第59話 布十々谷アンの願望

 僕たちは目的地の制限ダンジョンに向けて、山の中を歩いていた。

 インスマスは港の周辺は観光街になっているが、島の中心にいくほど緑が多く、標高の低い山がそこかしこにある。


 この大自然の中を布十々谷ぷととやアンは魚の下半身でどうやって歩いていくのかと思っていたが、アンは『浮遊』のアクティブスキルを起動して、スイスイと空中を泳ぐかのように移動していた。


「空を飛ぶアクティブスキルか。初めて見たな」


 感心する僕に、アンが答える。


「ドロップ自体はそんなに珍しくないよ! 数十cmしか浮かないから、使い勝手が悪くて使ってる人が少ないんだと思う。高ランクのダンジョンだと険しい地形を乗り越えるのに使えるみたいだけど」


 言われてみれば、ランクC以下のダンジョンで地形に困らされたことはほぼ無かった。

 毒沼や崖でもあれば『浮遊』は役に立つだろうが、普通に歩ける洞窟系ダンジョンばかりでは出番が少ないのも頷ける。


 それにしても魔力操作が難しそうに見えるが、アンは器用に飛行しながら山中を案内してくれる。

 アンは水着を着ていて、泳ぐように進むたびにパレオがゆらゆらと揺れて艶めかしい。ゆらゆら、ゆらゆら。


「ハガネさん?」


 姫香が咎めるようにこちらを覗き込んできて、僕は慌ててアンから目を離した。しかし、アンにはこちらの視線がバレていたらしい。


「やっぱり、変だよね。この身体」

「いいえ、変じゃないです! ハガネさんはちょっとエッチな目で見てたって思います!」

「はい、ちょっとエッチな目で見てました。すみません……」


 僕らの返答をお世辞だとでも受け取ったのか、アンの笑顔には影がさしている。


「優しいね、ありがと。でもわたしね、いつかみんなみたいに2本足で歩きたいんだあ。えら欠けじゃ無くなりたいの」


 エラカケ。布十々谷ジン支部長も、アンや僕らのことをエラカケと呼んでいた。アンの暗い表情は、エラカケと呼ばれた時のものと重なって見えた。

 そのことについて聞くかどうか迷っていると、星辰天せいしんてんに先を越されてしまった。


「ねえ、エラカケってなに?」

「外の人にはえら欠けって通じないんだ。えっとね、ここの人たちって、お魚さんみたいな顔してるでしょ? 目が大きかったり、鼻が平らだったり、頬の下が広がってえらになっていたり。わたしはそういうのが欠けている、ヒト面なんだって」

「……」


 えらが欠けているからえら欠け? 直球の外見至上主義ルッキズムじゃないか。

 布十々谷ジン支部長やアンが僕らの前でもそれを平気で口に出していることから、言っている人間からしたら差別の意識は無いのかもしれないが。


 たしかにアンは下半身こそ魚のようだが、顔立ちは美しく整っていて、インスマスの住人とは少々違って見える。ここに来るまで、アンと同じような見た目の人は見かけなかった。スチルと一緒に眺めたガイドブックには人魚のショーが載っていたはずだが、そこまで数は多くないのかもしれない。


「みんなみたいに2本足で歩きたいっていうのは、つまり」

「うん。みんなのようにお魚さんみたいな顔になって、2本足で歩けるようになりたいの。ハンターをやっていれば、そういう変身カテゴリのカードがドロップするかもって」


 狼男やドラゴンなど、モンスターに変身できるカードの話は聞いたことがあった。ハンターを続けていれば、この少女の望みは叶うのかもしれない。


 姫香がためらうように言った。


「その、皆さんと違うから、自分の身体を皆さんのように変えるというのは、正しいことなのでしょうか? 私は、アンさんは今のままでもとても美しいって思います」


 姫香はそう言うだろうな。最初から全てを持ち合わせているこの少女は、周りと合わせるための変身願望など理解できないだろう。

 僕は少しばかりアンに共感していた。自分に欠けているものをかき集め、周囲と同じものに擬態する生き方は、確かにあるのだ。


「姫香ちゃん、ありがと。でもね、わたしは神様と違う見た目をしてるから、みんなと同じ夢を見られないんだって。だからわたしも、神様の似姿になるの」


 アンは恍惚とした表情を浮かべた。


「父なるダ■■の似姿に」


 アンが口にした神の名は、何故か聞き取れなかった。

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