7話

「では始めましょうか」


戻ってきた宇久森が手にしていたのは、宣言通り保険証、免許証、パスポート、それから通帳と卒業証書と筒状に丸められた紙。

それらが順々にベッドの上に置かれる。

気になって丸められた紙からくるくると開いて行くと、賞状のようなものが現れた。医師免許証と書かれた簡素なそれに那緒は思わず言葉を零した。


「医者」

「はい」

「医者?介護師ではなくて?」

「ええ、医者ですよ」

「.......騙す気あります?」

「騙す気はないです」

「ではやる気がない?」

「言いたいことは分かります。カードのようなものを想像していたのでしょうが、残念ながらこれで間違いないんです」


那緒の目が疑わしげに細まる。

賞状を両手に持ち黄色いクマのように目を細め近くで見て、遠くで見てを繰り返す。


「最近はカードにも出来るのですが、発行や年会費が少々張るので......」


両手の人差し指をくるくると回しながら話す宇久森。それを他所に那緒は賞状を凝視し、振って、最後に光に透かす。

怪しい。怪しいさ満点だが、逆にこんな怪しいものをわざわざ持ってくるだろうかとも思う。薬品会社に勤めてはいるが、医療関係者とは言い難い那緒を騙すためならソレらしい物を持ってくるはずだ。いや、それこそが狙いなのだろうか。分からない。分からないので、医者云々は後回しにすることにした。

続いてパスポートを手を伸ばす。

と、通帳が那緒の前に差し出された。


「............」

「...............」


にこりと満面の笑みを浮かべた宇久森が那緒の手にぐいぐいと通帳を押しつけてくる。

いらん、とつき返す。

しゅんと残念そうに眉を下げた。無視してその隣にあった卒業証書を手に取る。


「あ、わたしの隣の大学なんですね」

「残念ながら同じ大学に通うことは出来ませんでしたが、環境に恵まれまして素晴らしい学生時代を送ることができました!」

「環境ですか」

「はい!那緒さんは法学部でしたが、経済学の講義をたくさん取っていましたよね?」

「ええ、レポートが無いので」

「僕の選考は経済学なんです。だから、那緒さんと一緒にいることができたんです」

「へぇ」

「まさか三年間、一階の教室ばかりで講義が行われるとは思ってもいませんでした。最悪5階まで階段コースも覚悟していましたので.....。これこそまさに運命!僕と那緒さんの間には阻む壁など無かったのです!」

「一階はいいですよね。朝一とか少しでも遅れるとエレベーターとかすご.....い、で..........え?なんて?」


いま、なにかおかしなことを言わなかったか。


「そうなんですよ。時間ギリギリに向かうと人混みが凄くて、廊下が詰まってしまって」

「そうですけど、そうじゃないです」

「おや、どうかなさいましたか?」

「.......となり、隣の大学ですよね?」

「はい」

「ですよね?え?“講義時間もずっと“っていいました?」

「言いましたね」

「隣の大学ですよね?」

「はい」

「はい???」


笑顔で肯定され那緒は戸惑う。

最近の大学生は隣の学校で授業を受けることがスタンダードとされているのだろうか。同級生とのコネクションが極端に貧困な己には確かめる術がないので聞き返す。

空耳であってくれとも切に願った。


「隣の大学に侵入して授業受けてたってことですか?」

「そうなりますね」

「それが普通ですか?」

「普通ではないですね」

「は?意味わからん」

「那緒さんと一緒にいたい気持ちが抑えきれなくて、つい」


照れ照れと頬を染める宇久森。

照れたところでただ怖いだけである。

心臓がバクバクとやかましい。気付かなかっただけで振り返れば奴がいたなど誰が思うだろうか。


「いや、待ってください。こんなこと言うのもあれですけど、わたしボッチでした」

「バイトでお忙しいですからね」

「友達少ないですアピールではなくて!わたし誰とも一緒に授業を受けてません!」

「いえ、ご一緒してましたよ。僕の定位置は那緒さんの後ろでした」


写真ありますよ、とスマホを見せられる。

スクロールすると出てくる出てくる。

移動中の後ろ姿。

教室で内職に励む姿。

寂しいお弁当を突く姿。

うたた寝をしている横顔。

喫茶店でアルバイトに勤しむ姿。

コンビニでお弁当を棚に並べる姿。

前から右から左から後ろからアップに全身。全身を舐めるようにさまざまなアングルで撮られた写真がゴロゴロと出てきた。

完全な盗撮写真を前に思考がストップする。

ゆるりと見上げた宇久森はどこか誇らしげな顔をしていて、頭がいかれているなと思った。


「ああ、その軽蔑と不審を混ぜたような冷たい表情も素敵ですね。たまらないです」


頬を染め、瞳を潤ませる宇久森に那緒はさらに眉にシワが寄る。ハァと熱い吐息を漏らすほどに興奮する彼は大変気持ち悪い。

今すぐに写真を消してやりたいが、いちいち削除する気持ちの余裕は無かった。強硬手段になるがスマホを壊すしかない。

スマホを握った手を振りかぶる。

背中の痛みに歯を食いしばりながら壁に向かって豪速球を決めようとして、ガッと腕を取られた。


「おいたはいけませんよ」


痛くないが振り解けない絶妙な力加減で手首を握る宇久森は、心なしか殺気だっていた。どうやらその(盗撮)写真を破棄されることは、相手が那緒であっても許容できなかったらしい。


「破片が飛び散ると危ないですからね」

「そんなに大事ですか」

「写真ですか?そりゃあ、もう」

「.......わたしよりも?」

「そ、れは.....どこでそういうの覚えてくるんですか」

「バイト先の喫茶店です」

「あの耄碌もうろくじじい.....」

「え?なんて?」

「いえ、なんでもありませんよ」


ボソッと低すぎる声で呟いた声は拾えなかった。聞き返そうと開いた口は予想外の刺激に小さな悲鳴を吐き出す。背筋がゾワゾワする気持ちの悪い撫で方で、スマホを握ったままの手が彼の両手に包み込まれていた。

宇久森の指が画面をスクロールさせる。

お気に入りであろう那緒の写真をタップしてアップにすると、目線の高さまで持ち上げられる。


「綺麗に撮れているでしょう?」


(盗撮写真を被写体本人に見せるなんて正気か?いや、正気じゃなかったわ。正気な人間は監禁なんてしない)


目は雄弁に物語っていたが那緒は「ソウデスネ」と言った。たしかに写真はどれも素人の目から見ても、雑誌に載るくらい綺麗に撮れていたが、たとえピンボケした物であってもこの状況なら誰でも「綺麗です」と答えただろう。機嫌を損ねて死にたくはない。

とはいえ、そんな嘘をつく必要もないくらい写真に写る自分は輝いていた。過修正を疑うレベルだ。これが盗撮写真でなければ....。

悔やんでしまう自分に微妙な気持ちになる。

真っ当な道を歩んでいればきっと有名な写真家にでもなれたに違いない。


「この(無駄に高い)技術と(被写体に気付かれないための)努力を他の場所に使えば、一儲けできるんじゃないですか?」

「ゴミを撮ってどうしろと?」

「ごっっ.....良い眼科紹介しましょうか?」


おもわず真顔になる。

眼科の予約を入れようと握らされたスマホで検索をかけるが、また指をそっと握られた。

やけに嬉しそうな宇久森に首を振られる。どうやらいく気はないらしい。

だがなぜ彼は上機嫌なのだろうか。

那緒は首を傾げた。

写真技術を褒められたことがそんなに嬉しいのか。

ジッと見つめていると、怪訝な顔をしている那緒に気が付いたのだろう。宇久森はああと呟く。


「嬉しいんですよ。この写真を綺麗だと思えたことが」

「どう言う意味ですか?」

「.....那緒さんは謙虚で、ええ、謙虚すぎてご自身の価値を正確に把握してくださらない悪癖がありますよね。忙殺される毎日から解放されて少しは身体に気を使い始めているようですが、それでもまだなにもかもが足りていない」


長い睫毛が伏せられる。

指を撫でられるが先ほどとは違う。労るような愛しむような手付きだった。


「だから、知って下さったことが嬉しいのです。自分の価値を。那緒あなたさんは、こんなにも綺麗なのだと」


甘い、甘い蜂蜜のように甘くて喉に張り付きそうな言葉に全身がきわ立つ。


「第一歩ですね」


声だけではない。瞳も仕草も表情すら愛されているのだと錯覚してしまうくらいに、それはトロけるように甘くて熱い。

ぼっとその熱が燃えうつる。顔から火が出そうなくらい体温が上がっていった。

那緒の様子に驚いたような顔をするが、すぐにそれはさらに糖度を増した笑みへと変わる。恥ずかしくて、いたたまれなくて那緒はスマホへと視線を逃した。


(やっぱりホストだ!全部演技で誰にでも言ってる言葉で.....じゃないと、こんな.....)


頭が茹で上がりそうだ。

宇久森から顔を逸らし、スマホをスクロールして気を紛らわせる。今まで見てきたものと明らかに純度の異なる綺麗なそれを信じてしまいそうになる自分がいる。愛されているのだと、演技ではない本物を向けられているのだと。錯覚だ。まやかしだ。あんなものは手玉に取るための方便でしかない。分かっているのに、どうしてもあの黒真珠が嘘をついているようには思えなかった。でも握られた手を振り解けない自分がいた。


(勘違いだ。これは、絶対に違う)


流れていく写真たち。

眺めているだけで情報なんて入って来ない。それでもこの写真たちがすべて自分なのだと思うと、思われていることを嫌でも意識させられた。

日付も構図もバラバラなそれらの数だけ、宇久森の意識化に那緒がいたのは事実だ。たとえそれがどんな形をしていたとしても。


(違う違う、違う違う違う)


教科書相手に四苦八苦している横顔。バイト先で珈琲豆を引いている後ろ姿。手首だけの写真。キュウリ片手に財布と問答している姿。野良猫に逃げられ泣きそうな顔。ふくらはぎだけの写真。

彼の行動はまごう事なくストーカーだ。スマホに残る写真たちは盗撮で、日常を切り取った分だけ罪を重ねている。理解している。許せるほど寛容ではない。

それでも、それなのに。


(違う、違うの。写真は綺麗に撮れてるけど、でも、これはきっとそういうのじゃない。きっと個人情報を売るために最適な写真を撮ってたとかで、だってほら!SOLDOUTって書いてあるし!違う。これは絶対にーーーーーーーーーーーーあ?)


茹だった感情が違和感を拾う。

己が言った言葉なのに上手く咀嚼できなくて、思考が一瞬止まって熱が引く。

SOLDOUTがなんと言ったか。

那緒は改めて画面をゆっくりとスクロールした。右端に赤い文字でSOLDOUTと書かれた写真を拡大する。那緒の写真だった。真正面から撮られたであろう那緒の写真の右端に赤い文字でSOLDOUTと書かれていた。


ああ、本当に違った。

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