34話
「掻い摘んで話すが長くなるからな」
腕に下げていたレジ袋からホットココアを取り出して那緒に、自分はコーヒーを、宇久森には苺ミルクを手渡した。
「必要経費だ。俺の金じゃない」
気の使える男だ。
遠慮なく缶を受け取ると、那緒は両の手のひらで包み込む。じわりと熱が移って温かい。
来客用のパイプ椅子に田中が腰掛ける。
「まずは生還おめでとう。組織に捕まって生きて帰ってきたのはお姫さんだけだ」
祝いだ、とでも言うように缶の下端を那緒の缶にぶつけるとプルを開けた。
田中が中身を呷る。ふわりとコーヒーの香りが漂ったが、それを楽しむ気分ではなかった。複雑な心境を誤魔化すようにココアを手の中で転がす。
「あそこに……中にいた人たちは?」
「亡くなった」
「そう...」
「正確には息はしてる。だが、それだけだ。お姫さんが暴れてくれたおかげで破棄だけは免れたが、あれを生きているとは俺の口からは言えねぇな」
「そう、なんだ」
「気負う必要はねぇぞ。あんたは運悪く巻き込まれて、運よく肩の脱臼だけで生還した。本当にそれだけだ。素直に喜んでいい」
現場を見たのだろう。喜べというくせに、田中の言葉には隠しきれない悲しみの色が混ざっていた。嬉しいが素直に喜べないのだろう。那緒と同じだ。
「そんな顔するな……っていうのは無理か。あんなことがあったんだ。まぁ、気長にな」
「はい...」
「だがこれだけは覚えておいてくれ、今回の一件に関してお姫さんにはまるで非が無い。招いたのはこいつだ。こいつ」
足元で膝を抱える宇久森のつむじを指で叩く。唸り声をあげたが田中はそれを無視してまた叩く。
「こいつがストーカー行為を繰り返していたことがそもそもの原因だ。写真を落としたこともな。んなことしてなければ、童裊は直接こいつを刺しに向かったはずだ」
「………申し訳ありません」
くぐもった謝罪が聞こえた。
反論する気は無いらしい。
ガシガシと頭を掻いて田中が深く溜息を吐いた。眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。
おそらく事前に警告していたのだろう。後悔の色が滲んでいる。だが宇久森が強行し那緒は巻き込まれた。
悪いのは全面的に宇久森であるはずなのに、彼はそれすら思い悩むのか。
那緒の中で田中の好感度がまた上がった。
「宇久森さんのことはいいよ。今更だから」
気にして欲しくなくて、つとめて明るく言った。
彼に非を問うつもりはないと伝えたところで納得しないだろうから「それよりも」と、間を開けずに続ける。わざと話題を変えて意識をそこから逸らすことにした。
「組織について教えて欲しいな。なにに巻き込まれたのかよく理解してないの」
「はあ!?説明されてないのか?」
「うん。事件を口実にストーカーに監禁されたのかと思ってた」
「嘘だろ…」
「本当」
「……ッお前!お前、あれほど説明しろって言ったじゃねぇか!」
「だって怖がらせると思って」
「理由も無しに自宅に監禁される方が怖いに決まってるだろう!」
田中の正論が平手打ちとなって宇久森の頭に炸裂する。スパンッといい音が部屋に響く。痛い、と声をあげた宇久森を睨み付けると、田中は荒く椅子に座り直し顔を両手で覆った。深く息を吐く音がした。
( 本当に、本当に苦労してるんだな……)
那緒は心の底から同情した。
宇久森を操縦するのは骨が折れる。
1ヶ月そこらしか体験していない那緒がそう思うのだから、年単位でコックピットに座る田中の負担はその比ではないだろう。
あ“あ“と唸る田中にココアを手渡した。
この場で最も糖分を必要としているのは、間違いなく彼だ。
「あぁ悪い……お姫さんも大変だったんだな」
「田中さんほどじゃないよ。飲んで」
「すまねぇ」
カションとプルを開けてココアを一口。
深く息を吐いてから田中が顔を上げた。この数分で5歳は老け込んだように見えた。
可哀想だが労りの言葉をかけ続けていたら日が暮れてしまう、と那緒は口をきゅっと結んだ。
会う機会があるかは分からないが、暇な時に夕飯でもご馳走しようと心に決めて。
「まずは組織についてだな」
無骨な指がゆるりと缶を撫でる。
コクリと頷いた那緒を見て、田中は話し始めた。
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