24話
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
3日後。
その日は珍しく朝からの出勤だった。
だが帰宅は20時を回った頃。部下を薙ぎ倒し(想像)常に18時頃に帰宅を果たす宇久森にしては遅くに帰ってきたな、と那緒はソファの上で彼を出迎えた。珍しいこともあるものだと、深く考えないでテレビの音量を下げる。
「今日はお土産がありますよ」
「今日もな気がするけど.....ありがとうございます。なにを買って来た……デカイな」
上機嫌な彼が大きな袋をソファに置いた。
今日はまた随分と大きな土産だ。
お中元でも買ってきたのだろうかと袋を覗き込む。カラフルな箱が見えた。傾けるとずっしりとした重み。袋の口を引くと顔を出したのは、金髪のスポーティーな女性とベルトのような輪っか状の機械が描かれたポップな箱。右下には商品名があって、
「リン○フィットネス.......?!」
「室内で運動をするには限度があるとおっしゃっていたので、全身運動と名高いこちらを購入しました」
「待って、なんでこんな高い物......はっ!あの『承知しました』かっ!」
3日前に起きた『ポテトチップス間食事件〜青のりの香りを添えて〜(那緒命名)』の最後、那緒はナニカに同意した。その同意品がリン○フィットネスということらしい。
「すっかり忘れてた」
「どうです?ご満足いただけましたか?」
「うん、すごい満足した」
「そうですか!」
「じゃあ、返品してきて」
「はい!行ってき、ま......え?」
「どこで買った?駅中の店ならまだ開いてるからダッシュね」
「ご、ご満足いただけたのでは....」
「満足したよ?パッケージ見て満足したから返品してきて、わたしには必要ないから」
「も、もし、もしかして、金額のことで遠慮しているのでしょうか。でしたら、安心して下さい。そんなに高価なものではありませんので」
「金銭感覚狂ってんのか」
リン○フィットネスの値段は約1万円。
税込100円のカップラーメンが100個買える金額の品物は「承知しました」の一言で買い与えていい値段の代物ではない。そこからさらに20円ほど値引きされた日にまとめ買いしていた那緒にとってはなおさらだ。
「値段もそうだけどさ、そういう話じゃないんだよ。値段関係なくポンポンと他人に買ってあげたら駄目なんだってば。集られる」
「どうして?」
「どうして…?」
「那緒さん限定です。問題ありません」
「問題しかないな」
「むしろ那緒さんにはどんどん集って欲しいです。具体的には金の延棒でジェンガをなさっても眉一つ動かさない程度には散財できるようになっていただいて、物に囲まれた家の中で優雅に足を組んで帰宅した僕に僕の通帳を投げ付けて言うんです「ゼロになった」と.....!そして極め付けに「これ全部捨てておいて」と何百万もする品物たちに見向きもしないで自室に戻るのです!ああ、完璧」
「こっっっっっわ!なにその計画。わたしを世界最高のクズに育成する金持ちのリアル育成ゲームかなにか??」
「いえ、ただ僕が汗水垂らして稼いだお金を紙屑同然に扱われたいだけです」
「性癖治した方がいいよ!」
返答に悲鳴が混じる。
ハァハァと興奮した様子で那緒に散財を求める宇久森。控えめに言っても気持ち悪い。新手の病気だろうか。恐怖から腕にぶわりと鳥肌がたっている。立ち過ぎて鳥に成りそうだ、と腕を擦りながらソファの端まで退避した。
ギジリとソファが鳴る。
音に反応して宇久森がギュルンとこちらを向く。悲鳴。たった一歩で那緒との距離を詰めた彼は、膝を折ると那緒の足首をやわい力で握る。悲鳴。
端正な顔がゆっくりと那緒に迫ってきた。
トキメキイベントだが、微塵も嬉しくない。あるのは恐怖。得体の知れないモノに対する恐怖心だけだ。
宇久森が薄い物を差し出す。
「さあ、受け取って下さい」
「止めろ!通帳を差し出すんじゃない!」
「はぁっ....!手が触れっ....」
「今さら初心な乙女みたいな反応止めて」
「もうこの手は洗いません」
「ん“ん“、ただのファン!」
握手会帰りのファンだわ。
荒い息、高揚を隠そうともせずに(興奮から)震える手で、通帳を差し出す宇久森に那緒は涙声で叫ぶ。
性癖が特殊過ぎてついていけない。
アイドルは大変ね、と押し付けられる通帳を押し返す。こんなキラッキラした瞳の暴君をどうやって処理しているのだろう。毎日土産と称して貢がれる行為ですら、貧乏性な
バレンタインとかトラックで貢がれてるアイドルってすげぇな、と遠い目をする。現実逃避していないと、ミトコンドリアな心臓が破裂しそうだった。
「ほったて小屋にお住まいとはいえ、家賃も光熱費も馬鹿になりませんからね。雀の涙ほどの給料では娯楽を得ることは難しいでしょう?遠慮なさらずに欲しがってくれていいんですよ?」
「さらりと貶すのやめろ」
「さあ、なにが欲しいんです?家ですか?土地ですか?株ですか?」
「近所のスーパーで半額で売られてる賞味期限間近の甘味」
「高級洋菓子店のケーキですね!」
「ぜんぜん聴いてないじゃん」
詰め寄る宇久森にリン○フィットネス破損の危機を察知した那緒は、素早く機材をテーブルに避難させる。待ってましたとばかりに通帳が那緒の隣に置かれる。
いちべつ。視線を逸らす。
触ったら「触れた時点で所有権は那緒さんに移りました」とか笑顔で言われそうな気がしたのだ。とても怖い。悪徳金融みたい。
不満そうな声を無視する。
「購入した品物を捨ててこいって命令されたいなら、今すぐ返品して来てってば」
「こちらは運動不足解消のために購入したものなので、それは出来ません」
「普段は命令しなくても動くくせに!」
「お手を煩わせるのが心苦しくて」
「配慮できるのに、どうして通帳を拒否するわたしの意見は汲み取ってくれないのかな?!」
右から左から上から下から。
視線が向いた方向から次々と差し出される通帳から、那緒は目線を逸らし続ける。ええい、鬱陶しい。通帳に手が当たる可能性を考慮して振り払わず攻撃を無視し続ける。
先に痺れを切らしのは宇久森だった。
彼は手を止め通帳に視線を落とすと、拗ねたような口調で告げた。
「
「やりなよ」
「そして鞄で那緒さんのベッドを囲います」
「え、なんで?」
「睡眠学習と言うやつです。まず、体感から慣れていってもらおうかと」
「新手の儀式かな?」
ベッドの周りを囲む高級鞄。その中央に横たわる己の姿を想像して那緒は引いた。皮の匂いを睡眠中に嗅がせたところで、日に日に高級志向になるはずがない。皮の匂いがちょっと好きになるくらいだ。
「たまにビックリするくらいIQ下がるよね」
「いいえ、これは実体験に基づいています」
「わたしより前にそんな奇行を誰かに仕掛けて、しかも成功したの?やばくない?」
「那緒さんのお召し物です」
「あ、被験者わたしなんだね。良くないけど良かったよ」
「おいくらだと思いますか?」
「1000円くらい?」
「20万です」
「に“ぃ“?!」
こっちの話を聞かないのは通常運転だと無視し、会話を続行する手腕は慣れたものだ。自分の前に生贄にされた可哀想な被験者がいなくてホッとするも、宇久森から告げられた真実に目が飛び出した。
諭吉20枚分の衝撃は大きい。
ふるふると身体が震える。視線だけを下げて己が身に纏うTシャツを見た。し○むらの激安パジャマと同じ見える。とてもではないが、諭吉20体を生贄に召喚できる代物とは思えなかった。
「う、うそだぁ」
「レシートありますよ」
「だって、これちょっと肌触りいいけど20万って…..どこかの目隠し先生じゃないんだから」
宇久森は笑っている。
やめろ、黙るな。現実になってしまう。
「ほら、大丈夫ですよ。違和感なく着られるようになったんですから、散財だって近い将来絶対にできるようになりますよ!」
鼻息荒く通帳を差し出す宇久森を避ける。
頭にあるのはTシャツのことだけだった。
確かに最初は違和感があった。肌触りがよくて毛玉の出来ないTシャツに居心地が悪かったが、それも1日の大半をそれで過ごしていれば慣れてしまう。そう、慣れてしまった。
これを踏まえれば鞄にだって慣れる。宇久森はそう言っているのだ。なるほど説得力がある。那緒自身が被験体なのだから。
笑う、笑う。端正な顔が笑っている。悪びれもなく試しておいて、それを本人に告げて笑っていた。相変わらず
( だから信用できないのよね )
倫理観が破綻している。
唐突に、突然に、ひしゃげた善意は相変わらず那緒に降り注がれている。まるでゲリラ豪雨、避けようがない。
( 普通、好きな人でお手軽に実験するかね )
今回は高級品になれる実験だったから良かった。でもそれが、いつ毒に慣れるための実験にすり替わるかは分からない。
那緒は笑った。怖いなと思いながら笑ってやった。善意で殺されるのは勘弁だと、笑顔のままメモ帳とペンを掴む。ペン先が悲鳴をあげそうな筆圧で店名を書いていく。
もう、やけくそだった。
「通帳、受け取るよ」
「え?!」
「その代わり、このお店で服買ってきて。通帳のお金を使ってね」
「喜んで!」
苦肉の策だが仕方がない。
己が取るべき行動は拒否ではなく操縦だ。
これ以上鵜久森に振り回されて心が疲弊しないために、暴走する散財ロボットを制御しなくてはならない。那緒は口を開いた。
「ここに書かれてるお店以外で服を買ってきたら、口利かないから」
差し出されたメモをいそいそと受け取った宇久森の顔は、花が咲いたように明るい。
そっと手に取った紙に彼の視線が集中する。ジッと穴が開くほど眺めていたが、やがてこてりと首を傾げた。そして一言。
「.......し○むらってどこにあります?」
まずそこからかと那緒はため息を付いた。
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