26話
「ただいま戻りました!」
洗濯物を畳んでいると、宇久森が元気よく帰宅した。扉を閉めてから僅か5秒ほどでリビングに登場する姿は、何度見ても度肝を抜かれる。瞬間移動の使い手か。
「おかえりなさい」
「はい!ただいまです」
テレビの音量を落として振り返る。
その手にはエコバッグがぶら下がっている。昨日あれだけ大きな買い物をしたというのに、懲りずにまた買ってきたらしい。
眉間に皺が寄る。
彼の貢ぎ癖はなかなか治らない。
那緒の呆れた表情もなんのその。宇久森はニコニコと今日の貢物をテーブルに置いた。
「本日は羊羹です。冷やして夕飯の後にお出ししま..........は?」
ご機嫌な帰宅後の宇久森としては珍しい低音が喉から漏れる。瞳は大きく見開かれていた。視線は先程まで同様に那緒に固定されていたが、彼の視線はさらにその下、手に握られた布切れに向いていた。
「なに、をして、るので........?」
「洗濯物を畳んでる」
「その.......その手にある布はもしや」
「え?ああ、パンツだけど」
「ぱんつ....?」
「うん、宇久森さんのパンツ」
「ぱん、ぱんつ......僕の.............??」
「キッチンには入れないし洗濯も掃除も自動だから、せめて畳むぐらいはしようと思って」
「ぼぼぼ僕のぱ......し、下着を那緒、那緒さんが?那緒さんがにに、ににに握って?」
ポタリ。
赤い雫が床を汚した。
ポタ、ポタポタ、ポタポタポタ。
言葉の意味を理解した瞬間、その光景は宇久森の鼻の血管を爆発させた。鼻頭にツンとした感覚。衝撃はもはや面膜では抑えることは適わず、決壊し外へと飛び出していく。鼻筋から唇を通ってふわりと空中に投げ出され床を汚した。
「那緒さんが.....僕の、僕のを」
「は?え、うぐ、血!鼻血出てる!」
「那緒さんの小さな白魚のような手が、僕の、僕のした、したぎ、下着ををををを」
「バグった!?」
那緒の手元を凝視しながら鼻血を零す姿は異常で大変恐ろしかった。ティッシュを取れ、鼻を抑えろ。せめて下を向いてくれ。
引きつった顔で那緒は立ち上がり、パンツを放り出す。ティッシュを箱ごと引っ掴むと、数枚を急いで抜き取り宇久森の鼻に押し付けた。
「早く、押さえて!」
「.......ふぁ」
宇久森がティッシュを受け取る。
鼻頭を抑えたところを確認し、床をティッシュで拭った。ソファの端に置いてあるゴミ箱を引き寄せ、ラグマットに垂れていないか確認する。
その様子を宇久森は見ていた。パンツに一直線だった視線がゆらゆらと揺れて、やがて那緒の手に戻る。あっ、と鼻が詰まった声が零れる。
「手が」
「わたしの手より自分の心配して、なんで急に鼻血なんて出すのよ」
「それは.......」
カァァァァと宇久森の顔がトマトのように染まる。同時にティッシュが吸う血の量が増えた。限界を迎えそうな白に気がついて、新しい束を鼻に押し付け血に染まったそれをゴミ箱に放る。
宇久森はラグマットの上に鎮座する己の下着と、那緒の手を交互にチラチラと視線を動かしていた。
下着を他人に畳まれたことが恥ずかしかったらしい。全人類抱いたみたいな顔をしているくせに、下着ひとつで赤面して鼻血を出すなんて。
案外初心な宇久森に那緒はへらりと笑う。
宇久森の性癖が相変わらず分からない。
「ぼくのことはいいんです。どうぞ気にせず手を洗って来て下さい」
「いやでも」
「正直に申しますと......ハァ、先程の光景が脳裏を過って心臓の鼓動が、どんどん早くなっていまして、ハァハァ、息が」
「あ、あ、了解!すぐに離れるから座ってて、ごめんね。なんかごめんね」
胸を押さえ苦しみ始めた宇久森に、那緒はぴゃっと肩を跳ねさせ足速に洗面所へと入って行った。
後は彼女の知らない記憶。
水の音を耳が拾うと、荒げていた息がピタリと止まる。ソファーの端に転がっていたリモコンが無骨な手に取られた。その手に血は見られない。
付けっぱなしのテレビは、動物特集からいつの間にかニュースに変わっていた。アナウンサーの横には宇久森のよく知る人物の写真が映し出されている。
『速報です。ーーーー会社の社員、金花那緒さんが殺害された事件で、警察は先ほど容疑者の動機が判明したと..............。詳しいことは調査中とのことですが、近々記者会見が...............。それでは次のニュースで』
ピッ
簡素な音と共に、電源が落ちた。
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