第2話
「はぁ」
夕方になって、安田は家に帰ると、ただいまの代わりのように、ため息をついた。ハローワークへ行くが、結果は芳しくない。安田と同じ、職を失った者が多数おり、立ち行かなくなった企業が多数ある。残った企業に人が殺到すれば、倍率は高くなるのは当たり前。理解はしていても、やはり、自分は大丈夫ではないかと、勝手に期待して、勝手に裏切られ、ため息を、つくのだ。
もう一度、安田は出かけようとして、財布を取り出して、開いた。
「酒を買う余裕もないか」
日々の生活に精一杯。余計な物を買う事は出来ない。安田はグッとこらえて、部屋の中に入る。
「金が無ければ、再起も難しい」
職を失って初めて、安田は痛感する。金が無ければ、何かを始めてみるのも難しい。面接の時はスーツがいる、しかし、買う金がない。脱サラして、何かを始めてみる、しかし、必要な金がない。借金をして、苦しみながら、貧乏生活。結局、貧乏から抜け出すのは難しい。安田は最近、こう考えては虚しくなる。
「はぁ」
胸の底から込み上げてくる物を抑え込んで、壁にもたれ掛かった。最近は日課になりつつある。耳を壁に密着させて、動かない様に心がける。
「アッ……アッ」
「今日は早いな、最初の方を聞き逃したか」
隣から微かに聞こえる男女が体を重ねる声。今日もまた、それに安田は夢中になる。
「今日はなんか、好きなあえぎ方だな……へへ」
安田はとても興奮した。どういう事なのか。単に、心への負荷が、日に日に増して、防衛本能が脳をそういう風にしているのか。
しかし、興奮すればするほど、日々の辛い思いが安田の頭を、かすめる。胸が締め付けられる。楽しいと思うと辛くなる、弱った人間の特徴かもしれない。
股間のイチモツが熱い。いいんじゃないか。そう頭の中で誰かが呟いた気がした。
「大変な思いしてるんだ……こっちは、お前らと違って」
誰もいない部屋に、無意味な言い訳をする。安田の頭の中には、自分を正当化する文句でいっぱいだった。
自分の物を、安田は強引に引っ張り出すと、聴覚を研ぎ澄ませて、好みのあえぎ方をしっかりと聞いた。目を閉じて、その声に合わせるように、手を動かしていく。
「どうだ、気持ちいか」
目の前に、いもしない相手に問いかけて、胸がチクリと痛む。声が激しくなるにつれて、安田の手の動きも激しくなった。
「……うッ」
安田の体がビクリと強張る。快感が腰の辺りから広がって、すぅと消えていった。
「はぁはぁ」
少し熱っぽい呼気。しばらく安田はじっとしている。余韻に浸っていた。
頭の中で作り上げた女が消え去っていき、安田は目を開く。壁にはベッタリと粘っこい物がへばりついて、少しづつ、たれていく。安田の体の奥底から、快感は消え去り、途方もない虚しさ、情けなさが、墨を落としたように広がっていった。
安田は、頭を壁に擦ってしまっているのも気にせず、その場にうずくまる。声を押し殺して。
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