抗期なのかとも思ったがどうやらそうではないらしい。母とはよくしゃべっているし、父との関係も良さそうだ。きゃっきゃっと楽しそうに一緒にテレビを観たりしている。

 どうやら、こんなにも冷たいのは私に対してだけらしかった。昔は仲が良かったのに、どうしてだろうか。

 そもそも私と妹は仲が良かったのが不思議なくらい似ていなかった。食べ物の好みも絵本の好みも。

 幼稚園から高校まで同じ道を歩んできたというのに、なんというか、いつも妹の方が要領が良かった。私が去年まで来ていた高校の制服さえも妹の方が似合っていた。

 最近はいろいろと忙しそうにしているし、もしかしたら、もう私は大人びた妹にとっては話す必要もない相手なのかもしれない。それどころか、邪魔なのかもしれない。大学に進学して、会えなくなったとさみしがっていたのは、私だけだったのかと思うと悲しかった。

 そんなふうに少しあきらめいてた時だった。叔父がふらりと我が家を訪れて、いらなくなったものを持ち込んできた。

「それは僕が使っていた辞書。こっちはデジタルカメラ。少し古い型だけど」

 私は叔父が次々と出すものをいらない、いらない、これもいらない。ほんとうにいらないと確認していた。

 そして、それは出てきた。野球のグローブがふたつ。まだ使えそうだ。

「懐かしいなあ、これでよく兄さんとキャッチボールしたよ」

 兄さんとは私の父のことだ。仲の良い二人が楽しげにボールを投げ合っている光景は簡単に想像できた。私はそれをうらやましく思った。今のところ私と妹は「和気あいあい」からはほど遠い。

 だから、離れた場所で携帯電話をいじっていた妹に向かってこう言ったのは、ほんの冗談のつもりだった。

 …ねえ、キャッチボールしようよ。

 案の定、妹は嫌がったわけだが、なぜか叔父が乗り気だった。

「いいねえ、やってきなよ」

そう勧められると、さすがに妹も面と向かって拒絶しづらかったのか、「いいよ」と気のない返事をした。

 三文字。ここ一年の最長記録。

 こうして私たち姉妹はそろって外に出た。

 近所の公園に行くまでの道のりは気が遠くなるほどに長く感じた。どちらも何もしゃべらなかった。そのきまずさは、友達の友達と二人になった時に匹敵した。いや、仲良くなれる場合もあるから、そっちの方がマシだ。

 春になったとはいえ、びゅうびゅう吹く風はまだ冷たかった。肩をすくめて歩く妹は余計不機嫌そうに見えた。

 公園に着くと、小学生くらいの子どもたちが野球をしていた。私たちはそれを遠くに眺めながら、キャッチボールをすることにした。

 初めに私が、えいっとボールを投げた。するとボールは妹のところにまでは届かなかった。妹の足下にころがった。妹が投げても、そんな感じだった。

 よく考えれば距離を詰めればいいだけなのに、お互いなんとなく近づかなかった。キャッチボールは完全にただの「ボールころがし」という作業と化し、私は沈黙に耐えられなくなってきた。私は少し強めのボールを投げつつ、口を開いた。

「ちっちゃい頃にさあ、お父さんと三人でキャッチボールしたことがあったよね。覚えてる? この公園で」

「ああ、うん」

 ボールはやっとのことで妹の立っている所まで届いたが、妹はグローブをはめた手をだらりと下げていたので、捕れなかった。

「まあ、私もあんたもまだ小さくて、私が捕りそこねたボールを二人で追いかけるだけだったけどね」

「そうだね」

 妹はのらりくらりとボールを取りに行った。そして、ボールを投げ返しながら言った。

「そう。わたし、お姉ちゃんを追いかけるだけだった」

 久しぶりにお姉ちゃんと呼ばれて昔に戻ったようだった。少し話せるようになったこともうれしくて、私はついべらべらとしゃべってしまった。

「この公園の遊具って塗り替えたの?」「学校から帰る時この道通る?」「わあ、見て、あの子犬かわいい」

 妹はまた黙るようになった。私ばかりがホールを投げて妹はそれをキャッチしようとも、私の所に届かせようともしなかった。

ついに私もしびれを切らして、こう聞いた。

「あんた、わたしのこと嫌いなの?」

その時に投げたボールが偶然にも妹のグローブの中にしゅっとおさまった。

 妹は少し驚いた顔をした。

「違うよ」

「何が違うの。あんた、私としゃべる気ないじゃない」

「嫌いだからじゃないよ」

「嫌いじゃなきゃ、なんなのよ」

「ただ悔しかっただけ」

 妹が、さっきよりも真面目な姿勢でボールを投げ始めた。それでもまだボールの飛距離は足りず、私が手を伸ばしても、ぎりぎり届かなかった。

 今度は私が黙って妹の話をきいた。

「わたし、生まれた時からずっと、お姉ちゃんの妹だった。学校も同じだし、お姉ちゃんの後ろを追いかけるだけだった。なんていうのかな、姉の七光り? そんな感じだった。ずっと」

 私は黙ってグローブを握った。

「高校に入学して、ようやく気がついたの。わたし、自分じゃ何もできないんだって。お姉ちゃんのことを追いかけて、追いかけて、追いついても、どうしても追い越すことはできなかった。勉強も趣味も、結局は真似っこで。学校の制服だって、お姉ちゃんの方が似合ってた」

 私はぼんやりと妹を見ていた。

「わたしはそれが悔しくて、なんとかして変わりたいと思った。だから、無駄にいろんなクラブに入ったりした。わたしは自分だけでも道を作れるんだって、自分自身に証明してやりたかった。でも」

 妹は言葉をつまらせた。

「お姉ちゃんがいないと、さみしかった」 

 妹はそう言うと同時にボールを投げた。「それが余計に悔しかった」 

 気持ちの良い音がした。パシッ。妹が投げたボールが初めて、私が伸ばしたグローブの中に入ってきた。

 そうなのか。私はずっと妹はもうとっくに大人になっているのだと思っていたが、この子はまだ子どもだった。確かに高校生って、そんなものだ。勝手に悩んで、つまらないことで意地を張って。

 照れているような、すねているような顔をした妹が愛おしく見えた。

 妹がふっと笑った。その顔が私によく似ていた。

 それから私たちはコツをつかんで、お互いのボールを捕ることができた。

「山田さんちのベスは元気なの?」

「うん、この間、子ども産んでた。ねえ、一人暮らしって楽しい?」

「楽しいよ。料理がめんどうくさいけど。そうだ、あとで一緒に『赤いきつね』食べようよ。お湯わかすからさ」

「昔よく一緒に食べたよね」

 妹の声がはずんだ。

 公園に来る時は強かった風がいつの間にかやんでいて、日差しが暖かかったことに気がついた。


 妹とキャッチボールができるようになった。

 たったそれだけのことが、うれしかった。 



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