ep.4 その男、狂人につき

 バァン!


 机を勢いよく叩く音が、待合所にも良く聞こえて来た。


「皆大丈夫かなぁ……」


 狼男の少年、ウォルフ・ダン・ガーネットは警察署の待合所に居た。少し離れたところに取調室と書かれた看板があり、そこからは怒声や下衆な声ばかりが聞こえて来た。なぜこんなことになっているのか、遡ること数時間前……。






「お前ら! 全員俺んところに来い!」


 任務終了から一晩明け、早朝6時。次々に勢いよくドアが開かれたかと思うと、各部屋の隊員に向かい、怒鳴るような声で集合命令がかけられる。声の主は狩人協会の実働部隊を率いる虎の獣人、ニコラス・アンデルセントだった。


「なに、なにごと?」


「あ、レニー……」


 開かれたドアからひょこっと顔だけを覗かせ、ダンと目が合うや否や気まずそうにする。レニー・アルバはこほんと誤魔化し、即座に寝間着から着替えてダンに向き直った。


「行こ!」






「お前らに急遽集まってもらったのは他でもねえ。この状況についてだ」


 ニコラスが親指で後ろ差したのは、先日捕まえたスパイ、バトーとルオールの二人が収容されていたはずの車であった。その車の後部、収用施設が完備された場所には誰もおらず、代わりに大量の血液がそこら中に染みついていた。


「簡潔に述べよう。バトーとルオールが何者かに誘拐された」


「なっ!?」


 ジャクズレも含む3人の隊員の中で、最も驚いていたのはダンであった。


「な、なんで……! 一体誰がそんなことを!」


「分からねえ。お前らにも事情を聴かなきゃならんが、それよりも……」


 耳の良いダンとニコラスがいち早く、遠くからパトカーのサイレンがわずかに聞こえてくるのを察知した。


「あぁ、面倒なことが一つ」






 ニコラスがこぼした言葉通り、現地警察の取り調べはとてもしつこかった。言葉の節々に突っかかり、アリバイを主張しても聞き入れない。組織の悪口や世間の風評を語り、自分たちの事は棚に上げる。中年の意地の悪そうな刑事たちが、取調室の奥で仲間たちに悪態をついているのを、少年は耳を澄まして聞いていた。


「うぅ、僕とシバカワさんはどうにか免れたけど、あの三人、大丈夫かなぁ……」


 ダンの心配もよそに、取調室の奥のレニーは――。


「お前がやったんじゃないのか? レニー・アルバ! 住所不定、孤児院出身、その後は狩人協会所属以外空白……ろくな経歴も書いてないぞこの個人情報!」


「だからなんなのさ~、あ!」


「な、なんだ!」


「お腹すいた」


「……ふざけるなッ!」


「れ、レニー……大丈夫かなぁ」


 彼女の天然なのか、はたまた意図的なのか見当もつかない場違いな発言の数々が、刑事を苦しめる。またもう一つの部屋では――。


「ジャクズレ・ダカオ、アリバイはあるというが結局身内だけじゃあ大した証明にはならないぞ?」


「勘弁してくれ、二日酔いだし、寝不足なんだ……」


「だったらさっさと吐いてムショで寝るんだな! さぁ、どうなんだ!」


「…………ぐぅ」


「おい! 寝るな!」


「……取調室暗いのかな、凄い眠そうな声だった……」


 こちらも心配するべきか、悩みどころであった。慎重な男のため、協会が不利になるようなことは決して言わないだろうが、このマイペースな二人が刑事を刺激しないか少年は不安であった。


「……おい」


「だ、大丈夫かな、特にネコ先輩はずっと黙ってるけど……」


「お~~い」


「やっぱり、本部に連絡したほうが……いや、シバカワさんが行ってくれたんだっけ。じゃあ僕は……」


「おい小僧!」


「は、ハイ!」


 独り言をつぶやく少年の背中が、パン! と勢いの良い音を出す。突如背中を叩かれたダンは跳ね上がるようにして返事をかえした。


「えっと、だ、誰です……?」


 少年の背中を叩いたのは、いかにも不審者としか形容できない成人男性。丸いサングラスにぼさぼさの黒髪。無精ひげを蓄えた長身の男がそこに立っていた。


「いや、なんや小声でずっと喋っとるから、少し心配しただけや。驚かして悪かったな」


「は、はぁ……」


「名乗るほどのもんやない。弟子がやらかしたって聞いて飛んで来た、ただのおっさんや」


「弟子、ですか」


「そ、弟子」


「……はぁ」


 二人の間に静寂が立ち込める。いや正確には、遠くから取り調べ中であろう者たちの声が聞こえ、そのテンションとの差異が今の状況をより気まずくさせている。


「……タバコ、ええか」


「た、タバコ……?」


「なんや知らんのか。煙が出る紙の棒や、ほら」


「へぇ~……ぶぇっ! ゲホッ!」


「あ~あかんのかいな、こりゃすまんな……」


「いえ、グェッホ! だ、大丈夫です! そ、それよりも……」


 全く大丈夫そうな様子に見えないが、それでも取り繕う少年の妙な健気さに、男はただ申し訳ない、という顔をしていた。


「弟子ってことは、あなたはなにかの師匠……?」


「お? 気になるか。そうやなぁ俺は……まぁ一口に言えん位色んな事教えたからな。強いて言うなら――」


 男は、ギュッと強く拳を握る。皮膚がとても厚いのだろう。握りこぶし一つに、妙な熱気が漂っていることに少年は気付いた。


「戦い、かな」


「た、戦い! 戦闘!」


「おう。アイツには確かな素質がある。それを見込んでビシバシしごいたのに、とんでもないことやらかしよって……」


「い、一体何をしたんですか、その弟子って……」


「ん~、まだ疑いやけど、なんや獣人を二人……」


 男の言葉を遮るように、突如数人の何者かが慌ただしくこちらに向かってくるのが聞こえた。


「な、なに……!?」


 先頭に立つその女性は、目深に帽子をかぶっており、一目で誰かは判断がつかなかった。


「私だよ、ウォルフ・ダン・ガーネット」


「え……あっ!」






取調室 ニコラス・アンデルセント


「随分慣れてるじゃねえか。このまま助けが来るまでだんまりかよ、ネコちゃんよぉ!」


「……」


「へっ、獣人はこれだから嫌いだ。世論が守ってくれると思ってんのかねえ。お前達はまだまだ弱者だよ、全く……!」


「……」


 この男は刑事ドノヴァン。ダン達が作戦行動を取った某国は、軍部が強い権力を持っており、さらに昨今の人権問題に否定的な姿勢を取っている。愛国心を第一に、偏った教育が昔から為されてきたこの国では、ドノヴァンのような男が刑事にもなり得る。ニコラスはこの事態を想定し、黙秘権を貫いていた。


「言っとくがな、お前たちの上司は助けに来ねえぞ! 狩人協会に恩義なんざねえし、この国は国際協調なんざハナから興味ねえ。獣人保護団体サマがどんだけ脅したところで、お前達への嫌がらせをやめる気はねえからな!」


「……」


「おい、なんとか言ったらどうなんだ!? 俺達は現地警察だぜ? 現場じゃそれなりに工作ができるんだよ。お前らの女リーダーを引きずり下ろすのなんざ簡単なんだぜ……!?」


「おい、くせえぞお前」


「なっ!? なんだと、テメエ!」


「汗くせえんだよ。野心も信念もねえ能無しが。お前達がどれだけこの国、この地域でお山の大将を決め込んでいようと、俺達には関係のないことだ。俺達に関係があるのはただ一つ、あの事件についてだろう?」


「ぐっ……!」


「3時間15分。ずっと我慢して、黙って聞いてはみたが……これ以上の取り調べは無意味だな」


「なっ!? 無意味かどうかは俺達が決めるんだよ! 何を勝手に立ち上がってんだ! 座れ、座れぇ!」


「……トラは耳が良いんだよ」


「はぁ?」


 意地悪な刑事は先ほどの威勢とは打って変わり、拍子の抜けた声で返事をする。すると、扉の奥、通路のその先から、何者かが向かってきている音が聞こえてきた。


「だ、誰だ!?」


「け、刑事ー! ドノヴァン刑事!」


「なんだ!? 今取り調べの最中だぞ!」


「そ、それが、取り調べは中止です! すぐに止めて釈放しろと、上がっ!」


「う、上……!?」


「ふん……御上はお前より幾分か利口なようだ。いいか、今に善悪がはっきりする時代がくる。こんな薄暗い取調室で調子に乗るのも結構だが、いずれその考え方が……」


「邪魔するぞ! 狩人協会が馳せ参じた!」


「……ま、マチルダ! 今話してる最中だったのに!」


「取り調べは中止だ、さっさと本部に戻るぞ!」


 取り調べを止めさせ、またニコラスのセリフまでも遮ったのは、狩人協会実働部隊隊長、マチルダ・ルベライト。実質的な協会のリーダーである彼女の手により、彼らの窮地が救われたのである。


「警察署正面から我々が出てくるのはまずい。記者に見られるのを避けるために裏口に車を用意してある。急ぐぞ」


「わかったよ、ったく手際いいな全く」


「ま、待ちやがれ!」


「なんだ、まだ用か」


 彼らを呼び止めたドノヴァンの怒号に、何一つ臆さず、冷めた視線を返すマチルダ。その目つきは怒りとも、焦りとも違う。ただただ道端の物を見つめる冷たい瞳だった。


「なんでも金で解決しやがって! ルベライト財閥の強権はお前達の理想に反するんじゃねえのか! 世論はお前らを認めねえぞ!」


「おい、見苦しいぞテメエ!」


「良いんだ、ニコラス」


「マチルダ・ルベライト! いずれ、お前が組織の足枷になるんだよ! へへっ!」


 言いたいことを言いきったかと思うと、汗まみれのドノヴァンは満足そうな顔で嫌な笑みを浮かべている。この後にくるマチルダの一言を期待していたのだ。


「ふむ……良い意見だが、言うのが数年遅かったな」


「なっ!?」


「狩人協会設立当初から、私は私の敵が何なのかを良く知っている。そして、それは決してお前のような輩ではないこともな」


「……な、なんだと……!」


「刑事! これ以上は! 抑えてください!」


「行くぞ、お前達!」







 協会の所有する輸送車が、警察署の裏口から発車された。真っ直ぐに協会の移動拠点『ノア』へと向かう輸送車の中では、安堵の雰囲気が立ち込めていた。


「ひとまずは、諸君らの任務達成を心から労いたい。御苦労」


 マチルダは青い短髪をさらりとかき分け、身を正して皆に向けた。


「此度の事件、我々ではなく現地警察が受け持つことになった。ただ我々は容疑者から外され、今後の捜査の進展を共有してくれるそうだ。元々は我々が捕らえた犯罪者なのでな、その辺りは譲歩してくれたよ」


「マチルダよぉ、よくこんな早く対応できたな。ノアが近くにあるとは言え、俺達連絡もできなかっただろ?」


「あぁ、丁度別の作戦に取り掛かっていたのだが、シバカワがノアの無線に直接連絡をよこしてくれたのでな。おかげで何とかなった」


 どうやら、現地の回線は狩人協会には提供されなかったらしく(これも件の嫌がらせなのだろう)、治療が終わってすぐ、シバカワがノアに駆け込んで知らせてくれたらしい。


「諸君らにはノアに戻ってもらう。そこで十分に休養を取ってくれ。少し移動すれば観光施設もあるらしいから、2、3日は休めるだろう」


「あの……で、でも」


「ダン。バトー、ルオールのことについては案ずるな。私は君たちの心労がなにより心配だ」


「あ、ありがとうございます……」


 そう言葉をかけるマチルダの表情はとても優しいものだったが、どこか先を見ているような、遠い目をしていたのを、少年は見逃さなかった。


「……あ! あの人どうなったんだろ、もう一人取り調べ受けてる人を待ってたらしいけど……」


「あの人?」


「僕の隣に居た人です。黒い髪でサングラスの」


「ううん、あまり印象に残っていないな。いや、サングラスか。もしかすると……」


「それってもしかするとあの人かもね~」


「……?」


 一同は薄々、その男が何者か勘づいていたが、ダンだけは分からず、頭を捻らせていた。






「……へっくしょい! まだ出てこないのか~、レニー! 取り調べ長すぎるぞ~~!」


「うるせえ! 用がないなら帰れこの不審者が!」


「ひ、ひえ~……」


 一方、その頃警察署では、気の立った刑事に叱られて縮こまる男が一人、寂しく取り残されていた。

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