第58話 インスマス支部

 僕たちが宿泊する428号室は広々とした洋室だった。

 客室にはちょっとした露天風呂がついていて、眺めも良い。

 ホテルの外観を見たときは覚悟を決めたものだが、内装は意外なほど豪華だ。


 ちゃんとした部屋だったことで恐怖が薄れてきたのか、星辰天せいしんてんの調子が戻る。僕から手を離すと、スタスタと歩き回って部屋をチェックし始めた。

 やがて星辰天は2つしかないダブルベッドの1つを占拠すると「ハガネは……床……?」と不穏なことを言い出す。


「助けてくれ姫香ちゃん。このままでは星辰天ちゃんに床で寝かされてしまう」

「安心してくださいハガネさん! ベッドはもう1つ空いてるので2人で使いましょう!」

「助けてくれ星辰天ちゃん。このままでは姫香ちゃんに襲われてしまう」


 僕と姫香の掛け合いを眺めていた星辰天がため息をつく。


「はいはい。姫香はこっち」


 こうして寝る場所の配置が決まった。僕が窓側のベッド、廊下側が姫香と星辰天だ。


 手早くホテル内のレストランで夕飯を済ませ、大浴場で入浴を済ませると、僕らは早々に寝ることにした。

 探索予定のダンジョンの情報を共有してから、それぞれのベッドに入る。

 明日は全日本ハンター連盟の支部に顔を出して、制限ダンジョン攻略の手続きをする必要がある。


 ふと隣のベッドを見ると、姫香が枕元に僕の写真を立てかけているところだった。

 そういえば前に姫香の部屋にお邪魔した時、僕が写ったポスターが大量に貼られていたな。


「姫香ちゃん、出先にも僕の写真持ってきてるの?」

「はい! あ、ハガネさんも私の写真が欲しくなったらいつでも言ってくださいね」

「ありがとう。考えておくよ」


 しかしまあ、大の男が仕事仲間の女子高生の写真を枕元に飾るのは、犯罪の匂いがする。ちょっとためらってしまうな。

 そんなことを考えながら、僕はスチルとシュクモの写真をベッドサイドに立てると、ぐっすりと寝入った。



   ◇◇◇



 懐で温かい何かが身じろぎして目が覚めた。

 胸元にぴったりと収まるこの小柄な身体はシュクモだろう。

 別々に寝るようになってからも、シュクモはこうして僕の寝床に入ってくることがある。

 軽く抱きしめて頭を撫でながら朝の挨拶をする。


「シュクモちゃん、おはよう。痛ててててて」

「アンタ、今アタシを女子小学生と間違えた?」


 こちらの頬をつねりながら睨みつけてくる星辰天と目が合う。

 そうだった、姫香と星辰天とホテルに泊まっているのだった。

 寝ぼけていた頭が徐々に覚醒してくると、ふくよかな感触が当たっていることに気付いた。姫香だ。

 なぜ姫香と星辰天が僕のベッドの中にいる? 昨夜はたしかに別々のベッドで寝たはずだ。


 2人とも寝巻きがはだけていて目のやり場に困る。


「ふふふ、油断しましたねハガネさん。男女が同じ部屋で寝るということはOKサインなんです。雑誌で読みました」

「あ、アタシは……夜中にラップ音するし、気付いたら姫香はいないし、仕方なく……」


 星辰天は情状酌量の余地がありそうだった。この幽霊屋敷で同居人がいつの間にかいなくなっていたら怖かろう。


「うーん、姫香ちゃん、あとでお説教ね」

「どうして私だけ!?」


 姫香が抗議の声を上げるが無視する。

 対処方法を考えないと、毎晩このやり取りをすることになりそうだ。姫香がベッドに入り込まないようにしなくてはならない。

 ただでさえ、姫香と同じ部屋に泊まっていることが静子やレティーシャに知られたらと思うと恐ろしいのだ。同じベッドで寝たことが発覚したら、3週間ぶりに正座させられてしまう。


「明日は姫香ちゃんは縛ってから寝かすか」

「は、ハガネさん。初めてはもっと普通にして欲しいです」

「ハガネ、アンタやっぱりクズね」

「僕がいかがわしいことしてるみたいな言い方やめてくれる?」


 ベッドの中で益体もない会話をしていたら、ハン連支部を訪ねる時間がすぐに来てしまった。どうもこのメンバーでの会話は楽しくていけない。



   ◇◇◇



 ハン連支部は僕らが宿泊しているホテルのすぐ近くにある。

 本部と比べると建物の規模はかなり小さい。2階建てのくすんだ白い壁には「安全安心のまちづくり」などの標語が貼ってあり、村の役場のような雰囲気だった。


 受付を済ませると、なぜか応接室に通された。本来は受付で手続きをするだけで終わるはずなのだ。

 応接室には魚のような顔をした厳つい男と、桃色がかったブロンドの少女がいた。少女は魚の下半身をしなやかに動かし、器用に直立している。


「忙しいところをご足労いただき、ありがとう。ハン連インスマス支部長の布十々谷ぷととやジンだ。こちらはランクBハンターの布十々谷アン」


 インスマス支部長が穏やかに挨拶すると、合わせて桃色の髪の少女がペコリと頭を下げる。


「いえいえ、こちらこそお手数おかけしてすみません。上杉ハガネです」


 どうも不自然な流れだった。ダンジョンの攻略許可を得るだけなのに、なぜ支部長が出てくるのだろう。

 姫香と星辰天も挨拶を済ませると、早速、攻略許可の申請についての話に入る。


「制限ダンジョンの攻略許可だったね。申請内容は問題ない。あー、しかし、最近は事故が多くてね。念のため、案内人をつけさせてもらう」

「案内人?」


 僕はアンのほうに目を向けた。なるほど、こちらが本題か。

 アンはにっこりと笑って挨拶する。


「改めまして、布十々谷アンだよ! よろしくね!」


 向こうが欲しているのは、支部としての制限ダンジョン攻略の実績だろう。

 僕、姫香、星辰天は、東京にある全日本ハンター連盟の本部に所属している。本部所属のハンターのみでダンジョン攻略をするのと、支部所属のハンターが混じった編成でダンジョン攻略をするのでは、組織政治的には大きく異なることなのだ。


 僕のような下っ端には何の関係もないことなので、アンの加入を断る気はなかった。


「詳しい話は愚妹に聞いてくれ。えら欠け同士、仲良くできるだろう」


 エラカケ? そう呼ばれた時にアンの笑顔に影がさしたのがひどく印象に残った。

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