ep.2 Sonomama
「ダンちゃん……ダンチャン?なんか違うなぁ~」
「……」
「ダンくん!……う~~ん、ちょっと惜しい。」
「あのさ……」
「ダニー?ぷっ!なんか柄じゃないね~」
「もうさ!呼び捨てでいいから、ほんと……」
「ダン?確かに呼びやすいね、これでいっか!ダン!」
「うぅん……なに……?」
困った子犬のように顎を引き、しかめた顔をするこの子供の名はウォルフ・ダン・ガーネット。そしてその子犬はベッドで寝そべり、声のする方向に背を向けているのだが、その背を向けている相手は……
「なにって、私の呼び方も考えてくれよ~!マチルダ隊長から言われただろう?狩人協会の狩人として、レニーのパートナーになって働かないかって。ほら!今のうちに呼び方決めなよ!レニーさんとか、レニーちゃ~んって!」
この陽気で、少年にうざがられている娘はレニー・アルバである。狩人協会に数年勤務しており、まがい物であったとはいえ、屈強な獣人に対しても縄一本で拘束を完了してしまう程の技術と膂力の持ち主である。ふざけているようでかなりの実力者でもある為、彼女の所属する狩人協会特殊部隊の隊長であるマチルダから厚い信頼を受けている。
「じゃあ、レニーで。」
「ふ~ん?ふ~~~ん?そう、あくまでそういう感じなんだね?」
「前もやっただろこの流れ!」
ダンは山に潜み暮らしていた狼男の血を引く少年で、その血の稀少さにあやかって少年に近づいた、「先生」を名乗る悪人ウィリアム・ヘリオット博士の魔の手から、狩人協会の彼女に助けてもらったのだ。事件の直後、保護の名目で連れられた狩人協会の本拠地「ノア」にて、ダンはマチルダから正式に協会の組員として働かないかとスカウトされる。悩んだ末に一晩経ったところで、朝方から部屋に侵入したレニーにうざ絡みをされているという具合である。
「お互い呼び捨てだったら冷めてるみたいだろー!もっと慕いなさい!レニーお姉さまとか!ほらほら!」
「うわー!やめろやめ、うひゃ!ちょっと、くすぐっ……あひゃひゃひゃ!」
「ひゃー、良い声で鳴くわ鳴くわ!おりゃおりゃあ!」
昨日の血まみれの恐ろしい事件もまるで夢のように、二人は穏やかな時を過ごしていた。そして、そこに割って入るようにして強めのノックの音が鳴り響く。
「は~い。どなた……あら、ネコ先輩じゃないですかぁ。」
「あー、その呼び方やめてくんねえかレニー。後輩が皆そう呼ぶから困ってるんだ。」
ダンがくすぐり地獄の余韻で、しばらく悶えて苦しんでいる間にレニーが扉を開けると、そこには大柄の『ネコ先輩』と呼ばれる虎の獣人が扉の前に佇んでいた。
「ね、ネコ先輩?」
ダンは呼吸を整えて扉のほうを覗き込む。その獣人は、見た目は虎柄でかなりの筋肉質。全身が毛皮で覆われており、いかにも特殊部隊な装いの猫人間であった。その風貌は子供であるダンの目からはとても立派に、また逞しく感じられたのだろう。眩いほどの眼差しがネコ先輩に向けられる。
「な、なんだよその目つきは……俺はニコラス・アンデルセント。狩人協会特殊部隊の副隊長だ。今は隊長のマチルダが不在だから、事件のことと今後について話をしにきた。」
「あ、ダン!ネコ先輩はね〜マタタビはそんな好きじゃないんだよね、実は。」
「やかましいなお前は!こっちは仕事で来てるんだ、邪魔するなら自分の部屋に戻れ!」
「この子見ておくようにって言われてるんですよ~隊長に!これも立派な仕事です!」
「はぁ、どうだかな……」
「こいつ……!」
先のくすぐり地獄の恨みもまだ新鮮なダンは、白々しいほどに自信たっぷりのれにーの弁解に小さな怒りを覚える。
「まず、ボウズ。お前が被害にあった昨日の人造狼男事件についてだ。」
「すごい名前付きましたね~。」
「うるせえなぁ……現行犯で捕まったウィリアム・ヘリオットは、裁判で実刑判決が下されたのち、うちが提携する刑務所に投獄されることになった。まぁ君とは二度と関わることはないだろうが、一応報告義務があるのでな。人体実験という罪にふさわしい相応の刑罰が課されてることだろう。」
「そう、ですか……」
ダンは良い気持ちになれなかった。あまり心から信頼していた訳ではないにしろ、自分が物心ついた時に出会った人間で、文化的とはとても言えなかった自分に色々なことを教えてくれたからこそ、そう手放しに彼の事を憎めなかったのだ。何かを失った代わりに何かを得ようとしている気がして、ダンは胸のあたりが少し寂しくなった。
「何も気に病まなくていい。悪人は悪人の道を行くだけだ。次に君の今後についてだが……隊長から誘われたんだってな?」
「は、はい……歓迎するって……」
「それはとても名誉なことだ。あの人は厳しいからな。しかし君は
少年は小さく首を横に振った。申し訳なさそうな顔で応えたダンだが、ニコラスの視線はその後レニーのほうへと言った。組織の説明もせずに遊んでいたのか、という言葉を含んだ鋭い目つきである。視線を向けられた彼女は悪びれもなく、後ろに手を組んで知らんぷりをしている。
「レニーの馬鹿から聞かされていないんだな。俺からざっくり伝えよう。」
ニコラスは襟を正し、調子を整えて説明を始めた。
「我々狩人協会は、獣人族に関わるあらゆる問題を解決すべく世界を股にかける組織である。問題というのは、獣人の差別や人権問題がメインだが、近年は獣人による犯罪が増加しておりその対処に当たるのが特殊部隊の活動の殆どだ。人と獣人、どちらも敵になり得るのが我々の居る立場なのだ。」
「あの……獣人は、やっぱり危険なの?」
少年の質問は純粋で、何気なかった。またニコラスもその質問の意図を十分に理解し、平然としていた。しかしレニーだけがその言葉に良い表情を示さなかった。
「危険、と言えば危険だな。獣人は異常な興奮状態に陥ったり、特殊な条件を満たすと狂暴性が増す。その状態を我々は『発現する』と呼んでいる。その状態だけは手がつけられん。並の人間ではな。」
ダンは自分が拘束された時、マチルダが確かにそのような言葉を口にしていたのを思い出した。
「あぁ、余談だが、君がこうしてうちで一時的に保護されているのは事件の被害者だから、ではない。君が獣人族という枠組みの中でも特別奇妙な体質を持っているからだ。その稀少性ゆえに、先の事件のようにどこかの悪人の目に留まってしまうのを恐れて、我々の管理下に置いている訳だ。」
「そ、そうだったんですか……」
「君は世にも珍しい狼男。通常獣人というのは、ヒトと同じく生まれ持った姿形から変化することはない。だが狼男の場合は『発現』というかたちをもって狼男に変化する。だから厳密には狼の獣人ではなく狼男の獣人なんだ。もっとも君が持つ最大の稀少性は、満月の光を浴びるという条件がなくとも狼男になれるという自由さにあるが……」
ダンは自分の身体を改めて見つめるも、やはりただの少年のようにしか思えなかった。何か特別な力を秘めているという淡い期待はあっても、自分が何かを為せるような人間にはとても思えなかったからだ。
「うちとしては、君に来てもらえればとても嬉しいんだが……どうだ、狩人協会に入る気は?」
「ごめんなさい、まだ自分が何をできるのかよく分からない。人だって殴ったことないし、昨日初めて爪を振るったくらいで……僕はただの子供だから。」
「う~ん……そりゃいきなり言われりゃそうだよなぁ……」
ただの子供だから。その言葉は至極当たり前である。人手不足に悩まされ、少年の手も借りねばならない組織だとは、気丈なニコラスも流石に口にはできなかった。それでも、少年の将来性を鑑み、ここで手放したくはないと諦め兼ねる表情であった。また少年も、初めて他者から受けた熱い評価にたじろぎ、自他の温度差に戸惑っている。もじもじと指同士が絡む少年の手元を見て、ニコラスは優しく提案した。
「まあ、今ここで決めるようなことじゃない。君の今後の人生に関わるからな。1週間だ!1週間立てばノアはこの空域を出て、我々は次の任務に出る。その期間内に答えを出してくれ。」
「わ、分かりました。」
ぺこり、と小さな頭を下げて少年はニコラスに礼をする。一方のレニーはつまらなさそうに壁にもたれかかっていた。
「くれぐれも!自分の意志で決めてくれよな。例えばレニー、お前は調子に乗って適当なことを言うだろうから、あまりボウズを困らせるなよ。一人の時間を与えてやれ。」
「いぁ~い」
「どっちなんだその返事は……忠告したからな!」
語気のわりに、優しくドアを閉めてその場を後にしたニコラス。部屋に残ったレニーは小さく息をつくと、ダンのほうへ振り返った。
「な、なに……」
いまだに距離感が掴めずにいるダンは、いつもとは違う雰囲気で微笑むレニーを訝しんだ。
「私、君のこと好きだよ。」
「え、な!なんだよ急に!……適当いうなよ……」
「ううん、本当。私が撃たれて倒れた後、あの時狼男になった君に向かってもっかい銃撃が来たでしょ?君は無意識だったかもしれないけど、私や兵士に流れ弾がいかないよう全ての弾を切り裂いてた。」
「え、そ、そうなの……?」
「岩に当たって跳弾する可能性とか考えてたのかな?なんにせよ切り裂く必要のない弾まで全て真っ二つだもん。なにしてんだろって思っちゃった。でもすぐに分かった。誰も傷つけないようにする為だって、君はめちゃくちゃ優しいんだって。」
「いやぁ……僕は、そんな……」
レニーはいたって真剣に、ダンに真っ直ぐ向き合いながら淡々と思っていることを話した。適当なことを言っている訳ではないのはすぐに分かる。彼女の本心が自身の心に直に伝わっているのが如実に感じられる。恥ずかしさのあまり顔は赤らむばかりだが、少年は決して耳をふさぐことはなく、娘の告白を聞き続けた。
「先生が獄中にいるって聞いた時もあんまり良い顔してなかったもんね。騙されてたのに……」
「わ、わかった、分かったから。もう恥ずかしいから、やめて……」
少年は、恥ずかしさのあまり湯を沸かしたようになった顔の火照りを、手で覆い隠さんとした。
「ふふ、ごめんね。でも、君はもうあの山から出たんだ。」
君はあの山から出た。意味ありげにそう言い残すと、レニーは部屋を去った。少年に一人の時間をくれるというのだろうか。赤らめた顔の熱が冷めるまで、ダンは深呼吸をした。少年の小さい息の音は、ふいごのように、あるいは波のように。一人だけの寂しく静かな部屋の中で、弱く、弱く響いていた。
陽は傾き、空は朱色に染められていく。束の間の赤が支配する世界を、狩人協会の飛行拠点ノアがぽつんと浮かんでいた。その飛行船の甲板は、もうすぐ暗くなるというので全く人気がない。そこに唯一居たのは、手すりに手をかけ、夕陽と顔を合わせる1人の少年だけだった。太陽に向かい、憂いた顔でダンは思慮を巡らせた。
『僕は狼男だ。はじめは騙されるだけの可哀想な子供だった……力の覚醒も、無かったことにして逃げていた……普通の子供という存在に逃げていたんだ。』
かつて先生と慕ったウィリアムの顔が脳裏に浮かぶ。あの頃のような、変化のないゆるやかな日常が恋しい。しかしもうあの頃には戻れない。自分はあの山を出たのだから。
『だったら答えは一つしかない。でも何を怯えているんだ……何かが足りないのか……?』
ダンは目の前の太陽を見つめた。太陽はギラギラとその強かな輪郭を保ちながら、しかし落ちてゆく姿はどこか悲しく、あるいは愚かだ。赤にコーティングされたその丸を、しばらくじっと見た。これから大地に呑まれ、欠けてゆく太陽から、自分に欠けているものを探した。
「家族……そうだ、家族だ。」
少年の脳裏にレニーの顔が浮かんだ。自分には物心ついた時から家族と呼べる者が居なかった。そう呼びたい者も居なかった。だが、家族と呟けば頭の中にレニーの顔が浮かんでくる。まだ出会って1日ほどの娘が、何故自分の心にここまで響くのだろうか。
「わ、分からないぃ〜〜!」
「今度は何で悩んでるの?」
「うわっ!?あぶなっ!」
思わず喉奥からこぼれ出た少年の悲痛な叫びに、すかさず飛び出るように現れたのはレニーだった。驚きのあまりのけぞった少年は、柵から手を滑らせ、危うく転落しかける。
「おっと!ほい。」
「わっ、わ……」
レニーは即座にダンの胸ぐらを掴みぐいっと軽々抱き寄せた。まるでぬいぐるみでも抱くかのようなその軽率な仕草は、少年の心を更に混乱させる。
「ちょっと、ちょっと!その……やめて……」
「ごめん、嫌だった……?」
叱られたペットのような、萎れた声で謝罪をするレニー。悪びれた様子の彼女は珍しい。ダンはフォローをする様に言葉を足した。
「いやっ、そのっ、分からないんだ……。僕、人とこんなに長く接するのは初めてで……せんせ、ウィリアムとは壁越しでたまにしか話さなかったし……」
「ふんふん。」
「こんなに人と面と向かって話すのは、なんだか、その……分からないんだ。」
「つまり、家族も知らないの?」
「うぐっ……!」
どうやらその言葉まで漏れていた挙句、聴かれてしまっていたようで、恥ずかしさと混乱で少年は手で顔を覆う。何も知らない、何も分からない。その二語が彼の頭を支配する。
「じゃあ私が教えてあげるよ。ほら!」
「ちょっと、ぐえっ!」
「私の家族はね、嬉しいことや楽しいことがあった時、ハグをしてたんだ。今私は嬉しいよ。君と楽しくお話ができて。君だって、たま~に嫌な顔するけど本気で嫌がったりはしないじゃん。僕は寂しいんだぞーって、ずっと顔に出てる。」
「そ、それは、だって……」
「ふぅ。君は自分一人で考えすぎなんだよ。狩人協会に入ってからもそうする気?もしかして一人で仕事すると思ってるの?」
「やっ、そんなつもりは……!だって、自分のことだし、自分一人で決めないと……」
「バカだなぁ。私と二人で頑張るんでしょ。私たちはパートナーなんだから。駄目だよ、私も巻き込んでくれないと。ダン!」
ダンは今朝のことを思い出した。あの時は、起き抜けから猛アピールをするので何事かと思ったが、その時から既に少年の抱え込みがちな性格を見抜いていたのだろうか。あるいはただのわがままが起こした偶然か。どちらにしろダンは自分がこのまま一人で悩むべきで無いことは薄々分かっていた。家族と呼べる程の頼れる誰かを、悩みながらに欲していたのだ。目の前のレニーこそが自分のパートナーであり家族なのだと、かつての孤立無縁の狼男は理解した。やがてレニーはハグを解き、少年を自由にする。少年は彼女の甘い匂いが肌身に残ったのをやけに気にしているようで、狼ながらにそわそわしているのを、レニーはしばらく笑って見ていた。そうして、落日はとうに昔の話となった。
「なんだ、思ったより早かったな。まだ6日あるぞ。」
「はい、もう決まったので、伝えに来ました。」
「レニーの奴になんか吹き込まれなかったか?」
「ははは……大丈夫です。僕は、狩人協会に入ります。」
少年の眼はとても真っ直ぐだった。答えを聞いたニコラスも、その姿勢を見て彼が自分の意志で決断を下したのだと理解する。
「分かった!今日この日をもって、君は晴れて狩人協会の特殊部隊員、狩人の一人だ!」
「いぇーい、いえーい!フーフー!」
「盛り上げはいいんだよレニー。さあ、隊長!」
「ああ。」
マチルダがニコラスの背後から現れる。手には制服とバッジがあり、それぞれが協会に所属することを示す物だ。
「ウォルフ・ダン・ガーネット。君は見習い兵としてレニーと共に行動をしてもらう。我々の部隊はツーマンセルでことに当たる少数精鋭だ。君の成長と組織への貢献を期待している。これを。」
「はい、頑張ります!」
少年に光もしない鈍色のバッジと、厳かな黒味の制服が渡された。この準備の良さから、相当に彼らに期待されていたのだろう、と少年は想像する。多少のプレッシャーをその身で感じながら、またノアの船員や狩人協会の面々から拍手を受けながら、少年は制服に袖を通した。
「ウォルフ・ダン・ガーネットを知っているか?」
光一つない暗闇の中で、その獣人は金属を弾かせ、音を響かせながら問う。
「聞いたことねえな。犯罪者か?」
「じゃあ、狩人協会を知っているか?」
「あぁ、10年くらい前に出来た組織だろ。表向きは獣人族向けの弁護士だとかボランティア活動をしてる団体で、裏は各国の獣人に関するいざこざに首を突っ込んでるお節介焼き共……」
話声の合間に、獣のような、あるいは人のような小さな悲鳴が弾むように聞こえてくる。
「この前、そのウォルフなんとかガーネットって奴の手配書が、ネットで出回ってたんだ。でも狩人協会が即効でネットのもリアルのも消しちまった。情報は殆ど消されて、残ってるのは名前と狼の顔だけ。まあつまり、手配書が無効になったから大手を振って捕まえられねえんだよ。オイ!」
「ひっ、ひぃ!」
悲鳴の主である男は丈夫な縄で縛られており、身動きの取れないまま腹部に鋭い何かを突きつけられる。
「これが何かわかるか?暗闇で目が利かないお前には見えないだろうなぁ。」
「や、やめてくれ!殺さないでくれ!何も知らないんだ、その少年のことも……何も!」
「おっかしーなー。協会がこのガキを回収したんじゃねえのか?なんも知らねえって……」
「バトー、コイツまだ拠点に帰ってなくて、それで知らねえんじゃねえか?」
「あー!あり得るな。じゃあコイツ要らねえじゃん。」
「な、何を!何をするんだ!」
「次は熱した鉄だ。」
再び、金属の弾く音が聞こえる。刃物とも言い難いなまくらなその金属音も、明かり一つない暗闇の中では想像力の限りどんな凶器にもなってしまう。熱など全く帯びていないただの鉄の棒が、男の体に当てられる。
「ぐああ!ああああ!やめろぉ、うああああ!」
「へへ、馬鹿みてえだな。分からねえってのは怖えなぁ。」
「バトー、そもそもなんでその狼の化け物を追うんだ?」
「ただの狼じゃねえ。狼男っつーもはや幻の生き物さ。どこぞの辺境の村じゃ神様扱いされてるくらいだぜ?闇市場で見世物にして高値で売るんだよ。数年は働かなくていい大金が手に入るらしい。」
「ま、マジかよ!そいつはやるしかねえな!」
「目指すは狩人協会本部、と言いてえところだが、そこまでは無理だから、コイツを使うんだ、ルオール。」
闇に悪意が蠢く。マチルダからの報告によると、狩人協会の組員が一人行方不明となった。彼はアジア地域の紛争区域で獣人の人口調査中に誘拐され、未だに安否は分かっていない。悪意は小さな火種をかき集め、燻り続けやがて大火を成す。協会を、そしてダンを襲う事件が、闇の中で育とうとしていた。
ウォルフ・ダン・ガーネットが狩人協会に正式加入して、数日。
「さあさあ、絶好のお勉強日和だ。ダン少年、君はまだまだ無知で蒙昧なので獣人のことについて少しお勉強だよ!」
「よ、よろしくお願いします!えーっと……」
「ノアの医療に携わる、タカモリだよ!よろしく!見ての通り鷹の獣人さ。」
「お、おお……!」
獣人族はその身を誇りの思う者も多い。大昔、姓名をつけるその時から彼らは自身の遺伝的特徴を名前に込めた。鷹の獣人タカモリ・サネミもその一人である。文字通りタカのような顔に、わずかに羽の名残のような毛が、袖をまくった腕から顔を覗かせているのが分かる。はっきりとしたその顔立ちとスタイルは、とても非戦闘員とは思えない風貌であった。そう、すなわちカッコいいのである。男心をくすぐられたダンは妙にそわそわしている。
「はは、そんな期待されても困る。僕はインドアだからね。今回は君に獣人が何たるか、またBakemonoとはなんなのかを教えるよ。まあ難しいことはないから安心しなよ!」
「は、はい!」
「まず、獣人族が生まれた時期はあまり分かっていない。ただ歴史はそこまで古くなくて、紀元後100年が経たずしてその存在が歴史上で発見されている。化石も存在していて、初期の獣人はかなり起源の動物に近かった。それが色々変化して今に至って2世代目とか3世代目とか呼ぶんだけど……まあここらへんの話はどうでもいいや!」
「えっ。」
「君に知ってほしいのは今の獣人さ。化け物という世間一般の呼び方も気になるだろう?」
「は、はぁ。」
「社会問題の話だけど、獣人は概して貧困層、庶民層が多い。ただ起源とする動物の種によっては頭の良い者もいてね、そういう獣人は経済的に派手に成功するから、ヒトから恨まれやすいんだ。」
「嫉妬……」
「単純な話、そうだね。世界中が経済的に整いだした今の時代、表に出てくる獣人も少なくない。ただ世界のいたるところで、獣人族に対して根底から偏見や差別を取りやめない者はまだ多い。酷い所は、制度や法なんかで獣人をあえて苦しめる国もある。」
「そんな、ひどすぎる……」
「だが、幸か不幸か、我々獣人族には力があった。野生動物を起源とする文字通り超人的な力が。それで長い事ヒトからの迫害に耐えてたんだ。でもヒトにとって、人を超えるというのはとても恐ろしいものだ。獣人の力に怯えた彼らはより差別意識を強めた。差別は弱いからされるだけじゃない。怖いから差別されることもあるんだ。こっちの場合より問題は複雑だよ。」
ダンは先日の自分が狼男となった姿を思い出す。確かに、自分を取り囲む兵士たちは戦慄していた。銃を持っていながら、丸腰の自分を恐れるヒト達。ヒトと獣人の根深い問題はもはや他人事ではない。少年はその身と記憶をもって痛感する。
「そうした差別の延長で使われだした言葉が、Bakemonoさ。この言葉をあまり意に介さない獣人族もいるが、我々狩人協会はこの呼称を好まない。だが呼び方を消すというのも言論弾圧と批判されるので、獣人族が極まれに引き起こす狂暴化状態、すなわち『発現した』状態をBakemonoと呼ぼう、と世間に主張したんだ。ヒトと獣人、どちらも共通の脅威となる者に対してのみそう言うのならば、誰も文句はない。首脳各国の集まる国連総会でこの呼び方を提唱してから、先進国などでは認識も改まってきてる。」
「おぉ、なんかすごい……」
「ははは!まあ狩人協会の表の活動だね。」
「表?じゃあ裏は……」
「君も見ただろう?レニーの快進撃を。血が出るような荒事、獣人に苦痛が及んだり、獣人が誰かに苦痛を与えているようなら、場合によっては力づくで。それが狩人の役目なのさ。」
「なるほどぉ……」
「ははは!真面目だねえ。明日出動するから気合入ってるのかな?」
「え!?」
明日出動する。その言葉にダンは驚く。まだしばらく室内での訓練や勉強が続くと思っていたので、突如聞かされた予定に開いた口がふさがらない。また、レニーからも何も知らされていないという状況に嫌な汗が止まらなかった。
「あんの馬鹿……レニーの奴、ちゃんとダンに教えてなかったな!?」
頭を抱え、タカモリ・サネミは大きな声で嘆いた。ダンの勉強部屋の外、廊下から物凄い勢いで足音が聞こえてくる。少しして部屋のドアが、鉄でできているにも関わらず心配になるほどの爆音と共に開く。レニーが大慌てで部屋に突入してきたのだ。
「ごめん、ダン!明日任務あるの忘れてた!急いで準備して……げっ!」
「レニー!」
「タカモリ!?怒らないで~!」
タカモリを見るや否や、レニーは再び大慌てで廊下を走り、逃げ出す。協会の組員たちの驚く声や悲鳴が聞こえる。この午後の授業は、衝撃の事実によりあわただしく中断され、明日に控えた任務の準備のためにダンは船内を走り回ることになる。
ダン オオカミ少年日期 5日目
今日は本当に忙しい一日だった。特に午後。レニーが明日にある任務を僕に伝えず数日放置していたらしい。彼女も悪気はなかったんだろうけど、初任務をどたばたで迎えるこっちの身も考えてほしい。タカモリさんは優しくて、任務にあたって必要そうなものを僕と一緒に見繕ってくれた。その際中遠巻きでこっちを見るレニーを何度か見たけどタカモリさんが怖いらしくて全然近づいてこなかった。それが少しおかしくって面白かった。日記終わり!(けど、どうせならレニーと一緒に準備したかったな。と消しゴムで消した後がうっすら見える。)
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