32話


紙の擦れる音で目を覚ました。

ゆるゆると重たい瞼を持ち上げる。


また、知らない天井だ。


蛍光灯の明かりが眩しくて、那緒は何度か瞬きを繰り返す。次第に目が慣れきた。隣に人の気配を感じで横目で確認すれば、パイプ椅子に男が座っていた。書類片手にコーヒーを飲んでいる。日常の些細な一コマだが、端正な顔の男がやると絵になるなと那緒は思った。蜜のある黒髪も陶器のような肌も、どうやら健在のようで安心した。


「………う……さ、」


随分と掠れた声が出た。

今度はいったい何日眠っていたのか想像するのも恐ろしかったが、声に反応した宇久森の方が数倍恐ろしかった。ギュルンと首が回って、一瞬で血走った黒真珠と視線が重なる。

肩が跳ねた。

強過ぎる眼光に身体を射抜かれてしまいそうで、無意識に後ろに身じろぐ。と、書類が床に散らばた。

視線が紙を追う。

あっ、と小さく驚いた声をあげた隙を突くように、宇久森が勢いよく立ち上がって跪く。ガシャンと音がして、パイプ椅子が無様に床に転がった。

左手を冷たい体温が包み込む。


「うぐ、もり……さん?」


那緒の手を握ったまま彼は答えない。

左手を両手で包み込むようにして膝をつく様は、神に祈るようにも懺悔しているようにも見えた。相変わらず彼の行動は突飛でよく分からない。

しばらく様子を見ていたが彼は動かない。

那緒は喉の渇きを我慢できなり、右手だけで器用に身体を起こすと、水差しからコップに水を注いだ。

喉に流し込む。

その間も宇久森が動く気配はない。

再度声をかけようと口を開いたタイミングで、スライド式のドアがガラリと開いた。

入ってきたのはスーツを着た男。


「大丈夫か?大きな音がしたと報告が.......あったんだが、どういう状況だ?」

「さあ?」


走ってきたのだろう。息を乱しながら入室した男は、宇久森を視界に入れるなり戸惑ったような視線を那緒に寄越した。

那緒は苦笑いでそれに答えた。


わたしにも分かりかねます、と。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る