第4話
三人は、程なくして細川邸に到着した。九郎も道中馬から降りて手綱を引き、次郎と並んで歩いて来た。敢えて人通りの少ない路を選んだ様子で、館に着くまでひとと行き逢うことはなかった。ふたりの身の安全を思っての、九郎の計らいだろうか。流れ矢の突き立つ築地の塀が焦げついたり破れたりしている。千恵と次郎は否応なく胸の鼓動を高鳴らせた。恐らくは応仁の大乱のせいで、京は長くきな臭い情勢を経てきたはずだ。
「私、京都なんて来たことなかったけど、随分荒れてんのね」
「この時代は、こうなんだ。京の都も不遇の時代だ」
千恵が託つと、次郎も返す。
「でかっ」
細川邸を評しつつ、千恵は眼を見張った。寝殿造というのか、はたまた書院造というのか、いずれ古い絵巻や屏風にでも描かれていそうな、古式ゆかしい屋敷であった。
裏口なのであろう。小さめの門を潜ると、重厚な扉を軋ませながら開く。次郎と千恵は九郎に従い、敷地へ足を踏み入れた。
「お帰りなされませ」
家の者が九郎に恭しく頭を下げる。
「おや、聡明丸さま、こちらの方々は」
馬を引き受けながら千恵と次郎を見咎めて、九郎に声をかける。
「大事な客人じゃ。今宵、お泊まりいただく。馳走を用意せよ」
言われて家臣は、怪訝な顔を作りながらも首肯した。
「遠慮なくお上がりくだされ。次郎殿に千恵殿」
玄関で促されるままに運動靴を脱ぐと、廊下を進む九郎に追従するふたり。数棟の建物が廊で繋がっている。広縁を歩くうちに、見事な庭園が現れた。
「どんだけお金持ちなのょ」
千恵は口吻を尖らせて、次郎に耳打ちした。次郎は次郎で何事か考えているらしく、千恵には反応しない。
九郎はある部屋の障子を勢いよく開けると、入られよ、とふたりを促した。客間なのだろう。新しい藺草の匂い咽ぶがごとき数十畳の空間だ。
「すぐ夕餉を持たせるでな」
上座、なのだろう。九郎はどっかりと胡座をかいた。千恵と次郎も向き合う形で、畳の上に腰を下ろした。
「いや、今日は草臥れた。いつになく腹が空いた」
九郎は腹部を摩る真似をした。千恵は膝に手をつくと身を乗り出し、
「九郎さん、あの場所で何をしていたの」
「あれは、修行からの帰り道でな」
「修行というと、剣術ね」
千恵は刀を振う仕草をした。
「私もちょっとは、心得が」
小学生時代から剣術道場に通う千恵は、ここぞとばかりにアピールする。
「普通はそう思われるだろうが。私の修行は、特別なものでな」
「と、おっしゃると」
「いわゆる外法の術というものだ」
次郎は、はたと腿を叩いた。
「あんた、もしかして細川政元か」
九郎も言われて些か仰反るように、
「ほう、後の世でも私は、少しは名の通る人物とみえる」
烏帽子を傍らに置くと袖を翻し、
「さよう。いかにも細川右京大夫政元である」
「細川政元。愛宕、飯縄の術を使うといわれた天下の奇人」
面と向かって次郎に奇人と言われ、九郎は苦笑した。
「いや、失礼。成る程、京兆家か。それでこんな立派なお屋敷。合点がいった。そうそう、幸田露伴なんかもあんたのその人柄に興味を寄せていたはずだ」
足利十代将軍義材は政元によりその地位を逐われ、将軍職は当時十四歳の義澄に渡される。政元は幕府の主導権を握り、将軍を傀儡とした。明応の政変と呼ばれるクーデターである。
『細川両家記』いわく、「細川右京大夫政元と申すは都の管領持ち給い、天下の覚え隠れなし」「常は魔法を行いて近国他国を動かす」と。いかにも一筋縄ではいかぬ御仁であったことを、次郎は思い出していた。
「魔法使い?」
次郎の説明を受け、千恵はひっくり返ったような声を上げた。九郎は快活に笑った。屈託のない笑顔だ。どこか少年の面影が見え隠れする。
膳が運ばれてきた。数人の給仕らしい女性が、酒や料理を持って部屋に入ってくる。
「さあ、遠慮なく、相伴つかまつれ」
九郎は瓶子をぐいと、次郎に突きつけた。次郎は仕方なく、盃を両手で戴いた。
「俺、あんまり強くねえんだわ」
「わあ、すごいご馳走」
千恵はいただきまあす、と言って、早速迷い箸の様相だ。
「なんだ。思ったより心配してねえな、あと先」
次郎が毒づくと、千恵は照れ笑いしながらちろりと舌を出した。
それからは九郎の質問攻めであった。次郎は濁酒にしとどに酔いつつも、逐一丁寧に、その問いに答えていく。その堂に入った一連の説明に、千恵は少なからず感心した。
「よく知ってるじゃん、次郎にい。大したもんだわ」
「見損なうな。これでも国文学部卒だ」
そんな何だかよくわからないやり取りを挟みながらも、じき宴はたけなわとなる。
「聞くだに面白い。よき宴じゃ」
九郎は破顔して、見よ、と開け放たれた障子の外を指差した。
「月が昇って参ったぞ」
ほぼ満月に近い。
「ときに次郎殿、千恵殿」
九郎も酔っていた。
「おふたりはどういった関係でござる。兄妹にしては余所余所しいようだ」
突然関係を問われて、ふたりは返答に困った。
「お、幼い頃からの馴染みです」
千恵の些細な狼狽を見逃さず、
「さては割りなき仲」
ぶっ、と次郎は酒を噴いた。
「照れることはありますまい。年頃の男女、勘繰りとうもなる」
「九郎はどうなの。好いひとはいないの?」
千恵は、九郎に質問の矛先を向けた。昔の人々はおよそ早婚だったのではなかったか。
九郎はふふ、と吐息を漏らして、
「私はの、わが術と引き換えに、女人を寄せ付けぬことにしておるのだ」
九郎は言いながら、初めて千恵にも酒を勧めた。千恵は戸惑いながらも盃を持った。
「寂しいと思うたこともない。仮令いっとき愛しいと想い合い、添い交わした仲も、歳月経てばその色次第に褪せゆくに任するのみ。それに・・・」
九郎のニヒリズムに、手酌の次郎は盃から口を放す。
「愛憎は表裏一体。親しき男女の、些細な端緒により互いを滅ぼし合わんとするこそ、見るに堪えなけれ」
「極論にも聞こえるが・・・。応仁の戦の顛末をその目で眺めていれば、そう思うのも無理ないか」
そう言って、再び盃に口をつける。千恵もちびりと盃を舐め、九郎に訊す。
「それ程までして修得する術って、一体どんなものなの?」
酒の成せるわざか、ごく砕けた口調になる。
「飯縄明神を仰ぐのが飯縄の法だ。伊藤豊前守は、その力を得て二百年余り生き、その子に至っても法を用いてよく奇験を表した」
「二百年生きた!ウソだぁ」
千恵は請け合わない。次郎は口を挟む。
「飯縄の法は修験道系の呪術だな。武田信玄や上杉謙信も信仰している。兵法と密接に関わっていたらしい」
愛宕の法は、と政元は続ける。
「役行者が開山した、洛北の愛宕山に拠る術だ。ここに住まう大天狗太郎坊の験を修めることで、様々な術を駆使するに至る」
「例えば、どんな?」
「宙に浮揚したり」
千恵はけらけらと笑った。新興宗教でもあるまいに。
「いい加減にして。二百歳までの寿命とか、空を飛ぶだとか、胡散臭いにも程がある」
未来人であるという自分の置かれた立場を完全に無視して、ごく現実的に切って捨てる。
「いざとなれば、可能じゃ。それまでには長い修行が要り用であった。まだまだ研鑽を積まねばならぬ」
「本気で言ってんの、あんた」
あんた呼ばわりをしながら、千恵は九郎に躙り寄る。九郎は半歩後ずさった。
「何故、それほどまでにして修行を」
次郎は据わった目で、九郎に酒を注いだ。九郎は盃を干すと、
「誰にも打ち明けたことはなかったが、そなたらになら話してもよかろうな」
口元を袂で拭うと、真顔になり、
「実は、父の遺命でな。必ずその力が要るときが来る。その折りには外法をもって世を治めよ、とな」
次郎は両の眼をしばたたく。
「私は太郎坊の化身だとも仰せだった。私も何が何だかわからぬまま、稚き時分より精進して参ったのだ」
千恵は納得した。乱世における護身のための、父君の勧めであったか。この時代に生きる上での処世の術と言えなくもない。
「そうだったの」
座がしんみりした。会話が途切れると、次郎は耐えきれなくなったか、ごろりと横になった。いい加減、泥酔している。九郎は赤い顔で笑って、
「今宵はお開きとしよう。夜具を持たせるゆえ、この部屋で休むと宜しかろう」
体躯を揺すって立ち上がると、廊下へと出た。
「いや、楽しかった。ゆるりと休まれよ」
寝室へと歩いて行く九郎に、千恵は一言、
「今日はありがとう、九郎」
と声をかけた。九郎は振り返らずに手だけ翳した。
次郎は完全に寝落ちしている。給仕が布団を運んできて、寝床を調えてくれた。
「ありがとうございます」
礼を述べる千恵に、給仕たちはそそくさと部屋を後にした。見慣れない身なりの男女で、さぞ訝しいことだろう。
「ほら、次郎にい、布団に入りな」
次郎の両脇を持ち上げると、やっとのことで布団まで引き摺る。掛け布団を掛けてやる。その酔った顔は、幼い頃の次郎にいの顔そのままだ。燭の灯を消す。
千恵は、縁側にあった草履に足を通して、庭に降りてみた。月明かりに、築山が浮かんでいる。柔らかに頬を撫でる風が心地よい。空を仰ぐ。
「私たちの時代と同じ、星空なんだろうか」
独りごちて、ほう、と吐息した千恵は、暗がりに何かの気配を感じた。
目を凝らそうとした千恵の、ヘアバンドが光を帯びた。すると、まるで幻燈機に浮かぶかのように、人影が姿を現した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます