第3話
何日か過ぎて、それでも、心にささくれが残っているかのように、居心地が悪い。安田は、布団に寝転がり、無為な時を過ごした。
真正のダメ人間。自分で勝手に決めた事だ。撤回すればいい事なのに、安田へ重くのしかかる。情けない人間だ、底辺の仲間入り。もともと底辺だった自分を、そうじゃないと思い込むためのルール。それさえも破ってしまった。ルールだけではない。安田は思う。ただ情けない。
胸の底から込み上げる物を抑え込む。最近はこの繰り返し。それでも、夜になると聞き耳をたててしまう。壁に密着しない様にするが、それが拍車をかける。自分の心根の腐り具合に、安田はウンザリしていた。あれだけ情けない思いをして、もうやめようと思っても、我慢できない。
安田は窓をチラリと見る。一度、踏み越えてしまうと、その先へと簡単に及んでしまいそうになる。隣の部屋を覗きたい。安田の頭の中にそれの考えが膨らんでくる。
「情けない……俺はなんて……情けないんだ」
人の秘め事を盗み聞く。それだけでは飽き足らず、覗き行為まで、したいと思っている。しかし、そんなときに限って、微かに聞こえるあえぎ声がした。
「また」
自分で自分を制止する暇もなく、ほとんど衝動的に、壁へ耳を押しつける。
「あっ」
一瞬、耳を離そうと体が動いた。でも安田はそのまま、音を聞き続けた。聞こえる様にしているのがいけないんだ。安田は言い訳を頭の中で並べ立てる。そんな事をしても、心の軋みは一向に減らないが。
「好みのあえぎ声だ」
おそらく、どんな声をあげていようと、そう感じるのではないか。安田は夢中になって聞き続けた。
「……見たい」
もう止まらない。恐ろしいほど、自分を冷静に客観視する。安田は体と精神が乖離しているのでは、とさえ思った。
閉まっているカーテンを、音が出ないようにゆっくり開けた安田は、窓も同じように時間をかけて開けた。外に誰もいないか、どこかの家の窓辺に誰かいないか。慎重に確認して、ベランダに出る。うるさいと感じるほど、心臓が暴れまわっている。足が筋肉痛のような、ダルさに似た痛みを感じる。安田はそれらの異変の中でも、ことさらに、自分のイチモツの興奮度合いに驚いた。これまでにないほど。
「はぁはぁ」
息が上がる。ほのかに汗ばむ。ベランダの柵に両肘をついて、さり気なさを装った。壁は簡素。しかし、ただ立っただけでは、向こう側の部屋の中は見えない。安田は柵から身を乗り出し、壁の向こう側の窓を見つめる。カーテンは当然のように閉まっている。ただ、少しくらいは隙間がある。そこから中を必死になって、安田は見つめた。
「……ッ!」
声が出そうになって、安田は声を押し留め、ゆっくりと乗り出した体を戻す。中は見えた。人がいた。
男が一人、アダルトビデオを見て、自分のイチモツ弄んでいた。
安田は部屋に戻り、力なく、床に座り込んだ。襲いかかる途方もない虚しさと情けなさ。心の軋みが確かにひび割れる音に変わった気がした。
「何やってんだ」
まだ、男女が体を重ねている所を目撃したのなら、罪悪感だけで済んだかもしれない。しかし、違った。安田が必死になって、聞き耳をたて、自慰をし、覗きまで至ったのは、隣の住人の一人遊びだった。そんなものに興奮していたのだ。
「情けねぇ……虚しい」
その声は、押し殺しても抑えきれない声に、溶けて消える。
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