13話
「じゃあ、ふたつめ」
中指と人差し指を立てて二を作る。
話し合いはまだまだ終わらない。
「わたしの個人情報が漏れていた件は」
「そちらも僕ではありませんね。那緒さんの記録はすべて頭に入っているので、写真以外は残していません」
「それを証明することは」
「最初から無いので無理ですね」
「まぁ、そうだよね」
悪魔の証明だもんな、と那緒は顎に手をやる。無いモノを無いと証明することは不可能だ。なぜって最初から無いのだから。
「宇久森さんの場合は記録しているより記憶していると言われた方が不思議じゃないから、そこは全面的に信用する」
「ありがとうございま」
「でもさ」
遮るように那緒は続ける。
「これ、わたしがここに居なきゃいけない理由にはなってないよね」
きっぱりと言い切った那緒に、宇久森が目を見開く。大方、納得してくれたとでも思ったのだろうが、生憎とそんなチョロい思考回路はしていない。
「写真が撮られてた、個人情報が漏れていた。どっちも外に出ない方がいいのは分かるけど、それって外に犯人がいるからだよね。わたしの場合はもう犯人はとっくに塀の中にいるから、怪我が治ったらここにいる必要は無いと思うんだけど」
写真、個人情報の漏洩、一日の行動パターン。
提示された内容は、どれも犯人が自由で初めて役に立つモノだ。拘束された今となっては価値が低い。個人情報ならまだ売れるが、行動パターンなど紙くず同然だ。
これを那緒を閉じ込める理由とするにはあまりにも不十分。そんなこと宇久森が分からないはずがない。まだある。きっとなにか隠していることがーーー
「わたしをここに閉じ込める理由、まだあるよね」
ぱちくりと瞬いていた花紺青が歪んだ。
残念そうな、それでもどこか満足そうに三日月型に細められる。
ゾワリと背筋が際立つ。
ーーーなんでそんな顔をする。
愛しむような表情だ。そうまるで、躾けた犬が芸を成功させたときのような。
「.........バレてしまいましたか」
「っ!」
ビンゴだった。
クスクスと笑い声を漏らす姿に那緒は抱いたそれが正しかったことを確信する。
いまさら気付いても遅い。
「.....誘導された」
彼は那緒自身に現状を理解させたかった。
ええ、と呟いて両手で口元を隠す狂人。遊戯か道楽か好奇心か。宇久森は見事に那緒を手のひらの上でコロコロと転がして見せた。彼に悪びれる様子はない。キラキラと輝くふたつの黒真珠がその証拠だ。
睨め付けるが微笑み返される。
「そう睨まないで下さい。嘘は付いていないのです。僕の写真だと疑われることはイヤですし、個人情報が出回って危ないのも本当です。ただ......好奇心と猜疑心の間で揺れる子猫のような愛らしさがもっと見たかったので、すこし分かりづらくしただけです」
悪戯が成功してよほど嬉しいのだろう。声色はやけに軽やかで甘い。
「ふふっ、怒っている顔も素敵ですね。もっと見ていたいですが、病み上がりのお身体に触るといけません。大人しく白状するとしましょう」
「.......悪趣味」
「那緒さん限定ですよ」
甘い、甘いドロリとした瞳が見ていた。
苛立ちよりも恐怖心が上回る。どちらの感情も彼にとっては大好物とでも言いたげで......いや、事実その通りなのだろう。
また瞳の色が濃く濁った。
「僕があなたを保護した理由は動機です」
「どうき?」
「はい、犯人の」
「分かったの?」
「いいえ、まったく。なので保護へと踏み切りました」
「.......は?」
意味がわからなかった。
ついに言語機能がバグって日本語も理解できなくなったのかと、本気で思った。それとも宇久森が他の言語を使っているのだろうか。なにひとつ、理解できない。
「動機がなに.....?それ、わたしには関係ないじゃない。犯人がどうこうなんて、わたしには」
「いいえ」
「犯人は捕まった。それだけ、それだけでしょ」
「そんな簡単な話でありません」
「簡単な話しよ」
「.......もし、犯人と那緒さんに面識があればなんてことはない理由付けで終わります。ですが、那緒さんも言っていましたよね“初対面だ“と。それならどうして那緒さんは狙われたのでしょう。一方的な好意?殺意?それともーー」
ーー無関心でしょうか。
「なに、言って」
「犯人は誰かに雇われていた。仕事として那緒さんの身辺調査をし、好奇と判断してグサリッ.......ありえない話ではありません。現に那緒さんと犯人の接点は未だ見つかっていないのですから、首謀者は別にいると十分考えられます」
「............」
「犯人は捕まりましたが、那緒さんはまだ生きています。仮定が正しかった場合に何が起こるのか。想像力が大変豊かでいらっしゃる那緒さんなら、考えるまでも無くお分かりになりますよね」
また刺されると冷静は頭が答えを出す。
満足気な男の血走り歪んだ瞳が脳裏を過ぎて、湧き上がったのは吐き気。口元を押さえて膝を立てた。足を腹に引き寄せる。
もしあれが、誰かの依頼ならば。
ドラマの見過ぎだと否定する一方で、犯人の身内に恨まれていたらと考えるとありえる未来だと頭は判断する。初手で失敗したことを知られれば、また誰かに頼むことも十分にあるのだと。
想像して呼吸が乱れる。
「.......わたしが生きてること、犯人は」
「伝えていません」
「ニュースでも....?」
「はい」
はっ、と声が震える。吐き気は止まらない。それでも大ぴらに公表されていないことに安堵する。情報が無ければ、向こうも迂闊に動くことはないだろう。仮に公表されたとしても、那緒が直接関わりを持っていなかった宇久森の家に囲われているとは思うまい。
( この家にいる限りは安全ってこと )
あれだけ出たがっていた家が最も安全とは、とんだ皮肉だと那緒は吐き気を飲み込む。
まんまと丸め込まれた気分だ。
結局のところどんな選択をしたとて、死にたくなければ残ることになった。優しいように見えてまったく正反対の位置に立っている
「那緒さんは死亡したことになっていますのでご安心を」
「え」
だから笑顔でヒトだって殺してみせる。
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