Bakemono

泡森なつ

ep.1 Bakemono

「君は何者だ?」


 ばけもの……。


「違う、何の化け物か聞いているんだ。」


 人と……狼。


「そうか狼男か。近頃見なくなったが、やはりこの山にいたのか。狼男……」




 満月は雲に度々食われ、その肌はざわざわと逆立っている。しかし満月を前にして毛が生える訳でも、牙が大きくなる訳でもない。ただの人にしか見えないのにその血だけは明確に化け物であるという事実。幼い銀髪の狼男ウォルフ・ダン・ガーネットは小さな部屋の中で呟いた。


「果たして僕は、自由なんだろうか。」


「はは、何を言っているんだい。月1の予防注射から君が逃げ回るから、こうして半強制的に部屋に入れているだけだ。大人しくしてくれれば明日にでもここを出られるよ。私はただの獣医なんだから。」


 カラン、と金属とガラスの弾むような音が壁越しに聞こえた。狼男を隔離した張本人であるこの男は、なんの悪気もないように話している。


「注射は、こわいもん……それに違う、違うんだよ先生。僕は狼男だけど、それは生物学的なもので……僕には体を覆う毛もなければ、攻撃するための鋭い牙も爪もない。だから……」


「どっちでもない、だから自由じゃない?好きにすればいいじゃないか。人間がいいなら人間、狼男がいいなら狼男だと言えばいい。ある意味君が一番自由だよ。どっちにでもなれるんだから。」


「……でも、化け物なんでしょ?」


「……まあ、まだ風当たりは厳しいよ。半分野生みたいなものだからね。3世代目の君まで来ると、結構落ち着いているようだけど……」


 ダンは先生の話をよそにぼうっとした。化け物専用の小さな隔離部屋はまるで牢屋のようで、格子窓から月が顔を覗かせている。やはり毛が生えることはないが、どこか落ち着かないものだ。考え事を探す為に壁へと目をやった。何かのひっかき傷か、大きく暴れたような跡がそこら中にある。この化け物専門健康診察所、別名動物病院にはこれまで多くの化け物たちが連れてこられたと先生は語った。どれも若く幼いが、イヌやネコ、鳥、トカゲのような爬虫類まで。ダンもその一人だった。この壁の傷は彼らが残したものだろうか、少年は壁の一番深い傷後を指でなぞる。


「ふあぁ……、先生、明日のいつに出られるの?」


「んー?昼までにはなんとか。」


「そう……うん……」


 ダンは先生の返答をきくや否や、安心したのか、それとも眠気が限界に達したのか。さざ波のように訪れる微睡の中に少年は意識を落としていった。


 先生……その人はダンが12歳の時に山奥で出会った。互いに第一印象は小さな子供と白衣の中年。満月の夜、月明りだけを頼りに先生は山奥で化け物調査に出ていた。国からの命令で国立の機関から追い出され、辺境に住む人と化け物どちらにもなり得る種族、『獣人族』の健康管理任務を任されてそんな仕事をしていたという。ダンは満月の夜にのみ狼になることができる化け物、伝承で言うなれば狼男だ。近年、元々少なかったその人口は更に減り、ついに絶滅したかと言うときに先生はダンを見つけた。彼は他の動物に襲われていた、まだ幼い子供だったダンを治療し、その健康状態を月に1度見てあげていた。それから3年の月日が流れ、今やこうして満月の下、親と子とも言えない奇妙な関係を細々と続けている。先生はなぜダンに家族もおらず、都会にもいかず、文字通り一匹オオカミなのか知る由もなかったが、国から与えられたなけなしの仕事を粛々とこなすのみであった。


「おやすみ、先生。」


「ああ、おやすみ。」




 その日は夢を見た。赤い床の上に立つ夢を。床は綺麗な素材なのか、反射する自分の顔がよく見えた。しかしそこに映る自分は見たこともない狼の姿で、毛もあり牙もあり、するどい爪も携えていた。思わず動揺し後ずさりをするも、その自分の動きに合わせて反射する自分はぐにゃぐにゃと歪んでいく。この時ようやく自分が見つめている床が水たまりであると分かり、その赤はそういう素材なのではなく、自分が誰かを殺して血だまりを作ったのだと理解した。


「う、うわあ!」


 ショックのあまり、現実に引き戻されるように体を起こして目を覚ました。真っ先に目に入ったのはあの壁の傷痕であった。


「はぁ、なんだったんだ……今の夢は……」


 先ほどの悪夢と打って変わり、周囲の空気は瑞々しい。夜は息をひそめていた鳥たちも昼になって活気をもって鳴いている。


「あれ、お昼?」


 周囲を見渡す。牢のような小部屋は、扉が開けっ放しになっており風通しが良い。


「先生ー!どこー?もうお昼だよー!」


 勝手に部屋を出る訳にもいかないと思ったが、そこは優しい彼のことだ。恐らく咎めることはないだろう。恐る恐る小部屋から出たダンは先生の居た部屋の様子を確かめた。


「なんでモノは全部置かれたままなんだろう……。」


 この施設は都心部を嫌い、山や森などの自然地帯に住む化け物たちの健康管理のためのものだ。いかにも重要そうな書類が置かれたままであり、中にはダンの診察書まであった。ふと、視界の端のほうで何かが動くのが見える。腐っても狼の血を引くダンは、それが動いた窓辺の方向を即座に確かめた。


「もしかして……先生?」


 その対象はとても素早く、ダンが気づくや否やその場から逃げ去っていった。不審に思ったダンは一つの不吉な予想を立てる。


『僕たち化け物は人間からはあまりよく思われない存在で、それが理由で正体を隠している人もいると先生は言ってた。もし誰かが僕らへの迫害のつもりで先生をさらったとしたら……』


「ま、待て!」


 結論がまとまる前に足早にその施設を出て、ダンは風のごとく、草木を時には避け、時には折りながら窓辺の誰かを追跡した。




 感覚にして数百メートルか、人気のない山の中に立つ動物病院は振り返ろうともとうに見えず、追いかけていた相手の気配すらなくなってしまった。あたりはシンと静まっていて、自分が追いかけていた者はやはりもうその場にはいないのだと確認する。


「なんだアレは……速すぎる。」


 少年は先の光景を振り返り、自分よりも図体は大きく、この木々が生い茂る野山を駆けるには似合わない図体だったことを思い出す。しかし対象が逃げた方向にそのような痕跡は無く、辺りを見渡してもやはり何もない。そうしてしばらく周囲の空気に触れている内に、その場には動物の鳴き声すらもなく、木の葉の擦れる音だけがその場を支配していたのに気づいた。その静寂はあまりにも静かすぎたのだ。やがてダンは言い表せない違和感に気付き始める。


「誰だ!」


 喉を鳴らし、あたかも狼のように低く構えるダン。正確に見ることはできなかったが、ナニかは視界の中にいた。自然の景色に擬態しており、落ち葉が擬態したその者に落ちるまで、気づけないでいたのだ。


「くっ……待て!争うつもりはないよ!」


茂みから出てきたのは狩人の姿をした金髪の女である。しかしその身なりは町娘と思うにはあまりに物々しく、深緑の頭巾に猟銃を携えた、すなわち猟師の装いであった。


「信用できない……!」


「なんでよ、ほら、銃口は上向いてるでしょ?」


ヒョイ、と銃身を持ち上げる動作をし、その女はアピールをしたつもりだった。しかしそれがダンの本能を少しでも刺激したのか、ダンは思わず早とちりをし、瞬時に間合いを詰めて飛び掛かった。


「くっ……おい!」


「ぐあっ……!」


少年が飛び掛かるも、女は少年を組み伏して銃を首にあてがい、肩を抑えるようにして返り討ちに遭わせる。


「君もしかして混血?妙にすばしっこいと思ったけど滅茶苦茶弱いんだね。」


「な、なんだと!?この、このっ!」


「諦めなよ、こっちは一流だ。」


 ダンが身もだえするうちにその手足には縄が括り付けられており、あっという間に近くの木に縛り付けられ、無抵抗のまま腹を晒すことになる。通常、野生動物において腹部を相手に見せることは敗北や服従を意味する。化け物たちにとってもそれは同様である。


「くっそぉ……誰だ、お前は!先生をどこに……!」


「私はレニー・アルバ。その先生ってのは誰の事か知らないけど、たまたま狩りをしてた時に君が襲ってきたんでしょーが。」


「いてっ!」


 銃床で頭を叩かれ、少年は思わず涙をにじませる。この女は先生を知らない。また追っていたあの素早い人影でもない。ではアレは一体どこへ行ったのか。先生はどこへ?依然ダンの中で疑問は膨らむばかりであった。


「人を探してたんだ。先生っていう、名前は知らないけど白衣と茶髪のおじさんで……怪しい人をさっき見かけたから、ここまで追ってきたんだ……。」


 弁解も含め、少年はたどたどしく状況を説明する。


「それで私に襲い掛かってきたんだね。」


「……うん。」


 冷静になれば、いきなり襲い掛かることもない。親しい人間が消えた焦りからか、それとも自分が狼男だからなのか。化け物とされる称される所以をその身でひしひしと感じながら、目の前のこの女にダンは目を合わせることもできずにいた。


「あー、……んで何してる人なのさ、その先生ってのは。そんな呼び方してるくらいだし堅苦しい職業なんでしょきっと。働いてる所が分かったら探すのくらい簡単だろうさ。」


「え、探してくれるの?」


 思わぬ協力に、目を輝かせてレニーを見つめる。嘘とは言わせない綺麗な瞳である。


「そ、そりゃあ、まあ!こっちも仕事で来てるからそんなに余裕ないけど、手伝ってあげるよ!それくらい!」


 自然な流れで助けるつもりだったが、不意に見せられた少年の純粋な感謝の表情に、思わず照れ笑いをするレニー。彼女もまた気恥ずかしさからダンと目を合わせられなかった。







「そういえば、なんでお姉さんはこんな山奥に?」


「レニーでいいよ。それかアルバお姉さま、とか?」


「じゃあレニーで。」


「あっそ……、これ見て飛んで来たの。シルバーメール、狩人の通達書。」


 レニーが鞄から取り出したのは一枚の紙だ。くしゃくしゃで読みづらいが、広げてみるとそこには狂暴そうな狼男の写真と、賞金金額が大きく載っていた。ダンには金の価値が分からない。しかしその狼にどこか見覚えがあるのか、まじまじと見つめる少年にレニーは問いかける。


「君さ、さっきの構えといい……もしかして狼男?」


「え、そ、そうだけど……え、なに。」


「ははは!そんなに警戒しなくても別に捕まえたりはしないよ。でも珍しいね。まだいたんだ、狼男。ねえ、もし家族とか知り合いで見覚えある奴居たら絶対教えてね。コイツ滅茶苦茶悪い奴だから……」


 先ほどまで朗らかに喋っていたレニーが、突如真面目な顔でそう伝えるものだから、ダンも思わず固唾を飲みながら頷いた。


「ね、ねえ、このかりうどきょうかいって?」


「これ?狩人協会は私の仕事先。普段デスクワークだけど、今日みたいな荒事の時は政府だったり民間企業とかから対処の依頼が来るの。」


「ですくわーく?」


「あら、なんにも知らないのね~。機械をいじったり書類を沢山読む仕事よ~!」


 ニヒヒ、と笑いながらキーボードを叩く動作をするレニー。少年にはその動きの意味は分からなかったが、小馬鹿にしたことだけは伝わったのか、むすっと頬を膨らませて睨む。少年を虐めるサディズムに興じるレニーはそのことを楽しむばかりだったが、ダンは合わせていた歩調を足早に切り替えて、仕返しと言わんばかりに先を走って行った。


「あー!ちょっと待ってよ~!ごめんって……」


「……イマカ……マテ……アト……ダ……」


 突如、少年が走り出したのと同時に、レニーは不穏な気配を察知した。少年の走る先に何か明確な殺意を感じ取ったのだ。狩人としての勘がレニーの身体を動かした。出来得る限りの力で踏み込み、全速力でダンの元へ向かう。


「ダン、止まれ!」


「撃て!」


 ダンが獣道から飛び出し、少し広がった空間へと足を踏み込んだ瞬間の出来事であった。茂みから放たれた数発の弾丸がダンに向かっていく。







「ハァ……ハァ……こんくらいで泣くなぁ、男の子がさぁ……っぐ!」


ゆらゆらと落ち葉が震える体に落ち、傍観するように森の木が二人を囲む。未だ少年の耳の中には、無情な発砲音の残響が尾を引いていた。


「レニー、レニー!……なんで、僕を庇って……!」


 倒れたのはダンではなくレニーの方であった。弾丸が少年に到達する前に、なんとレニーが少年に追い付き、抱きかかえ、更には肩を翻して弾丸に背を向け代わりにそれらを受けたのだ。ダンははじめ、自分の身に何が起こったのか全く理解できかった。しかし血まみれで倒れる少女と、それを揺さぶる自身の姿が血だまりに反射するのを見て、自分は守られたのだと、彼女は自分の為に重傷を負ったのだと解すことができた。


「愚かな女だ……なぜその子供を庇うのか。」


 その声にダンは振り返る。声の主は白衣を着ており、茶髪の中年男性という見覚えのある人物だった。


「先生!なんで、なんで先生が……」


「ああ、ダン。勝手に部屋から出るなんて駄目じゃないか。心配したよ。とても、とてもね。」


 不敵に笑うその男を、ダンはもはや信用できない。辺りを囲む数人の武装した兵が、変わらず自身に銃を向けているからだ。


「なんだ、そんなに不思議か?私が君に銃を向けることが。手に負えなくなれば始末するのが人間の道理だ。君は自分が人と化け物、どっちを選んだのか覚えていないようだね。」


「ど、どういう……。」


「あの施設はね、この山に昔から住む狼の血を持つ者たちの為の施設なんだ。人間は化け物を恐れるがその強い肉体は欲しい。実にわがままな生き物だ。」


 ダンの怯えた瞳を見つめ、先生は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「しかし近年狼男は珍しくてねぇ。施設を建ててから君以外一度も見られなかった。それまでイヌネコやトカゲ、ニワトリの混血種の奴らとも会ったが……どいつも使えなかった。人工的に化け物を作るなんてことは到底不可能だった。」


「何言ってるの……ただの動物病院じゃないの!?健康とか、血を取るだけの場所なんでしょ!?なんでそんなこと……!」


「ああそうだ、君は違った。どいつらも2世代目の癖にほぼ人間か、中途半端な動物の遺伝子しか残っていなかった。しかし君だけは違う!月夜に眠れば、まごう事なく狼男になった!毎月、満月の夜に調べた君の身体は誰よりも濃い化け物の血を持っていたんだ!君は自分をなんの特徴も持たない化け物だと思っているだろうが、逆だ!」


 先生は懐から一枚の紙を取り出し、ダンに見せつける。それは先の狩人の集いから出されたシルバーメールにあった写真と似た、狂暴な狼男の顔であった。


「月光に照らされ、眠りについた時君は誰よりも狂暴になれる!そして平生の君はその時の自分を覚えておらず、自分の危うさも理解せずに冷たい箱の中で物憂げに佇むだけだ!おかげで安全に君を調べることができた……!」


 少年は突き出されたその紙にある名前を見る。自身の名ウォルフ・ダン・ガーネットの文字の上に、大きく判で押された文字があるのが分かった。


「Bakemonoって……」


「君のことだよ。あの小部屋の壁の傷も、この写真も。全て君なんだ。」


「嘘だ、嘘だ……僕は毛も生えない、牙も爪も普通の……ただの子供なんだよ……」


「嘘じゃないさ、これは君なんだ。認めるべきなんだ。そして、狼男の研究が終わった今、大人しく死ぬべきなんだよ。それが君が選んだ化け物という道の最後だ。」


「僕は、ただ……普通の……」


「ふん。西の国に狼少年という物語がある。嘘を振りまいて周囲の人間に迷惑をかけていた子供が、やがて何も信じてもらえず遂には死に至る悲しい話だ。君の場合は自分に嘘をつき続けて死ぬのだな。」


「ウィリアム博士!そろそろ撤退の時間です。」


「ああ、すぐに終わらせるよ。」


「ウィリアム……」


少年は血だまりの中で呟く。


「そういえば君には教えていなかったな。私の名前。覚えておくんだ、ウィリアム・エリオット。君を殺した男の名だよ。」







 ウィリアムが言い終えたと同時に、周囲に赤い飛沫が舞った。この場の誰もが理解できなかったことである。その場にいたウィリアム、兵、そしてダンの誰も流血した訳ではない。しかし血は激しく舞い上がり、武器を持つ者もすぐには動けなかった。


「ウグゥゥゥ……僕は……僕は……!」


「な、なんと!」


 時間にして1秒と経たず、場は静まり返る。兵たちは常にダンを見ていたが、その瞬間を目撃することはできなかった。


「おお、まさか眠っていなくとも、眠らずともその力が出せるか!正真正銘の人狼なのだな、君は!」


「そうだ、僕は化け物の狼男、嘘つきの人狼のダン……お前を殺す男の名だ……!」


 注視する兵士たちの意識をかいくぐり、少年はいつの間にか毛を携え、鋭い爪や牙を持つ狼男へと変貌した。少年自身は正気を保っていないようで、並々ならぬ殺気がその場の空気を異常なまでに重くしていた。


「ハッハッハ!お前たち、早く撃て!」


 殺気をあてられようとも笑みを崩さず、ウィリアムは余裕そうに指示をする。それに応え、不測の事態であってもすかさず弾丸を少年へと撃ち込む兵たち。状況は明らかに劣勢であったが、その刹那、少年を中心に風が巻き起こる。否それは風そのものではなく風を切るような爪撃であった。弾は二つや三つに割かれ、軌道を変えて周囲の木々や地面に当たる。


「ば、馬鹿な!」


 斬られたのは弾丸だけでなく、兵たちが構えていた銃までも、工業機械で切断されたように壊されていた。


「困ったなぁ、高いんだぞそれ……」


「ウィリアム博士!ここは撤退を!」


「馬鹿を言え!あのまま未完の人狼なら始末するつもりだったが、いつでも狼男になれるのなら話が違う。どうせすぐには死なないのだろう?軽く痛めつけてから持ち帰るんだ!」


「は、博士!?」


 ウィリアムは懐から小瓶を取り出したかと思うと、中にあるものをぐいっと飲み干した。直後、男の身体から毛が不自然に変質するように生え、血を流しながら牙や爪が異常に発達していく。その変異した姿はさながら巨大な人狼であった。


「グウゥ、やはり少々不格好だな……これで狼男になれたとは、とても恥ずかしくて言えないねぇ……」


「で、でかい……」


 思わずダンも声を漏らす程、ウィリアムは2メートルを優に超える体躯となり、その爪や牙も少年のものとは比べ物にならないサイズである。


「フハハハ!まあなったついでだから、軽く裂かれてみようか!ダンよぉ!」


「ま、マズイ!」


 呆気に取られるあまり身じろぎできないまま、爪の先は高速でダンの元へと向かう。絶体絶命の中、ダンは腕を構え守りの姿勢を取るしかなかった。しかし、少年は窮地の最中、自身の背後で何かが動き出すのを感じた。


「全員、その場に伏せろ!」


 甲高い、しかし逞しいほどに威圧感のある声がその場に響く。それを認識した瞬間、ダンも、そしてウィリアムでさえも大地に腹をつけて伏していた。見覚えのある拘束までされて。


「ま、まさか……!」


「なぜ生きている、レニー・アルバ!」


 木々を巧みに使い、縄で二人を拘束していたのは、弾丸を受け血まみれで倒れていた筈のレニーであった。


「くだらない質問だね、ただの弾丸くらいじゃ死なないとだけ答えておこうか。」


 手品でもなんでもない、確かに女の背中からは血が流れており、先ほどの出血量も嘘ではないと、すぐそばにある血の水たまりが示している。


「これよりあんた等を、混血人種の人権侵害と殺人の現行犯で逮捕するわ。あとあんたの研究も、国際法に触れてるって前から通報があったのよウィリアム博士。調査次第じゃ滅茶苦茶に重罪だからね。」


「ば、馬鹿な……狩人協会か貴様ら!」


「正解!正解ついでに聞くけど、この狼男の写真ってこの子供じゃなくて君で合ってる?」


 レニーは先ほどのクシャクシャのシルバーメールと、ウィリアムがダンに見せた時の紙を並べる。


「なんのことだか、汚くてよく分からな……グア!」


「狩人協会は優秀よ。あんたが獣になろうと面はすぐに割れるわ。子供と似た狼の顔になって悪さでもしようとしたって訳ね?」


ウィリアムの爪をへし折るように踏みつけるレニー。戦う意思が消えた大型の狼男はやがて小さくなり、変質した毛ももとの姿となて、後には縛られた半裸の中年男性だけがそこに残った。


「おおかた、この子供が追ってたすばしっこい奴もあんたの事なんでしょうね……はぁ~一人でかき回してくれたわほんと。」


「それ、僕のじゃなかったの……?」


「ん?あぁこのシルバーメールの奴ね。」


 レニーは少年が視線で刺す紙に目を遣る。


「まー、君の顔そんな狂暴じゃないしね~?にひひ!」


 尋ねる少年に、意地悪そうな笑みで返す金髪の乙女。大きな狼男を縛り付け、その大きな爪をへし折る姿はなんとも荒々しいが、気品と朗々とした雰囲気溢れるその笑顔に、ダンは意地悪に対して怒る訳でもなく、ただ眩しいという思いしか抱かなかった。


「でも、この馬鹿博士があんたに見せたこっちの紙はあんた本人で間違いないわよ。ふふ、写真うつりはいいようね。」


「えっと……レニー、ところでなんで僕まで縛られてるの?」


「それはねぇ……お、この笛の音は。」


 レニーの圧倒的な制圧により兵たちも戦意を喪失し、場が完全に大人しくなった頃。二人の会話を遮るように上空から鳥の声のような笛の音が鳴り響いた。空を見上げると鷹が笛をぶら下げて旋回をしているのが見える。


「狩人協会が参った!レニー・アルバ、お勤め御苦労!あとは我々が始末を任されよう!」


 高圧的な口調で茂みからぬうっと姿を現したのは、レニーよりも幾分か背が高く、同じく金髪の若い女性であった。


「隊長、遅いですよ!鉛玉を9発貰いました~!」


「文句は安い賃金を貰ってから言え!そしてお前はもう帰れ、民間の狩人がこの馬鹿の出した募集にも来る可能性があるからな。」


 隊長と呼ばれるその女性は、隙をついて縄を解こうと身もだえする男、ウィリアムを指さして言った。


「例の子供は君か。辛い思いをしたろう。我が隊が君を保護するよ。私の名前はマチルダ・ルベライトだ。」


 マチルダと名乗るその女は、先程の部下に対する高圧的な口調とは裏腹に、優しく柔らかに喋りかけ、友好の握手と言わんばかりに手を差し伸ばす。


「えっと、その、今縛られてて……」


「ああ、そうだった。縛られているという事は、不本意に発現したのだな。」


「はい、マニュアルどおりに縛りました。」


 腕を組み堂々とマチルダの問いに答えるレニー。ダンにとってはなんのことだか分からないが、縛られているのは自分が突如本物の狼男となってしまったことが原因のようだ。


「……ふぅん。」


「な、なんですか。」


 マチルダはダンの瞳をじっと見つめていた。何かを詮索するかのような、また思い当たることがある為に思慮にふけっているのか。あまり心地よく思わないその眼差しに少年はたじろぐ。


「いいや、なんでもない。レニー!この子も連れていくよな。」


「え!あー……もちろんです!」


「なんだ今の間……」


「ダン、君の詳しい処遇についてだが、保護とは言ったが正確には狩人協会が君を監視する。君は狼男だが、その中でもとても特異なものだ。詳しい話はあとでその小娘から聞くがいい。とにかく、狩人協会は君を歓迎しよう。」


「は、はぁ……歓迎?」


「認められてよかったネ」


 半ば棒読みで後ろから肩をぽんとおいたレニー。いつの間にか縄は解かれ、自身の化け物化も解けていたが、状況の変化にダンは全くついて行けずにいた。


「えっと、僕これからどうなるの?」


「草の中じゃなくて布団の中で寝て、土の上じゃなくて空の上で、一人じゃなくて私と共に行くんだよ。」


 レニーは少年の方を見もせず、手を引っ張りながらずんずんと前を歩き、マチルダたちに預けた現場から足早に去る。その言葉の意味は分かるようで分からない、ダンはレニーの歩調に合わせるので精いっぱいだった。


「これから君が行く場所は狩人協会の本拠地。移動型拠点にして空飛ぶ鉄の箱舟。その名も『ノア』よ。」


「うわっ!?」


 自身の踏む足場が突如黒みを帯びたのに驚き、思わず見上げた空にもまた、驚くべきものがあった。二人の上空にはいつしか空飛ぶ鉄の箱舟『ノア』が厳かとも言える様相を呈しながら浮かんでいたのだ。




ダン オオカミ少年日記 1日目


はじめて日記をつけて見ようと思う。レニーに言われたので。この日は色んなことが起こりすぎた。悲しんだし、怒ったし、沢山びっくりしたし。思えば、人を殺しそうにもなった。あの時は意識がはっきりしてなくてよく分からなかったけど、レニーが僕を縛ってくれたから、僕も彼ら(先生、という字の痕跡がほのかに見える。)も無事だったのだと思う。皆僕が何者か知っているのだろうか。僕は知らないし、教えて欲しいので、狩人協会というところにすこし居ようと思う。マチルダという人に「歓迎する」って言われたけど、もしかして僕ここで働くのかな?まだ、なにも知らされていない。日記おわり。

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