第2話 月星紋の一家
奥さんの実家の家紋は、
珍しいが、全く見ないという程では無いという感じだろうか。ちなみに、なんか由来があるのかと言えば、不明としか言えない。わからない理由は後で述べる。
奥さんの家系は義父(奥さんの実父)が亡くなって、実質的に絶えたと言ってもいい。奥さんの実兄はいるが、病気を抱えた障害年金生活者で、ほほ交流も無いし、本人に家や墓を継ぐ気が無いので、今回で処分することになっている。
そう、義父が亡くなったので(年賀欠礼させていただきます)、いろんな手続きが奥さんと私に降りかかり、相当なストレスだった(まだ終わってない)ため、断片的には聞いていた実家の過去のアレコレが、改めて奥さんから噴出した。
大昔、奥さんの実母がまだ子供だった頃、祖父母(実母の両親)は実母と叔母(実母の妹)の幼い姉妹を実父(実母の祖父)に預けて、行方不明となった。
その経緯は定かじゃないが、何かしらの不義理か不始末があって、実父(実母の祖父)から勘当されたか、むしろ実父の勘気を被るのを恐れたかで、以後消息を絶つ。実母姉妹は、預けられた祖父と義祖母(実母の祖父の後妻、実母の父の母ではない)の養子となる。
奥さんは、当然この養父母を自分の祖父母と認識して育ったわけだが、小学生の頃、訳知り顔で余計なこと言いたがる近所のおばちゃんから、本当はお母さんの祖父母でお前の曽祖父母だと聞かされ、大混乱したらしい。
実母の養父(実母の祖父)は、借家暮らしで特に財産があるわけでもなく、ヤクザでもなかったが、地元の顔役のようなことをしており、幅を利かせていたらしい。北九州市に合併前の八幡市は、石炭で賑わった筑豊地区や若松市に並ぶ、鉄の町だったので、後の修羅の国・福岡県の現・北九州市にはありがちな話だ。小さな商売だの利権だのを巡って、後から割り込もうとするヤクザと地元の味方で強面のオッサンが怒鳴り合っていて、どっちがヤクザかわからないとかはよく見た風景だし、その年代の男どもは、たいてい瞬間湯沸し器で、すぐに熱くなる。
女の子二人だけでは、自分の家系が絶えると考えた養父母(実母の祖父と義祖母)は、姉妹が大きくなると当然どちらかに婿養子を取ることにした。
どこの馬の骨ともわからん男を迎えて下手を打つわけにはいかないと、義祖母の歳の離れた弟が子沢山だったので、その甥の一人を迎えることにする。
実の息子が何かをしでかしてこういう事態になっているのに、血縁者なら信用できるという前提で判断してしまうのが不思議だ。
まぁ、親分肌の亭主には姐御肌の女房と言う訳で、義祖母の弟も承諾せざるを得ず、年頃だった義祖母の甥が婿養子として送り出された。
まぁ送り出す方はともかく、送り出される方は自分の意思は無視だから、納得しがたいのはわからないでもない。
そもそも、三男だから家から自立するつもりで手に職を付けたのに、家と伯母の勝手な都合で、故郷を遠く離れた場所で勤め先を探し直して、結婚して苗字も変えろと強要されれば、反発もするだろう。
でも、それが実の父で、ぐずぐず抵抗した結果が、戸籍に残ってしまってるとなると、納得いかないのは長女(ウチの奥さん)の方だ。
死亡後の諸手続きに、戸籍と改正原戸籍が必要だったので改めて取ったら、実兄の誕生日より、養父母と養子縁組し実母と入籍した日の方が二週間も後になっていた。
こちらに呼び寄せられ、仕事も見つけ、夫婦として同居し、妻(実母)が妊娠しているのもわかった上で、長男(実兄)を出産するまで抵抗していたのか。
戸籍上は、母は未婚で兄を産んだことになってしまっている。
実父はつまるところ、こういう人だった。
実父は、当時の、電子制御なんか欠片も無いような時代の、自動車整備士としては、かなりの腕だったらしい。こちらでは大手の、運送会社の整備部門に勤め、叩き上げで頭角を現し、会社から派遣で発展途上国に技術指導に行ったり、私と奥さんが結婚した三十数年前には整備課長(整備士としての昇進上限)にまでなっていた。
その後(これ以上のポストが無いから)子会社に出向になり、その小さな運送会社の全ての車輌を一人で整備していた。ずっとサラリーマンなのに、生活感覚は完全に職人の人だった。
会社では事務や経理に、家庭では養母(伯母)と妻(孫娘達は息子夫婦への反動できちんとしつけられた)に任せっきりで、自分の守備範囲外の面倒なことはやらないし、知らない。自動車整備と釣りとパチンコと酒。いつの時代の職人だよ、という生活。
そんな実父が完成する前のまだ未熟な頃、そのお手本になった、仕事も遊びもできる兄貴分が居た。仕事も、仕事終わってからもいつもつるみ、家族ぐるみの付き合いをして、実母もその兄貴分の奥さんを姐さんと呼んで慕っていた。姐さんは飲み屋のママで、いかにもな、後先なんてどうでもいい職人と水商売の女の夫婦。あの時代にはそれもかっこよかったのかも知れないし、実父には、それが自分の思い通りに生きる自由に見えていたのかも知れないし、実母にも、家とか長女の立場とかに縛られない生き方に思えたのかも知れない。
しかし、その兄貴分が亡くなって、生前に女房を気に掛けてやってくれと頼まれてから、歯車が噛み合わなくなって行く。
兄貴分の代わりのように、姐さんの飲み屋に足繁く通いつめるのが当たり前になり、そのまま帰らない日も出るようになる。養父が生きていた頃なら、一喝されて終わりだったのかもしれないが、既に形の上では一家の主だったので、養母(伯母)や妻の言うことには、全く聞く耳を持ってなかった。
奥さんが成人してしばらくして、実母は自ら死を選ぶ。
子どもが二人とも成人したからなのか、長年のこの状態に耐えられなかった実母は家から姿を消し、家族で探して回っている中、変わり果てた姿を発見したのはうちの奥さんだった。
実母が亡くなって、実兄が情緒不安定になり病状が悪化、奥さんと祖母(義曾祖母)では手に負えなくなり、強制入院となる。
実父はその兄貴分の女房だった姐さんと再婚し、義母として家に入って来る。祖母(義曾祖母)からすれば、養女(義孫娘=奥さんの実母)のために呼び寄せた甥が、起こした事態なので、心穏やかとはいかない。当然、家の中で嫁姑という以上に何かと衝突を繰り返す。
実兄は退院こそしたが、施設に入ることは拒否したので、障害者を受け入れている職親のところに預けられ、時折帰って来るだけ。
そうこうする内に、祖母(義曾祖母)も亡くなり、奥さんと実父と義母だけの生活になる。
奥さんは諦観した。
実兄は発達障害があり、小さい頃から学校でも家庭でも、妹の自分の方がかばってきた。しかし、実母が亡くなった時は、自分の不安に逃げて何の頼りにもならなかったどころか、その不安を祖母と妹にぶつけていたし、実父が再婚した後、職親先から盆・正月に実家に帰って来ても、義母に対しても何のわだかまりもなく、実母が居た頃のように平然と過ごしているのを見て、自分と共感する感情は、実兄の中には無いのだ、と。
実父が、変わることがない、変わる必要を感じてない、再婚以後も自分達のことを最優先なのは承知していたので、もう娘(自分)の気持を思いやったり優先してくれるような無駄な期待はしない、と。世話をする人が来たから、むしろ私は実父の世話はしなくてよいと考えよう、と。
義母は、水商売の人だけに表面上の愛想はいいが、実父にぶら下がって生活しているだけだということは亡き祖母(義曾祖母)が看破していたし、それだけに実父の世話だけはちゃんとしていた。この人のことは、私の分まで実父の世話をしてくれる人として割り切ろう、と。
そのさらに数年後、奥さんは私と結婚して家を出る。
これから先は家を出た娘として、適度な距離で家族と付き合う。そう思っていた。
しかし、夫婦だけになった実父と義母は、祖父母(曾祖父母)からきちんと躾けられた実母や実母にきちんと躾けられた奥さんが想像する以上に、きちんとしていなかった。
ずっと借家住まいだった実父と義母は、退職金をつぎ込んで、中古住宅を買ってしまう。持ち家とか一国一城の主に、そこまで拘りがあったのか。定年退職後なので、当然手元に残っていた退職金で一括払いだ。家屋は本当にただの古い家だが、市内なので土地は不便なのに決して安くない。
水商売だった義母は、国民年金など掛けたことがないという。いや、掛かってるけど掛け金を払ったことがないし、払えないからと役所で減額免除の手続きしたりもしたことがない。むしろ、アウトローのように請求・督促から逃げ切って誇らしいくらいの気持ちでいる。
実父の勤務先は、元々大手だったし、出向先の子会社もちゃんとした会社だったので年金はきちんと出ているはずだったが、家計の遣り繰りできないと度々無心の連絡が来るようになる。奥さんは結婚前の貯金をほぼ渡してしまい、その後は私がその都度送金するようになった。
計画的に、収入以上の支出はしない。サラリーマン家庭なら当たり前の感覚だと思うが、これが職人の男と水商売の女の夫婦なのだろうか。
全国の職人と水商売の方々には、風評被害になりそうな物言いだが、奥さんの実父と義母はまさにこんな感じだった。
娘と娘婿(私)をあてにしてる様子を、隠してるつもりなのか知らないが、バレバレだった。
さらに数年して、ケアマネさんから、二人とも認知症の疑いが濃厚でこのまま二人で住むのは難しいし、今は義母が入院中で実父が訪問介護を拒否し始めたので、安全確保が難しいと連絡が来る。ケアマネさんと病院の医療ソーシャルワーカーさんのお陰で、二人一緒に入院できる認知症に対応できる老人病棟のある病院を手配してもらえたので、説得して二人を入院させる。
実家に実父を説得に行っている最中に、近所の煙草屋のおかみさんが声を掛けて来る。義母の入院が2ケ月を超え、支払いに来てないので、その間の煙草代のツケが溜まっていると。確認すると2ケ月ちょっとの分で十一万だという。仕方ないので、近くのコンビニまで行ってお金下して支払う。煙草代が月六万近く? これでパチンコ行ってたら足りないはずだな。
財布にも現金がほとんどなく、通帳も年金はほぼ下されており、何に使ったかもわからない。恐ろしいことに、実兄の障害年金の受け取り通帳まであった。その年金まで全て下されている。必要な買い物をしてやって実兄に送っていたと義母は言い訳していたが、現金送金している様子はなく大半は使い込まれていたようだ。仕方なく実父と義母が二人とも入院するので、今後は自分で管理するよう手紙を書き、実兄の職親先あてにほぼ空の通帳だけを送る。
実父の通帳を確認しても、厚生年金に企業年金の分まで足して何でこんなに低いのか理解できなかったが、年金担保で借入している可能性もあるし、確認ができない。
幸い次の年金の振り込み日が近かったので、病院には実父の年金の受け取り通帳と判子を預け、二人分の入院費等で不足が出たら連絡をくれるようお願いするが、高額医療制度と給食費の減額手続き(義母の入院期間は前の病院との通算になる)で、年金の範囲内で二人の入院費は賄えた。
実父よりも年上だったので必然的に義母が先に亡くなり、葬儀だの戒名料だのお坊さんへのお布施だの法事だの全てウチが立て替えることになる。病院事務の人からは、年金口座には入院費を支払い後のお金が少しづつ残り続けているので、親族が義母の葬儀のために使ったと領収書等を持参してもらえれば、預かっている口座から出金してお渡しできると言われた(残額が大きくなり過ぎると管理責任を問われるのが面倒だという一面もあるらしい)が、奥さんの入院やら、新型コロナやらで行けないままになっていた。
義母の死亡で区役所に各種届出をし、実父の後期高齢保険とか介護保険とかが年金引きになっていないのがわかったのでついでにその手続きもして、連絡先を長女である奥さんに変更したら、驚くべきものが届く。
厚生年金は受給中だが、基礎年金の受給手続きが済んでない、と。盲点だった。
厚生年金と企業年金は、定年退職し年金もらえる年齢まで再雇用で同じ会社で働いていたので、再雇用の退職時に会社の事務の方で手続きをしてくれていたのだ。多分六十五歳から七十歳の間には基礎年金の手続きを自分でするように言われたはずだが、当然実父はその意味を理解していない。年金事務所からの手続きのお知らせも、読んでないだろうし、むしろ義母が何かの請求書と勘違いして捨てた可能性すらある。金に執着するなら、こういう手続きさえすればもらえるお金に気づきそうなものだが、面倒なことは他人任せで避けていた結果が、これだ。
遡って基礎年金はもらえたが、所得税と後期高齢医療保険料も介護保険料も遡って上がるのでその差額の請求が来る。問題なのは入院費・給食費に対する高額医療の限度額も収入が増えたことで遡って上がる=支払額が遡って上がるため、その差額も遡って請求される。所得税は非課税、限度額は一番安いランクだったので、一気に上がったため、半端ない額になる。病院事務の方にお願いして父の口座に遡ってまとめて振り込まれた年金から払ってもらうよう納付書を送ったり、義母の生きていた期間の配偶者控除やら入院費の医療費控除やらの手続きもすることになり、奥さんも私も大パニックだった。
奥さんは思う。実母なら忘れるはずもない手続きだっただろう、と。
もし、実父の基礎年金の手続きができていれば、入院前の数年間あんなにお金の無心はされなかったし、葬儀の費用もあったのではないか、と。
私は思う。由緒正しい貧乏人の小倅、小娘としての自覚のある私と奥さんだから、それだけの金銭的余裕があれば他人に頼らずに済むと思ってしまうが、あの実父と義母であれば、あればあっただけ消費して、同じように無心の電話はかかって来てたのではないか、と。
月星紋を奥さんの実家が使っていた由来も、ご先祖様のことも、家が絶えることに祖父(曾祖父)が難色を示したことも、奥さんの実母なら聞いていたかもしれないが、不本意な入り婿である実父も、後添えの義母も知るはずはなく、不明のままなのだ。結果的に、家の存続のための婿養子取りは、奥さん(と実母)に不幸しかもたらさなかったし、それを決めた奥さんの祖父(実は曾祖父)の真意はもう永久にわからない。
ミニマムに波乱万丈 大黒天半太 @count_otacken
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