36話 おまけ
「……なんか、拍子抜けした」
病室をでた田中がぽつりと呟いた。
胸ポケットから取り出した棒状のチョコレートを噛み砕きながら、安堵にも似た表情を浮かべている。
隣を歩く宇久森はそれを鼻で笑った。
「正直、難航すると思った。わけの分からん連中に連れ回されて錯乱してもおかしくないって思ってたんだが?」
「はっ」
「疑り深いって聴いてたんだがなぁ。誰かさん限定だったわけか」
「言ってろ」
「拗ねるなよ」
「拗ねてない」
「怒るなって」
「怒ってもいない。怒る要素がない」
揶揄い混じりの言葉に宇久森が苛立つ様子はない。
田中はこれをただの見栄だと見た。滅多に無いチャンスに藪を突いて見るが、言葉通りに蛇が出ることは無かった。
どういうことだと、田中が首を傾げる。
「俺の方がお姫さんに好かれてて悔しくねぇの?」
「好かれてる?馬鹿を言うな」
「だって、初対面であんなに笑顔で」
「初対面だからだ」
「は?」
「初対面だから優しいんだよ」
自販機の隣にあるゴミ箱に缶を入れる。ガコンと音がして、コーヒー缶が下に落ちた。
「那緒さんは思慮深いお方だ。そして誰よりも他人をよく見ていらっしゃる」
「それがなんだって言うんだよ」
「いくら僕がいたとはいえ、お前と那緒さんは初対面だぞ。知らない場所で目覚めてすぐに初対面の警察と会って笑えると思うか?」
「それは……たしかに」
「あれは那緒さんなりの防衛術だ。警察の気分を害しておかしな詮索をされないようにするための、自己防衛機能のひとつに過ぎない」
「は?そんなわけ」
「話、妙にスムーズに進んだと思わないか」
ガコン。
ココアの缶が下に落ちた。
「那緒さんはあれでいて頑固だ。自分の考えを梃子でも曲げないし、思考が予想の斜め上に行くから話が完結するまでに他人の3倍は掛かる」
「悪口か?」
「そんなわけないだろう」
「あ、そう」
「疑問を疑問のままで終わらせないで、キチンと解決しようとする方なんだ。本来の那緒さんとの話し合いが、あんなにあっさりと終わるわけがない」
宇久森から聴いた金花那緒の印象は確かにそうだった。だが実際に会って田中が抱いた印象は、騙されやすい可哀想な善人。
この食い違いを宇久森限定のものと考えても良かったが、そうとは流せない違和感を田中はずっと持っていた。
冷静すぎる。
危機的状況から脱した人間が、目覚めて数分で警察と名乗る人間と冷静に会話が出来るか。
否。否だ。今までそんな人間に出会ってことは一度だってありはしなかった。
だが、見ないふりをした。
スムーズに進む会話。冷静な対応。あっさりとした態度。ときおり宇久森を観察ような視線。柔和な笑顔。
違和感は山のように転がっていたが、田中はそれを気のせいだと捨ててしまった。事件はすでに解決済みで疑う必要は無いと己に言い聞かせた。
藪を突いた結果がこれだ。蛇が出ない代わりに、自分の捨てたゴミを見つけてしまった。
「……証拠は?」
「あ?」
「なんか、そう思える確証があるだろ」
嫌な気持ちになった。
だからつい宇久森に当たるような事を言った。確信めいた言い方が気に食わなかった。食って掛かると何倍にもなって返って来ることなど、経験上理解していたのに。
宇久森が口の端を歪めるのが見えた。
八つ当たりだと理解している顔だった。そのうえで、噛み付いたことに容赦しない顔だった。本当にこいつは昔から性格が悪い。
「お前、ココア飲んでたよな」
「それがなんだ」
「那緒さんに買ってきたココアを、なんでお前が飲んでた」
「は?嫉妬か?お姫さんから俺だけ貰ったから嫉妬してるのか?」
「違う。気に入らないならその場で腕を折る。そうじゃなくて、どうして未開封のままだったと思う」
「飲んでないからだろう」
「そうだ、飲んでないからだ」
「なにが言いたい」
「俺もお前も飲んだよな。でも那緒さんだけは飲まなかった。あの場で最も緊張しているのは彼女なのに、飲むそぶりすら見せなかった。どうしてだと思う」
言われてみればそうだった。
那緒は快く受け取りはしたが、田中や宇久森が飲んでもいっさい口をつけなかった。那緒は寝起きだ。頭だって回っていない状況で、日常とかけ離れた話をすれば人間は緊張から喉が乾く。疲労から甘い物を欲しがる。
それなのに、その素振りすら無かった。
最初から飲む気がなかったのだ。
警戒されていた。
返却されてしまうほどに。
「後はそうだな……視線だな」
「チラチラ見てたやつか」
「これは分かったか」
「確信はなかった。だが、俺の話を聴きながらお前を見てるなとは思ってたが…ありゃあ、俺の話に嘘がないか見てたわけか」
「僕は那緒さんに嘘は付けないからな」
ゲラゲラと宇久森が笑う。
自信たっぷりに告げられた事実にとうとう田中はしゃがみ込んだ。
あ“ーと野太い溜息が廊下に響く。
「じゃあなんだ。俺は怖がられてたってわけか?」
「ああ。」
「嘘だろ………へこむ」
あの笑顔の裏にあるのは好意ではなくて、怯えだった。友人から告げられた真実に田中は悲しくなった。
「那緒さんに限ったことじゃない。女性の大半はそうやって身を守ってる」
「まじかよ」
続けて貰った言葉にさらにへこむ。
女性に対して無理に迫った経験は無いが、意識せずとも怯えさせていた可能性があったことに気持ちが沈む。
普通に考えればそうだ。自分よりもずっと体格のいい者が迫って来たら誰だって怯える。暴力に訴えかけられないという保証はどこにもないのだから。
相手が警察ともなればなおさら。
「だから笑ってても自分に好意があるとは思うな。無理に迫るな。よく話を聞け。嫌だって言ったら嫌がってるんだって頭に入れとけ」
「おう……」
気をつけよう、と田中は友人からのアドバイスを素直に飲み込んだ。
だからこいつを嫌いになれないんだよなぁ。
いちごミルクをゴミ箱に捨てた。
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