ep.3 飛ぶ鳥を落とすように。

 多少の舗装はされつつも、それはきちんとした道路とはとても言い難く、狩人達を乗せる車両は不規則に大きな縦揺れをおこす。緊張で心を落ち着かそうと床を見つめる狼男の少年ウォルフ・ダン・ガーネットは、揺れる度にその落ち着かせた心持ちが乱されるのを鬱陶しく思い、その安静の作業に見切りをつけた。なにもしないでいるのも嫌なので、今回の任務に同行する面々を見遣って時間を潰すことにした。


「すでに概要は聞いているだろうが、改めて任務の詳細を説明する。」


 ネコ先輩という愛称で慕われる、大柄の虎の獣人ニコラス・アンデルセントが大きな声で言った。


「今回の任務は、我々狩人協会の職員で、この一帯に住む獣人の人口調査に出かけて、そのまま行方不明となってしまったシバカワというヒトの男の捜索だ。一帯は無法者の多い危険な区域だが、シバカワにはGPS機を持たせていたから大体の位置は分かる。注意すべきは、ただの行方不明じゃなく、犯罪に巻き込まれた可能性があるというところだ。」


 誘拐犯の存在を否定できないこの任務で、ダンは自分自身を間違いなく足手纏いだと認めていた。戦闘能力も不明確で、捜査のノウハウに関しても、狩人協会から多少の指導を受けた程度である。そんな子供が果たしていきなりの実践で役に立てるのだろうか。焦る気持ちがかかとを浮かせ、肩を強張らせているのが自ずと分かった。


「GPS反応が今示しているのは廃ビル群の中。この状態を見ると誘拐されたと考えるのが妥当だ。そこで、脅威を分散するために人員を分けて、AとBのチームを編成する。」


 ニコラスは鋭い目つきで車内の面々を確認した。ダンを除く全員が、なんでも構わないという風に然とした態度で座っている。


「まずダンとレニー、そして民間の協力者であるバトーさんとルオールさんがAだ。GPSの他にシバカワの詳細な位置特定のできる発信機もつけてあるが、周囲の捜索を夜目が効く協力者の二人と、そして現場慣れしてるレニー、ルーキーのダンの4人一組で行うんだ。」


 4人は各々返事をする。コウモリの獣人バトーとフクロウの獣人ルオールは今回の為に狩人協会と提携している民間企業から雇った人員だ。ダンは恐ろしい顔つきの二人に戸惑いながら、目が合うたびについ会釈をしていた。


「あれ~ネコ先輩、Bチームそっちは二人でいいの?ジャクズレさんも民間の人でしょ。」


 レニーが指さす先には3人目の協力者である蛇の獣人、ジャクズレがいた。その存在感はあまりに希薄で、ダンはレニーが指摘するまで気が付かなかった。目が合い、その鋭い目つきに怯えた少年は、再び会釈をしてやり過ごす。


「構わん。Bはジャクズレさんと俺で発信機付近を調査。お前たちは二人と協力しビル全体の調査がメインだ。……ヘマするんじゃねえぞ。」


「は~い。」


 釘を刺されたレニーは気だるげに返事をする。車内は時折外から入る砂ぼこりのせいで、あまり良い環境ではない。また窮屈さもあってか、彼女が既にやる気をなくしているのがニコラスにはお見通しだったようだ。





ノア船内、会長室。


「会長、お呼びでしょうか。」


「あぁ、マチルダくん。大した用じゃないんだが、少し聞きたいことがあってね。」


 場所は狩人協会の移動拠点『ノア』。組織が世界を股にかけ、様々な国に対し人権活動を行うことを可能にさせているのがこの鉄の箱舟である。その会長室にてマチルダ・ルベライトは、協会会長のロベルト・アルカディアと対面していた。


「寓話の存在を信じるかね。」


「はぁ、ドラゴンや妖精のことでしょうか。ファンタジーはあまり興味は……」


「ああ、例えば……狼男のことだよ。」


 マチルダの眉がぴくりと動く。見張るようにロベルトもその表情を注視していた。


「……ウォルフ・ダン・ガーネットのことについて、何か?」


 敵意とも言わんばかりに、ロベルトの次にでる言葉を警戒するように、マチルダは語気を強める。


「そう話を焦らないでくれ。私が君に問いたいのは、ダン君のような狼男は……そうだな、ヒトから獣人に変化する人間を寓話の存在に当てはめているだけで、実は本当は狼男ではないんじゃないか、と。」


「そうだったとしてどうなるのです?昔から存在し、おとぎ話となっている以上、世間が彼らを伝説の狼男だと認めてしまうのは容易な話でしょう。彼らがそうだからといって、それ以外の寓話までもが真実だと決まる訳じゃないのですから。」


 マチルダがそう話した後、ロベルトは暗い面持ちを見せた。デスクに佇み項垂れる壮年の痩せた男は、マチルダの言葉がある意味で真実に触れかかっていることを暗に示していた。


「まさか、いるのですか。人魚も、ミノタウロスも……」


「私はその存在を信じたくない。だから問うたのだ。前線に立つ君に、今一度狼男の存在を否定してほしくてね。」


「べ、別物でしょう。獣人は一般に動物とヒトの混血。狼男もオオカミの獣人の変異種というのが世界の共通認識です。それにそんな目撃情報、今まで全く――」


「生活圏の違いだ。人魚は海に。ミノタウロスはギリシアの迷宮に……ああ、ケンタウロスなんてのもいたな。神秘の森に住むファンタジーの生き物。それらの存在が近年認められつつある。」


「初耳です、そんな話。」


 ぺらり、とロベルトは手元の資料をめくる。あまり読みたくもないという風に、気苦労を抱えるような顔つきでそれを読み上げる。


「カリブで人魚が。ギリシアでミノタウロスの遺骨が。イギリスでケンタウロスが。中国で火炎の鳥が。そして、ドイツの山奥で狼男が。」


 世界各地で、少ないながらも公的な情報として、神話的な生物の目撃例が列挙される。最後の情報はダンのものであった。


「世界を股にかけ、国々の問題に手出しをする我々だ。意図して情報提供を拒む国もあるという事だよ。概してあのようなファンタジーの生き物は、人よりも優れ、また獣人よりも価値がある。狼男という存在はその生活様式から人と触れ合うことが多かったために、世間に露出していたし神秘の存在という訳でもなかったが……」


「しかしその存在を認めてしまうと……」


「そうだな、いつか神の存在も認めざるを得なくなるかもしれない。」


「……我々は被造物同士だから共に分かり合えた。しかし、創造主たる神が実在すれば、その生き物が存在してしまえば、その序列は狂ってしまうかもしれない……」


 マチルダの頬に嫌な汗が伝う。世を平らにし、差別を無くすために立ち上げた狩人協会が、神という絶対的な存在を前にしてその活動を無為にさせられようとしている。たった一つの存在により、八方が塞がれたような身の狭さを感じた。


「今は何より、情報を集める事が最優先だ。神の実態は存在しない。我々は人種の優劣を無くすべくこの姿勢を決して崩さない。だが世間はどう動くか分からんのだ。」


 ロベルトはデスクに書類の束を出す。皺のある手は決意に満ちており、マチルダに僅かながらのプレッシャーを与える。書類には目立つように国の名前が記されていた。


「聖都メルキドア……10年前まで荒れていたロシア付近の国ですね。そして狩人協会に相当な額の寄付をしてもらってる国でもある……ここになにか?」


「今は政教一体の治政で安定しているらしい。科学技術や教育観念などはまだ一部が前時代的だが、あのの戦火から逃れていたこともあって、歴史的に貴重な資料を多く抱えている国だ。」


「では、幻の存在に関する情報もあると……」


「あぁ、その国では御伽の存在である彼らのことを幻獣人と呼んでいるそうだ。その存在を神のごとく崇め、信仰している。近々、そこへ調査に出てもらう。」


「まさか、ダンをここに行かせる訳じゃありませんよね。」


 その時、男の視線がわずかに動いたように見えた。が、しかしその固い表情は決して崩さず、淡々と答えた。


「……彼はまだまだ新人だ。」


 真意を隠した含みのある言葉は、彼女の言葉を完全には否定しなかった。事態はまだ霧に包まれたように不鮮明である。マチルダは思惑の読めない男に対し追及を諦め、ただダンの行く末を祈るばかりであった。






 しばしの時間が過ぎた後、狩人達を乗せる車両は急停車をし、目的地に着いたことをその衝撃で告げてくれた。ニコラスの指示のもと、一行はそびえる廃れたビル群の中へと入って行く。


「れ、レニー……なんか聞こえない?」


「やっぱり?気配するよね~なんかの。」


 耳の良いダンには、ビルの合間に潜む影たちが自分達に驚き、警戒の眼差しを向けていることがその話声で分かった。紛争地域に近いこの一帯は、国の管理が行き届かず手つかずのままとなった無法地帯である。犯罪をひっそりとこなすにはうってつけのこの場所には、少なくとも自分たちの味方にはなり得ないであろう者達が、しのぎを削り合って生きている。またしても自分の知らない世界を目の当たりにする少年は、この集団の傍を離れないようにしないことには安心できなかった。


「このビルで間違いない。俺たちは隣のビルから上階へと上がり、そこからこのビルに入る。合図があったらお前たちAチームは一階入り口から入るんだ。くれぐれも怪我のないように。」


「おっけ~」


「あぁ、あと……」


「うん?」


「言い忘れていたが、最悪の状況ということもある。対象は既に死んでいて、敵も待ち伏せしていた場合だ。その場合対象の回収は一旦諦めろ。敵の気配を感じたらすぐ報告して俺たちと合流するように。」


 指示を終えたかと思うと、ニコラスとジャクズレはすぐさまに隣のビルへと消えていく。やがて足音も消えたところで、指示がくるまで付近で座り込み、待機することとなった。その間、4人の空間を沈黙が支配する。


「あー……二人はさ、どうしてこの任務に来てくれたの?」


 沈黙を破るレニーの素朴な質問が、協力者のバトーとルオールに投げかけられた。


「どうしてって……そりゃ仕事だからよ、雇われただけだ。」


「あー、あはははは、そりゃそうだね……」


 『きまずい』。レニーとダンは同じ思いを抱き、萎縮して背を丸めた。どうにも沈黙の壁を破る術がこの強面の男達に対して分からない。すると二人の気持ちを察したのか、今度は彼らの方から口を開く。


「嬢ちゃんはよ、俺たち獣人を見てもビビらねえんだな。」


「え?そ、そりゃ~……」


 ダンもレニーの方を見上げた。確かに怖気ずに話しかける彼女は何を思っているのだろうか、視線はその口元へと向かった。


「私も色々見て来たからさ。その中で、人は見た目だけじゃないんだって学んできたんだ。だから何があっても一度ちゃんと話してみて、それから判断するようにしてるんだ。」


「そりゃ大層なこった。みんな嬢ちゃんみたいに利口だったら、世の中平和だろうなぁ。俺たちはこの顔でどこでも怖がられちまうからよ、人助けの職くらいしか思いつかねえのよ。やってみてえってなるようなことが。」


「助けても、助けた奴らに怖がられるんじゃ世話ねえけどな、ガハハ!」


 談笑を繰り広げる彼らは和んでいるようだったが、しかしダンにはレニーの表情が油断ならない、どこか綻びを感じる、悲しいものに思われた。さほど面白くもないのに愛想で笑っているのか?それとも何か気がかりなことでもあったのだろうか?パートナーとして踏み込んでも良いものなのか、ダンは彼女から目を離すことができない。


「む。」


「来たか。」


 レニーが何かに気付いたようにして耳元の通信機を抑える。とうとう作戦が展開されるようだ。レニーの憂いの表情が仕事時のそれへと変化し、ダンの先ほどの心配も杞憂に終わらせるように、朗らかな声が彼にかけられる。


「さあダン、初仕事だよ!怪我しないように頑張ろうね。」


「う、うん!」


 眼前に臨む廃ビルの入り口は、化け物が大口を開けているようで、ダンは暗所恐怖症ではないのだが、その暗闇に恐れを抱いてしまう。いつも以上に研ぎ澄まされた狼男としての感覚が、些細な話声も逃さなかった。


「手筈通りにやるぞ。」


「おう。」


「えっ……?」


 そのバトーとルオールの会話は、特段違和感がある訳でもないものだが、ダンの耳にはやけに印象深く残った。偏見ではあるが、もとより少年の目には、彼らがただの善い獣人には見えなかったからである。






「こちらB、そっちの様子はどうだ。」


「Aは今のところ異常なし。1階は一通り見たよ。」


「了解。俺たちは最上階の10階だ。こっちは発信機の反応が近いから、その地点にまっすぐ行く。お前らは予定通りビル内をくまなく探せ。」


 少年の耳にニコラスとレニーが通信をしているのが聞こえてくる。誘拐犯がただ身ぐるみを剥がした程度でシバカワという職員を解放していれば、この任務はすぐに終わりそうだ。しかしニコラスが別れる前に話した……。考え得る不幸に怖気づかないために、ダンは一層感覚をとがらせる。


「えっ……?」


「どうしたの、ダン。」


「気のせいかも……いや、やっぱり。もう一人、気配がする。」


 Aチームの一行が居たのは2階だった。Bのニコラスとジャクズレの可能性は低い。となると、誘拐されたシバカワかあるいは犯人か。


「止まって。ダン、もっと耳を澄ませて。」


「うん……僕ら以外の足音、息遣い、砂利の擦れる音、金属音……」


「ありゃ、発信機の反応も近いね。どうなってるんだろ。」


 先ほどのニコラスの報告とズレが生じる。10階にいる彼らがはじめ反応が近かったのに、今度は2階のレニー達Aチームが発信機に近づいてきている。言い表しがたい怪しさが、彼女の中で膨らんでくる。狩人としての勘が、自分たちの状況が危険だと知らせていた。


「ダン、少し危ない……何か嫌な予感が――」


「レニー、3階だよ。ちょうどこの真上にいる……!」


 危機を察知し、一度撤退を提案しようとしたレニーだったが、ダンはそれをよそに掴んだ情報に心を弾ませているようだ。初の任務で自身の能力を活かし、今まさに役立とうと頑張るこの少年の目の輝きを、彼女は止めることができなかった。


「……分かった、行こう。」


 バトーとルオールも彼女のその言葉にこくりと頷き、暗所を得意とするために、先頭を引き受けて先へ進んだ。レニーが少年のほうをふと見遣ると、その目はギラついており、まるで眼前に捕らえるべき獲物でもいるかのように、張り詰めた顔をしていた。彼女はその表情に少しばかりの危機感を覚えるが、やがて全てが闇の中に溶け込んでしまったので、その心配を胸にしまい、前を向き直した。






「なんだ、あっさり見つかっちまったじゃねえか。」


「ニ、ニコラスさん……すいません、ご迷惑を……」


 Bチームのニコラスとジャクズレは8階まで降り、発信機の元へと到着。そこで衰弱したシバカワ職員を発見する。固く縛られていた彼の手足は、幾度も麻縄が擦れたせいで痛々しく真っ赤になっている。申し訳なさそうにするその男にニコラスは優しく声をかける。


「いいんだよシバカワ。……ひでえ傷だ。いたずらに虐められたって感じだな。」


「暗闇で奴らの顔も見えない中、散々やられましたよ、参ったね全く……」


「顔は分からずか……とりあえずここを離れよう。下のレニー達と合流するか。」


「……ミスターニコラス、嫌な予感がする。」


 突如、それまで殆ど口を開かなかったジャクズレが神妙な面持ちで告げた。その蛇顔はまるでその先を見透かしているかのように地面を見つめており、ニコラスには彼が獣人特有の第六感、いわゆる野生の勘でこのビル内の驚異を察知しているのだと理解できた。


「くっ……レニー!聞こえるか!そっちの状況を伝えろ!」


 ニコラスは無線機を取り出し、即座にAチームの安否を確認する。


「ネコ先輩!ちょうど今報告しようとしてたんだ。こっちにも近くに発信機の反応がある。これってもしかして……」


「シバカワはこっちで保護できてる!それは敵の罠だ、今すぐ退避しろレニー!」






「レニー、こっちから発信機の反応があるよ。でも妙だ、誰も気配が……」


 ダンがバトー、ルオールと共に暗闇を歩く中、発信機に近づいた事を示す電子音が徐々にそのリズムを早めていく。しかしそれはまるで何かの衝撃を告げるように、不安なほどに加速していった。その内に、少年は脳内でニコラスの言っていた言葉を思い出していた。


『あ、最悪の状況ってもしかして――』




「ダン!敵の罠だ、逃げろ!」


 レニーの叫びも空しく、早まった電子音は束の間黙り込み、すぐ後に爆音と爆発が発生する。衝撃は風を生み、その場に居た全員の視界を遮った。周囲はコンクリートの粉塵が舞い、ダンの姿は見えない。しかしそこに微かに差し込む光から、ビルは無事倒壊せずに壁に大穴が開いたという事実だけは確認することができた。


「ダン、ダン!どこだ……返事をして!ダン!」


 必死の形相で砂塵を振り払い、少年の影を探すレニー。無線機を通して、ニコラスからの安否確認を求める声が聞こえたが、もはやそれに構うほどの余裕が彼女にはなかった。自分があの時危機を予想していたにも関わらず、それでも少年を行かせたことを、彼女はたった今心から後悔していた。


「今だ、飛ぶぞ!」


「なっ……!」


 砂塵は不自然な風の動きで吹き飛ぶように消え去った。それはただの風ではなく、翼の羽ばたきによる風圧であった。驚いたレニーが思わず空いた壁の大穴を見ると、そこには体格に見合った大きな翼を羽ばたかせる二人の獣人の姿があった。


「バトー、ルオール!お前たち、何をしてる!」


「見て分かんねえか人間!ガキをさらうんだよ!」


「バトー、アイツら拳銃を持ってる、はやくずらかるぞ!」


 空に浮かぶ二人の獣人の正体は、コウモリの獣人バトー、そしてフクロウの獣人ルオールであった。そしてバトーの腕にはダンが抱えられており、彼らは今まさにその少年を連れてビルの谷間へと消えようとしているところだった。


「クッソォ……」


「へっ、屈んでやがるぜあの人間。ルオール、なにも焦ることはねえ。アイツは既に戦意喪失だ、安全運転で飛ぶぞ!」


「おう……いや、ちげえ!バトー、上だ!」


「はあっ!?」


 バトーが目を離したその一瞬の隙を、レニーは見逃さなかった。彼女が屈んだのは打ちひしがれたからではない。身体のバネを最大限に活かし、コンクリの床を抉るほどの勢いで、バトーたちがいた空中まで飛び込んだのだ。レニーはその地点から大きく跳躍したかと思うと、バトーの目の前で大きく体を捻る。その予備動作がなにを意味するのか。バトーも野生の勘から理解できないはずは無かった。しかし少年を抱えて飛行している状態から、すぐさま避けることが不可能なのだった。容赦ないレニーの空中かかと落としがコウモリ男の頭にめがけて繰り出される。


「オラァ!」


「バトー!……ぐあっ!」


「な、ルオール!馬鹿野郎、庇いやがって……!」


 レニーの強烈な技は、飛び込んで庇ったルオールに命中する。彼を惜しむ言葉を吐きつつも、バトーは少年を連れてさらに高く、空へと飛びあがった。彼女の跳躍から逃れるためにより高く。技が不発に終わったレニーは、自由落下に逆らうことができず、せめて少しでも彼の近くに、と精いっぱいに手を伸ばす。だがその思いは空しく、身体は浮遊感と共に地面にぶつかる衝撃を待つばかりで、少しも浮くことはできなかった。


「クソ、ダンが連れていかれる……」


 ビルの8階の窓から、ニコラスが事の顛末を目撃していた。しかし彼にレニーほどの身体能力はない。手出しをしようにも、唯一携帯している銃ではダンを傷つけ兼ねなかった。


「レニー!お前のパートナーだから、お前が決めろ!ここで撃ってアイツを落とすと、ダンに当たる可能性もある!お前が撃っていいか決めるんだ!」


 ビルの上階から、ニコラスの叫び声が響く。レニーはとうに着地し、絶望により今度こそ打ちひしがれていた。


「……私のせいだ……私の。」


「レニー!後悔してる暇はねえ、早く決めろ!」


「……い。」


 無線機から、彼女の声が微かに聞こえた。するとその直後、ニコラスの背後で鋭い金属音が鳴る。それは紛れもなく拳銃が狙いを定める音だった。


「ジャクズレ……てめえもグルか!?」


「安心しろ、俺は敵じゃない。ただのボランティアだ。」


 ジャクズレはニコラスの後ろで銃を構えていたが、狙いは当然彼ではなく空中で羽を広げて逃げようとするコウモリ男に定まっていた。ジャクズレはニコラスの肩に肘を置き、そして後ろから左の手で左肩を抑えており、あたかも彼を狙撃のスタンドのようにして使っていた。使われている本人からすれば、状況は理解できても動いてはいけない感覚がまるで蛇に絡まれているようで、居心地が悪い。しかし、その蛇の睨みと構えていた銃の種類がリボルバー拳銃ということから、自身の射撃の腕に強い自信を持っていることを表していた。


「ま、待て!レニーが――」


「いや、今だ。」


 ジャクズレの一言の後、銃口から弾丸が発射される。その弾はビルの谷風の影響を受けながら、徐々に向かう先を変え、そして遂には空中にいるバトーの臀部に命中する。


「ま、マジか、一発で当てやがった……」


「あのビルの屋上に墜落したようだ。早く回収するぞ。」






「くっそぉ……誰が撃ってきやがったんだ……! 化け物揃いじゃねえか、話と違うぜ……」


「ん……あれ、ここは……!」


 ビルの屋上で銃創を抑えるバトーの傍ら、ダンが爆風による失神からようやく目を覚ます。それまで暗闇に居たはずの自分が、太陽を頭上に臨むことに違和感を覚え、少年はそれまでの事態を概ね理解する。


「まさか……バトーさん。」


「ガキ、まだ遅くはねえ。テメエにはそれなりの価値があるんだ。俺に付いてきてもらうぜ。今なら空飛ぶタクシーになってやるからよ。」


「馬鹿言うな!ここで、倒してやる……!」


 ダンはその言葉のすぐ後に力を込める。そして日の元であろうと関係なく、瞬時に狼男へと姿を変えた。


「驚いた、マジでいつでも変身できるのかよ!だが……」


 バトーは少年の足元を見る。初めてまともに対峙する獣人の悪漢に対し、恐怖でわずかに震えているのが見て分かった。


「情けねえ!人狼伝説もガキなら大したことねえってことか。」


「だ、黙れ!」


「うおっ!」


 煽られた拍子で思い切り踏み込んだダンの爪撃は、バトーの意表をついたものだった。しかし男は間一髪で空中に逃れ、形勢は悪化する一方である。


「おい、卑怯だぞ!」


「こっちは命が掛かってんだ。空から攻撃させてもらうぜ!」


 右から左から、四方八方から予測不可能なコウモリの飛行によるかぎ爪の攻撃が繰り出される。未だ狼男の身体に慣れないダンは危うげに攻撃を避けるばかりで、反撃のしようがなかった。ただの近接攻撃では勝ち目がない。少年は自分の能力を改めて確認する。風の速さで爪撃を繰り出す力、鋭い牙、そして健脚……。


「一か八か、だな……」


「な、なにしてんだこいつ……?」


 ダンが取った行動は屈むことだった。その姿勢はバトーが先ほど見たレニーのそれとそっくりであり、少年が今まさに飛び込んで攻撃をしようということが彼には容易に想像できた。


『あの人間の真似事か?いや……気を失ってたはずだ、何をする気なんだ!?』


 一度見てしまった攻撃スタイルに、彼の野生の勘は危険だと警告を発している。しかし眼前のこの構えを前に、放って背を向けて逃げるのも嫌だ、と理性がまた警告する。やがて自分が一か八かの賭けに陥っていることにバトーは気付いた。ただの少年の短絡的な発想だと切り捨てればまだ幾分かマシだったもの。しかし獣人でも成し得る者は少ないであろう超人的な動きをレニーという人間がしてみせた。それが狼男によって繰り出されるとなると、どうなってしまうのか。経験と理性が、結果的に彼を空に縛り付けた。


『いいや!そもそも気を失ってたんだぞ!同じことをしてくるか?いや、知らないからこそ逆に……あぁクソ!』


 表か裏か、極端な二者択一を迫られたバトーは、ついに考えることを止めた。不規則、かつ高速の飛行でダンの元へと迫る。


「この……ヤロー!」


「今だ!」


 バトーの不安は的中した。狼男の健脚というスペックから出される跳躍、そしてその勢いを利用し、ダンは両の手を広げて爪を剥き出しにしていた。わずかに避けようとも大ダメージを負わせるという彼なりの工夫だった。思わぬ面積の広さに、バトーの戸惑いがその羽ばたきに現れる。そうして、ダンの攻撃は半ば体当たりのようにして命中したのだった。


「グ……くっそぉ、ガキでも侮れねえなぁ、畜生……すまねえ、ルオール。」


「な、なんだと……!」


 勝ちを確信し、ダンは気を抜きすぐさま狼男の姿を解いてしまった。臀部の出血と腹部の強打で倒れて重体のバトーは、その隙をつくように懐から拳銃を取り出した。しかしそれは本来狩人協会の狩人にしか支給されないモノだった。民間の協力者が同じものを持っているはずがない。


「俺とルオールはスラム育ちの悪ガキ二人組だった。都会になじめねえハナから負け組の俺らには、犯罪で食っていくしかなかったんだよ。俺たちだけじゃねえ。ここの奴らは皆そうだ!テメエらが人を救って金もらうんなら、俺たちは人を陥れて金を得る!そういうどうしようもねえ化け物の歯車が世の中には必要なんだ!だから、だからそんな目で見るんじゃねえ……」


 ダンは協会の拳銃を突き付けられて動揺したが、自身の人狼化を考えれば例えそれを撃たれようとも避けることは容易だった。今は窮地の最中、せめて自分だけでも道連れにしようとする彼の根性に、唯々憐みの思いしか抱けなかったのだ。そして本心では、彼はきっと自分のことを撃たないと信じていた。


「テメエ、本気で俺のこと善人だと思ってんだろ。」


「な、なにを……」


「分かんだよ。その人狼特有の真紅の瞳、恐ろしいが敵意はねえ。自分は正義で、俺たちは可哀想な悪だって思ってる眼だ!同じ化け物の癖に、自分は獣人だって顔だ……そういうのはよぉ……ムカつくんだよ!」


「ま、まず……!」


 ダンは大慌てで狼男への変身を試みる。すると、まるで力ががくっと抜けたように、本来出力されるはずの超人的なパワーが出なかったのだ。元からそんな力など無かったかのように。少年が動いたのと同時に銃声が起こり、弾は少年の方へと確かに向かった。しかし幸運にも、拍子抜けの踏み込みで足を滑らせたおかげで、弾は少年の頭上を掠める。弾は遠いコンクリの壁へ痕を刻むだけに終わった。


「はっ……はっ……はっ……!や、やばい、やばいやばいやばい!」


 安心も束の間、その銃はオートマチック拳銃のため、即座に次弾が発射される。慌てて物陰へと逃げ込もうとするダンに、バトーは震える手で狙いを定めた。


「こ、今度こそ、殺してやる……この化け物め!」


「ま、間に合わ――」


 ダンは視界の端に物陰を見つける。力が上手く込められず、おぼつかない足取りでその物陰へと向かうも、つまづき、転んでしまう。まるで夢の中にいるかのような、緊張とそれに伴わない身体の不自由さに、少年は床にへたれこんで絶望した。ここで死ぬのかと。するとその時——




「グオオオオオオ!!」




 息も詰まる状況の中、雄々しい叫びが少年の目指す物陰から発せられた。否、それは物陰ではなくニコラス・アンデルセントの巨躯であった。地面に倒れ込んでいたダンとバトーは、そのニコラスの雄たけびの威圧感に負けて立ち上がることもできなかった。バトーの方は力が抜けてしまい、固く握ったはずの拳銃もするりと地面に落としてしまう。ニコラスの怒りが少年の窮地を救った。


「バトー!な……テメェ……!」


 ニコラスは重い足音と共に、倒れ込んで、とっくに反抗の意志を示さなくなったバトーの下に歩み寄り、その胸ぐらをつかんで持ち上げた。重傷で苦しんでいた表情だったバトーも彼の怒りを直にぶつけられ、生気を取り戻して怯えていた。


「……あの現場には二つの発信機があった。一つはシバカワに、もう一つは爆弾の所に。そして何故だかレニーとダンの二人が近づく方に爆弾があって、発信機のついたそれに近づくと爆発する仕組みだったって訳だ。随分と準備がいいじゃねえか。ええ?」


「な、なな、何が言いてえんだか、俺にはさっぱりだ……ひ、ひぃ!」


 白を切ったような言葉を口にしたバトーに、ニコラスは場所を変え、彼をビルの崖際へと運ぶ。歩くこともできない程の体力の彼に、翼を動かして無事に着地する自信は到底無かった。


「そんなに飛びたきゃ手伝ってやってもいいんだぜ。何回でも落としてやるからよ……!」


「やめてくれえ!わ、分かった分かった!言うよ、言う!全部、の指示なんだ……いや、誘拐をしようって言ったのは俺だけど、一から計画してくれたのはそいつなんだよ!」


「白衣……!?」


「もしかして……先生。」


 ダンはその言葉を聞き『先生』ことウィリアム・ヘリオットのことを思い出す。しかし彼は今や獄中のはずだ。この短期間で犯罪を計画するなど不可能であった。


「……クソ、分かった、それが聞けただけでも十分だ。今は事後処理が最優先、後の詳しいことは本部で事情聴取させてもらう。」


「こ、殺さないのか……?」


「殺したきゃとっくに殺してるよ、うちのレニーがな。俺たちが獣人の人権団体だったことを心から感謝しろよ。」


 ニコラスはそう言いながらビルの屋上出入口を指差す。そこには自身の失態を恥じ、暗い表情で佇むレニーの姿があった。ダンは彼女と目を合わせようとしたが、彼女の方から自然と逸らされてしまう。気まずさを負いつつも、それでもダンはパートナーの元へと、砂塵に汚れたその身なりを気遣いに駆けていった。






 事態はひとまず終結する。死者はだれも居なかった。職員のシバカワは命に別状はなく、誘拐されかけたダンもこれといった外傷は無かった。裏切りのような形で、派遣の者が誘拐の犯行を仕掛けたことは、人手不足に悩まされる狩人協会にとっては大きな痛手だった。今後、外部の者に対し強い警戒態勢が必要になるだろう、とニコラスは報告書に強い筆圧で書き記した。空中で墜落したルオールは打撲と骨折、バトーは重傷を負うも命に別状はない。二人の罪人は後日、ダン達と共にノアに乗船し、事情聴取をされる手筈となった。


「レニー!食べないの!?無くなっちゃうよ、お肉!」


「おいおい!遠慮されるのは上官として見過ごせねえな!皿貸せ!勝手に盛り付けてやる!」


「あはは、良いよ二人とも。もう3皿目だよ~?」


「お前のあの運動能力を見たが、相当なエネルギーを消費するだろう。他人の俺からしてもその飯の量は少し心配だ。」


「ジャクズレ!誰もお前の分まで奢るとは言ってねえぞ!」


 一行は任務を終えた後、ノアから出される送迎船の到着が遅れるということで、宿を取っていた。そしてその最寄りの大衆食堂へと集まって、その日の疲労を労い合いながら大飯を食らっていたのであった。そこでは常軌を逸する身体を持つはずのレニーが活躍に見合わない食事をするに対し、総出でお節介が焼かれていたところである。


「あ~、私もうお腹いっぱい!部屋に戻るね、ありがと!」


「おいレニー!」


「行っちゃった……」


 レニーはロングの金髪を揺らしながら、テーブルから逃げるように部屋へと向かう。その後ろ姿がなにを思っているのか、ダンには分かっているつもりだった。しかし自身の失態を恥じている人間に、自分が悪かったと伝えにいくことがどうにもむず痒く、それでは一体何をしていいのか、皆目見当がつかなかった。少年は下唇を噛みながら、先ほどまで肉を食べることで誤魔化していた胸中のもどかしさを、改めて見つめ直す。視線はいつのまにか下へと向いていた。


「ダン!なぁにテメエもしおらしくなってんだ!飯食うときくらい楽しくいろ!それが無理なら……」


「え……む、無理なら……?」


「今すぐ追いかけて話つけてこい!だらしねえ!」


「わ、わ、分かりましたぁ!」


 ニコラスは虎らしく、両手を広げ、まるで捕食をするかのように威嚇の構えをとった。その激昂は少年の背中を押すこととなったが、逃げるように走り去る少年の風のごとくの俊敏さに、少しばかり申し訳なく思う彼であった。


「いつもそんな感じなのか、アンタは。」


 その細身からは想像のつかないスピードで、次々と肉を丸のみしていくジャクズレは、傍目でその一部始終を見つめている。ゴクン、と音を立てて呑み込んだ後、口元を拭きつつニコラスに問う。


「はぁ、怖がらせたくて大声出してるわけじゃねえよ……ただレニーの奴はたまにああいう調子の時があるし、単独好きなあいつが珍しくパートナーを希望したってのに、最近はダンのことを恋人か弟かみてえに甘やかす。それが見てらんねえんだ。」


「ハッハッハ!おいおい、俺が聞いたのは、いつも君は部下のためにあんな感じで世話を焼いているのか、という話なんだが。」


「な……うるせえ!そんなに優しい奴じゃねえよ俺は。ただ、部下のメンタルケアも俺の仕事だ。特に今回は外部の人間とはいえだからな……俺は、そういうのが一番嫌いなんだ。」


 意地悪なジャクズレの質問に声を荒げつつも、男は遠くを眺めるようにそう答えた。既に酒が少しばかり入っている為に、その調子はどこか浮ついていたが、裏切りの話についてはひと際、声色が暗くなったのをジャクズレは気になっていた。


「裏切りについて、過去に何かあったのか?」


「その質問への興味関心の度合いによっちゃあ、お前への信頼も少しばかり揺らぐな。」


「む、そんなにプライバシーの話だったか、すまない。」


「そんなんじゃねえよ、つっても昔の話だ。思い出してはムカつく、その程度のもんさ。だからあんたが知る必要もねえ。」


 若干の空気の悪さを飲酒により誤魔化す二人。飲み干したグラスをそっと置くと、ニコラスは時計の針を見てからジャクズレに問うた。


「だが、俺はひと際信頼を大切にする。裏切られたからもう誰も信頼しないんじゃない、より一層強固なものを築きあげることが大事だと学んだ。」


「ご最もだな。……そういえば、お前があの時俺が撃つのを止めようとしたのも、やはり信頼によるものか?」


「あの時は……レニーの奴が無線機で言ってたんだよ、『許せない』って……」


「むっ……」


 息の詰まるような重たい雰囲気が一瞬、二人の間に立ち込める。あの純粋な乙女の、純粋な憎しみを、大人二人は侮ることができなかった。。


「まぁ、結果的にアンタが撃ってくれて助かった。俺なら失敗してたからな。外部の人間に失敗をカバーされるのもちと情けない話だが、あそこまで立派に処理してくれたなら、もはや何も言えねえよ。」


「そう褒めるな、安全圏で仕事をしたいから身に着けたようなものだ。」


「へへ……って訳で急な話なんだが……」


「なんだ、改まって。」


「俺は、お前を狩人協会の助っととして雇いたいと思っている。一緒に仕事をして、その優秀さに気付けたからな。」


「……!おいおい、言ってる事と違うぞ!いいのか、今日一日程度の仲で……」


 驚きつつも、ジャクズレは打って変わって急な信頼を受けたことに、忠告と言わんばかりの苦言を呈する。


「身元も割れてるし家族の存在も確認済み。本業がサラリーマンで副業の為に傭兵?へっ、おかしな奴だ。」


 突如手元の携帯端末で、ジャクズレの情報を確認する。既に狩人協会で洗いざらい情報を調べられていたらしい。ジャクズレはしかめた面で言う。


「……それが嘘の可能性もあるだろ。」


「お前が輸送車の中で家族の写真をじっと見つめていた所を、俺が見逃してるとでも?べっぴんなヒトの奥さんだったじゃねえか~この野郎!」


「な……なんで!おま……!」


 蛇顔が徐々に赤くなっていくのが見て分かる。ニヤニヤと悪い笑みを浮かべるニコラスを前に、その紅潮を隠そうとジャクズレはその場しのぎに酒を一気飲みする。


「はぁ……はぁ……クソ、任務前の癖なんだ、誰にもバレたことなかったのに……!」


「ちなみに、レニーも気づいてたぞ。うちは優秀なのが多いんだ。内部に人を入れるなら裏切りを見抜けねえなんてことはねえ。」


「……あー、クソ!気配を消すのは自信あったのになぁ……はぁ、分かったよ。」


 猛アプローチの末、その蛇の獣人は諦めがついたように、少し座り直してニコラスに向き直った。


「実際、興味が無かった訳じゃない。」


「お?」


「……蛇人間と人が結婚するってなった時に、周囲から奇妙な眼差しを向けられたもんだ。だが、あんたら狩人協会の活動のおかげで、結婚して数年、日本にいる妻は以前より変人扱いは受けなくなった。あんたらには俺も感謝してるし、その活動も少し面白そうだって以前から思ってた。だから……」


 その鋭い目つきは彼の真摯さを物語っていた。男は日本式の礼をニコラスに見せる。


「改めて、よろしく頼む。ジャクズレ・ダカオだ。」


「おう!貴君の良き働きを期待してるぜ。」






「レニー、いないの~?」


「寝てま~す。」


「起きてんじゃん……ネコ先輩がサンドイッチ買ってくれたって。」


 しばしの沈黙の後、申し訳なさそうにドアが開く。困り顔のような、それとも反省をしているのか、なんとも言えない表情のレニーが少しだけ空いた扉の隙間から、顔を覗かせる。


「ありがと、美味しくいただくね。」


「うん、明日出発らしいから、寝坊するなよってネコ先輩が言ってたよ。」


「はは、大丈夫だよ。今日はぐったりだもんね、私達。」


「うん……あ、あのさ、レニー。」


 サンドイッチの入った袋を渡しながら、ダンは視線を合わせずに言う。


「今日のことな――」


「ん。」


 少年の口元に人差し指が添えられる。レニーはその次の言葉を聞きたくなかったようだ。思わずダンも目を合わせるが、その表情は先ほどとは違い、なんでもないかのような陽気な笑顔だった。


「今日はお疲れ様、よくバトーに勝てたね。誇らしいよ。」


「あ……う、うん……ありがと……」


 ダンも年頃の男の子である。唇が触れた指の感触は生々しく、同時に聴く柔らかな声は、感触のイメージを少年の脳内でより強調していた。次に言うはずだった言葉も朧気になり、レニーが少しして扉を閉じた後も、熱を帯びた脳を冷やすため、扉の前で立ち尽くしていた。そして頭の中では、今日一日を総括する日記に、この事件を書くべきか否かの問答が繰り広げられていた。




ダン オオカミ少年日期 6日目


 今日は初めての任務の日だった。機密事項なので書けないけど、任務中にとんでもないトラブルにあって、とても怖かった。気を失っている間、レニーが僕の事を必死に助けようとしてたとネコ先輩が教えてくれて、すごくうれしかったのと同時に、情けなくて胸が痛くなった。

 バトーさんとルオールさんは結局悪い人たちだったけど、でも、最後に言っていた言葉がとても怖くて、なのになんだか悲しくて、嫌いになれな(日記はここで途絶えている。)

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