えいごりん
舞寺文樹
第1話
えいごりん
私はジャポちゃん派です。あなたはえいごりん派ですか。そうですかそうですか。なら結構です。私の脳内はこんなことばかりで、全く平穏は訪れません。たしかに、最近はえいごりんがなかなか強かったりしますが、やはりジャポちゃんは私たちのアイドル的存在で、今尚私たちの日常において必要不可欠なのです。そんなジャポちゃんに私は一生お世話になると決意しているのです。しかし、そんな私の元に一つの尋ね人がやってきたのです。まさしくそれはえいごりんでした。そしてわたしはえいごりんのことが大嫌いです。多分あちらも私を好きではありません。
あれは5歳の頃。突如として現れたえいごりんは、かなり太った、ひよこのネクタイを首から鳩尾にかけて纏ったボブという男性と共に現れました。そしてこれが私の記憶の中では1番最初のえいごりんとの思い出でした。
しかしながら私はそれをえいごりんだとは思わず、ジャポちゃんだと思っていましたので、そこで起こった不整合がいまの仲の根本的な原因であることは紛れもない事実でした。
ボブは緑色のカードをたくさん束ねて持っていました。腰のベルトには何本ものカラフルなチョークが差し込まれていて、ボブが必死に僕たちに何かものを言っても、私はそのカラフルなチョークに釘付けでした。当時私はまだ5歳でしたが、色の持つ力とは、かなりの強烈なもので幼稚園生活3年間のうちに沢山の出来事がありましたが、色に関する思い出は今でもなお鮮明に覚えているのです。例えばてんとう虫の絵を描いた時、私は青色の羽に黄色の斑点を施しました。また、僕の大好きだったブランコの支柱はオレンジで、椅子の座る部分は支柱よりも少し茶色に近いオレンジでした。つまり何が言いたいかというと、今から言うボブをはじめとする全ての話が私の記憶の中にしっかりと残っている紛れもない事実であることを皆さんに証明したかったのです。
話を戻しますが、そのボブの持っている緑色のカードには様々な絵が描かれていました。そしてそれは日によってカテゴリーが違く、食べ物の日や、動物の日、はたまた、乗り物の日などがありました。そしてこの日はフルーツ限定の日でした。そしてボブは緑色のカードを裏返して、僕たちにこう言うのです。
「strawberry(ストロベリー)」
正直私は困惑しました。そこに描かれているのは紛れもなく、お母さんが食後に3個までと決まって出す、「イチゴ」と言うやつではありませんか。いやいやまてまて、なんなんだストロベリーって。私の脳みそはもはや味噌汁になりかけていました。が、しかしそこに豆腐とわかめが入ったように、私は落ち着きを取り戻しました。
「なるほど、あれはイチゴじゃなくてストロベリーってやつなんだな。もしかしたらあれはイチゴと違ってしょっぱいのかな、いや味は同じだけどうーんとおっきいのかな。ちょっとストロベリーとか言うやつ食べてみたいな」
とこんな具合に無事解決したのです。
しかし、こんなことも束の間、ぶどうやらみかんやら何から何まで、全否定され緑色の裏に描かれたフルーツの中で私が知っているのはバナナとメロンだけでした。その日私は
「世界は広いんだな、まだ知らないフルーツがたくさんあるんだ‼︎」
と、なんだか嬉しい気分になったのを今でも覚えています。
幼稚園にお母さんが迎えに来て、私はこう言います。
「今日ね、ボブって人がすごいの教えてくれたんだ!かたちはイチゴなんだけどさ、名前が違うの!ストロベリーってやつなんだけど食べてみたいな!」
するとお母さんは目を丸くしてこう言いました。
「あらあら、ストロベリーだなんて。賢くなったじゃない。今日もちゃんと家にストロベリーあるわよ」
5歳の僕は「今日も」なんて表現に特別違和感を感じることもなく、夜ご飯の後のストロベリーを楽しみにしていました。ここでもう一度振り返っておきましょうか。当時の私がたてたストロベリー予想は以下の通りです。
①ストロベリーはイチゴよりもしょっぱい
②ストロベリーはイチゴよりも大きい
そして食後待ちに待ったストロベリータイムがやってきました。お父さんはなんだかにやなにやにやして私を見つめます。そして皿の中を覗くとそこにはなんと……。
まず大きさは普通のイチゴサイズ。そして恐る恐る口に運ぶと、ほんのり酸っぱく、そして甘みが広がりました。
「これ、イチゴなり」
いつもなら美味しいと笑顔でいう私ですが、今日ばかりは、美味しいという感覚と、満足という感覚が全く結び付きません。つまり私のストロベリー予想は見事に外れてしまったということです。そして私の中でストロベリーというものがなんなのかもっとわからなくなっていきました。
私はこれをきっかけに日常生活の中で沢山のえいごりんを見つけることになります。あっちにもこっちにも、どこもかしこもジャポちゃんの影に隠れて、えいごりんはこちらを見ていました。もちろん私はそれがえいごりんとはまだ気づきません。お祭りのかき氷の屋台。ファミレスのお子様セットのデザート。そして寝室のポスター。至る所にストロベリーがいました。今にもイチゴの香りが漂ってきそうなその歪な形の赤い物体はストロベリーという全くの別物なのです。
いくつかの季節を跨いで、満開の桜とともに春を迎えました。青く澄み切った空に、綿雲が映えること映えること。小鳥はチュンチュンと囀り、太陽は柔らかく私を包み込みました。黒光した革靴とノリの効いたワイシャツ。父の出張の日しか目にしなかったスーツとネクタイ。それを私自身が身につけていました。襟元の違和感に私は苛立ちを覚えましたが、幼稚園の先生の「小学生は大人」なんていう嘘文句を信じ込んでいましたから、大人はカッコよくないとと、感情を胸の奥底にしまっておきました。その日は私にとっての晴れの日でした。その日の詳細まではよく覚えてはいませんが、その日から小学生になることを自覚していたことは鮮明に覚えています。普段とは異なる堅苦し服装になかなか苦戦しましたが、なんとか入学式を最後まで終えました。
それからしばらく私は安泰となります。算数、国語、すらりすらり。真っ白な雪原を鉛筆が元気いっぱい駆け出します。わからないものなんて私にはない、まさに国士無双。勉強が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。二年生になってもその安泰は続いていました。少々私は変わり者で、掛け算九九を三の段から覚えました。普通は一の段とか五の段とかから覚えるのですが、私は何故か三の段。リズムが良かったんです。三六十八のところが好きでした。と、当時の私は語ります。
元気いっぱい、明るい笑顔。紅白帽子も被ります。あのヘンテコな赤と白とビヨンビヨンな顎紐がより一層無邪気さを醸し出していました。鼻水も袖で拭きます。手を洗ってもお腹のあたりで拭きます。でも手を洗った後のうがいは欠かさずに行います。幼稚園の先生に言われた「小学生は大人」なんて文句はわたしの頭の中のどこにも存在しませんでした。というより、存在しなくなりました。
三年生。中学年。いわばめんどくさい時期。低学年だとお兄さんお姉さんに迷惑かけない!って言われます。高学年だと、後輩たちのお手本になれ!って言われます。中学年はその双方が課されます。そんな中始まったALTの授業。Assistant Language Teacherの略です。アラニンアミノトランスフェラーゼではありません。健康診断ではないのです。ALTの授業が何かわからない私は胸を膨らませてその授業を待ちました。水曜日の6時間目。いつもなら放課後友達と何して遊ぶか考えてる時間です。
しかしその日の6時間目は違いました。私にとって異常の連発でした。えいごりんのせいでわたしの心はズタズタになりました。えいごりんを連れてきたその人はひよこのネクタイはしていませんでしたが、少し太めの女性の方でした。名前はネッピー。本名かどうかは謎です。どうやら出身はジャマイカらしい。今だから言えることですが、中米、カリブ海に浮かぶ島国。わざわざそんな場所からはるばる日本に来るのだから、さぞかしShe love Japan very much なのでしょう。しかし、ネッピーは教室に入った瞬間から威圧的な視線で私たちを睨みます。それはまるで目に機銃掃射が備わっていて、それで私たちを片っ端から始末してしまおうとしているようでした。
ネッピーは静かに教卓に両手を突っ張ると、担任のやすお先生は日直に号令を促しました。無邪気に響く甲高い「お願いします」。ネッピーは眉間に皺を寄せ、すこし鬱憤が溜まっているようにも見えましたが、一度息をフッとはき、話し始めました。
「Hello everyone. I'm ネッピー. Nice to meet you.」
すると何人かの生徒が
「Nice to meet you too!!」
と返事をしました。裏で打ち合わせをして何度も何度も練習したのではないのかってほどに息ぴったりのやりとりでした。この謎の言葉同士で交わされた形式じみたやりとりに私はなぜかはわかりませんが不快感を憶えました。もしかしたらネッピーの態度も原因のひとつなのかも分かりませんが。
授業が進行していくにつれて、あの幼稚園の頃、ボブとやったような形式のものが始まりました。ネッピーはボブみたいに緑のカードにフルーツを写していたわけではありませんが、スクリーンに果物を映していきました。あの幼稚園の頃のボブとの思い出が蘇ってきます。そして、あのストロベリー予想がフラッシュバックしました。そして一発目にスクリーンに映し出されたのがその、ストロベリーなのかイチゴなのかわたしには区別がつかない得体の知れない物体でした。
「What is this?」
ネッピーは私たちにこう問います。まさよしくんは元気よく
「ストロベリー!!」
と答えました。アルファベットで表記するほどきれいな発音ではなかったものの、おそらくまさよしくんは英会話なり英語教室に通っていたのでしょう。しかし、周りの無知どもはそれに異議を唱えます。
「それはイチゴだ!なんだよストロベリーって」
「そうだよ!それはイチゴだよ」
まさよしくん以外にも賢者はおりますから、賢者派と無知派の小さな諍いが勃発しました。ちなみにわたしは完全なる中立でした。なぜなら、其れがイチゴなのかストロベリーなのかからっきしわからなくなってしまっていたからです。次第にお互いの声が大きくなりかけたその時、私は声をあげてしまいます。
「それはストロベリーでもいちごでもないんだよ!」
いきなり教室は静寂に包まれました。遠くの選挙カーのウグイス嬢の声だけが鼓膜を揺らしました。しかしその沈黙は長くは続きませんでした。2秒ほど経った時でしょうか、一気に教室の中は嵐のように騒がしくなりました。賢者派も無知派も互いの怒りの視線が全てわたしに向いたのです。
賢者派の言い分はこうです。
「ストロベリーといちごは同じだ」
無知派の言い分はこうです。
「あれはどこからどう見てもいちごだ」
四面楚歌の私はもうただただ下を向くしかありませんでした。わたしは誰よりも無知でした。そんなことも知らずに、その場の状況を少しでも好転させようと、持論を展開させてしまったのです。まさに「無知の無知」。ソクラテスに質問攻めにあって、あっけなく撃沈するタイプなのです。えいごりんとの久々の再会は私に大きな大きな黒歴史を与えただけでした。
数週間後ネッピーは解雇になりました。生徒と一緒に給食を食べているときに、イヤホンで音楽を聴いていたり。生徒のデザートのプリンを横取りして食べたり、そもそも、ALT来校予定日に出勤しないなんてこともありました。そんなこんなで、いつの間にかネッピーは姿を消しました。しかし、えいごりんは依然として、私たちの周りにあり続けました。
三年生の冬、私は、とある一冊の本と出逢います。宮沢賢治の『注文の多い料理店』。図書室で私はその本を手に取ります。あの独特な文体と語彙。そして、誰も真似できないような、比喩表現。当時の私は、そこまで深く引き込まれた理由を考察しませんでしたが、幼いながらに、これらの理由から宮沢賢治の世界観に惹き込まれていったのは事実でしょう。その本と出会い、私は完全なるじゃぽちゃん信者となりました。
中学生になるとえいごりんは怖くなりました、今までは、私に恥をかかせたから嫌いでしたが、今度は恐怖の対象になりました。なぜなら通知表で評価が2になるからです。国語、社会は5。数学、理科は4なのに、英語は2。ALTの先生と一緒にやってきたえいごりんは、まだ瑞稚児だったのかもしれません。えいごりんが広い世界に出てきた途端、じゃぽちゃんは一気に力を失ったように感じました。私の大好きなジャポちゃんが…。えいごりんの台頭。私は許せませんでした。あの美しい言語を据え置いて、お前が……。
しかしえいごりんともうまく付き合っていかなければならないのも事実です。「君に決めた!」なんて具合でパートナーを決められればいいのですが、えいごりんと私は全くもってその関係には至りません。しかし、どうにかしなければ私の未来もありません。えいごりんは心底憎いです。私を笑い物にし、恐怖を与えます。そんなやつと一緒に生活しろなど、先生もぶっ飛んだこと言ってるなと思います。しかし、受け入れたいっていう気持ちも心のどこかにあるような気がします。
えいごりんとジャポちゃんの共存世界が私にも訪れますように。そしてえいごりんと仲良くなれますように。まずは三単現。主語がsheなんだから、loveにsつけましょうね。まずは手を握ってみるのも悪くないでしょう。
えいごりん 舞寺文樹 @maidera
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