8話

ああ、本当に違った。



冷や水をかけられたように一気に冷静になる。那緒は据わった瞳で指を滑らせた。

爪、手首、ふくらはぎ、肘から上、髪の毛。

落ち着いて見てみれば奇妙な写真は当たり前みたいに散らばっていた。

那緒の写真に付けられたSOLDOUTの文字。それから部位だけの写真。

ただのフェティシズムとして見逃していたが、それにしては種類が多すぎる。写真の質も悪く所々ピンボケしていて、あの奇跡の一枚を量産した宇久森の手腕とは思えないほど。


「どうかしましたか?」

「......」

「那緒さん?」

「............」


目的が鑑賞ではないのだ。部位の写真は他に目的があって撮られたものだろう。

では、その目的とは。

心当たりが記憶の奥底で手を挙げる。

つい最近、那緒はこの写真の撮り方を経験していた。手芸が趣味だが完成品が溜まると愚痴っていた後輩が、フリマアプリに出品すると言うので手伝った経験が。全体図、大まかな上下左右の図、キズの有無などを買い手に分かりやすいように写真に収めたそれはよく似ていた。


「..........ぁっ」


やけに喉が渇いてベッドサイドに置かれているコップを手に取る。水を飲んでも渇きは癒えなかった。


(まさか、まさか人間を中古品扱いで売ってる....?)


写真の日付は三年前。

つまり那緒が売れたのは学生時代らしい。

どうして今まで無事に生活出来ていたのか不思議だが、今回の事件で那緒の情報がニュースで流れ居場所がバレてしまったのだろう。

だが見つけた時にはすでに傷物。怒れる買い手からクーリングオフされ売り手の家で待機。出品し直したが傷物は売れず、どうにか利益を得るために外皮傷の関係ない内側に目をつけたとしたら。

だらだらと背中を冷たい汗が伝う。

辻褄はあう。

それに宇久森は僕が売るならという話はしたが、他人が売ることに関しての言及はしていない。


(つまり宇久森さんは一時預かりで、怪我が治り次第わたしはバラバラに売られる.......)


バラバラにされて横たわる己の死体が頭を過る。カタカタと身体が震える那緒の異変に、宇久森は驚き血相を変える。

そっと額と喉に手をやり熱を測る。


「.....熱はありませんが顔色が悪いです。すみません、はしゃぎ過ぎてしまったようですね。もう休みましょうか」

「大丈夫です」

「ですが」

「写真」

「はい」

「写真、本当に綺麗に撮れていると思います。毛穴すら無くてとても綺麗で......」

「那緒さんやっぱり横に」

「高く売れたんですか?」

「那緒さんの写真を売るなんてとんでもない!値段なんてつけられませんよ!」

「へぇ......」

「横になりましょう。やはり具合が悪いようです」

「平気です。生もの出品は難しいと思っただけですよ。中身を見せるわけにもいきませんもんね」

「急になにを言って」

「ねぇ、宇久森さん」


大きく息を吸う。


「わたしはいくらの値が付きました?」


ピシリと宇久森が固まった。

那緒がスマホの画面を見せたのだ。瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれ、やがて深長の溜息が部屋に響いた。


「あー、それは......なるほど、たしかにこれは僕の落ち度ですね」


ごほんと咳払いをひとつ。

ゆらゆらと揺れる那緒の瞳に罪悪感を抱いたのか、嘘くさい笑顔を解いて真剣な顔をする。それだけで絆される那緒ではない。


「那緒さん。お話を進めるために、ひとつはっきりさせておきましょうか」

「売れた部位の話ですか?いいです嫌ですどうせ捌かれるなら知らないままがいいです」

「那緒さん」

「肝臓ですか腎臓ですか肺ですか心臓ですか胃小腸大腸膀胱」

「那緒さん!」

「ううううっ、嫌です嫌です!」


耳を塞いだ。

首を振って伸びてくる手を嫌がる。


「僕は、あなたを売るつもりはありません!誰かに譲る気も手放す気も一切無い。たとえ那緒さん本人がそれを望んだとしても決して」

「嘘つき」

「嘘ではありません。そのための仕事です。そのための金です。そのための家なんです。なんのために男の一人暮らしでこんな部屋数の家を契約したと思っているんですか」

「金持ちが広い家に住む理由なんて知らない」


布団を引っ張って宇久森との間に壁を作る。ゴロゴロと乗っていた免許証や筒が床に転がる。那緒はさらに布団を抱き寄せた。引っぺがすように布団を掴んだ彼の言葉に、呻きながら嘘つきと怒鳴りつける。

だが、宇久森は止まらない。


「那緒さんと一緒に住むためです」

「いま作った話のくせに」

「いいえ、前にもお話ししました。そして断られた!豆苗の環境にここは合わないとか、ご自分のいびきは建設工事並みの騒音だとか、寝相が悪過ぎてむしろ身体は起きてるとか、金持ちの家に足を踏み入れたら爆発するなどという理由で!」

「まって、本当になんの話です?」

「ですが僕はどうしても諦めきれなかった!絶対に頷いてくれる。次は了承してくれる。いつかは必ず頷いてくれると己を律し、そしてついに那緒さんは僕の元に来てくださった!この幸福を手放すわけがない」

「ヒィッ!?」

「ようやく、ようやくです。頭の先から爪の先だけじゃない、この皮膚の内側まで僕がプロデュースできる........。そんな奇跡のような瞬間を買うならまだしも他者に売却するなんて、頭の溶けた連中でもあり得ない.....!」


待て待てなんの話だ。

両手を包むように掴まれ、ぐいぐいと顔の距離を詰めてくる宇久森に口を挟めない。ぎらぎらと粘着質に光る瞳が那緒を見ていた。

逃がさないと雄弁に双方が語る。


(同居ってなんだ。なんで豆苗育ててることを知っている。寝相もイビキも悪くないんだけど誰から聞いたの?嫌がらせかなにか?)


10割なにを言ってるか理解できない話は初めてだ。怖い、生理的に怖い。生存本能的なものが今の宇久森から全力で逃げろと訴えかけている。


「あ、あ、なら、ここここの写真は」

「それは写真です」


知ってます。


「大学時代に違法で販売されていた那緒さんの写真を買った不埒者を血祭りに......いえ、処す際に使ったスクリーンショットです。言い逃れできないように撮っておきました」

「は、販売?」

「バイトざんまいで毎日お眠な那緒さんには覚えがないかもしれませんが、結構な人気があったんですよ?学内で盗撮写真が出回るくらいには」

「ぜんぜん知らない」

「ぜんぶ潰していましたからね」

「え、知らないよ。ぜんぜん知らない」


それもそのはず、那緒は在学中に浮いた話が無いどころか、男性、いや女性にすら声をかけられ経験は少ない。てっきり寝不足で出来た隈と講義を聞き逃したら死ぬという強い意志でつり上がった目付きのせいだと思っていたのだが、宇久森が介入していたかららしい。

おのれ在学中の楽しみを奪いおって....と恨めしい気持ちが湧いたが、すぐに萎んだ。

どうせ友人か彼氏が出来てもバイトで忙しくて遊んでる暇など那緒には無い。


「なら、ならこの手とか足の写真は」

「それは資料です」

「し、資料ってなんの」

「..........似のマネキン用のです」

「なんて?」

「.........那緒さんに似せたマネキンを作るための資料です」

「嘘じゃん」

「いえ、嘘ではありません」


きっぱりと否定する宇久森。どう考えても嘘にしか聞こえず、嘘つきと繰り返す。

これまでの言動を思えば宇久森が那緒似のマネキンぐらい作っていてもなんら不思議はない。だか恋する人間が相手に似た人形を購入するとか、目の色に似たアクセサリーをつい手にとってしまうとか、そういう繊細な感性を那緒は持ち合わせていなかった。

だから分からない。


「なら証拠を見せてくださいよ」


ゆえに突かなくてもいい藪を突いてしまう。


「........分かりました。では5分ほどお待ちいただけますか」

「いいですよ」


藪から大蛇が出てくるとも知らずに。





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