9話


那緒は後悔していた。

なぜ煽るようなことを言ってしまったのかと頭を抱えた。売り言葉に買い言葉。つい出てしまったのだが、それにしたって「なら証拠を見せてくださいよ」はない。探偵に追い詰められた犯人がそれを言って何度お縄についたことか。

今すぐに三点倒立を決めて雄叫びをあげながらシャカシャカして時間を遡りたい。背中が痛くて出来ないけども。

那緒は深く息を吐く。

これで監禁が強化されたらどうしたものか。


(いや、監禁が強化されるより出荷日が早まるのでは?秘密を知られたからには.....って)


都合の悪くなった商品や仲間は即廃棄。映画やゲームではありがちな展開だ。

さまざまな疑惑を打ち返してきた宇久森だが、今度ばかりは現物があるため那緒がそう易々と納得はしないと理解しているはずだ。

那緒の価値がなんらかの理由で上がっていたとしても、逃げられるリスクと天秤にかければどちらを取るかは明白だ。 

命あっての金。

殺される可能性は十分にあった。


(証拠を見せるって言ったけど、包丁とかポリ袋用意してたらどうしよう)


刃物片手に向かって来られても、那緒は背中の怪我のせいで逃げられない。撃退しようにも傷が痛んで腕に力は入らない。

詰んだと項垂れる。

自分で招いた事態にため息しか出ない。

せめて足枷だけでも外せたら。

ベルトに爪を立てるが、足首にぴったりなそれは鎖が揺れるだけで緩む気配すらない。ベッドの足を破壊出来れば鎖など関係ないのだが、それができるだけの力があるなら既にベルトを引きちぎっている。


(囚われないために人類はゴリラになるしか道はないのね。筋トレしよ)


頭をゴリラで満たしていると、遠くで台車を押すような音がして耳をそばだてる。

ガラガラと次第に大きくなる音に、近づいてきているのだとすぐに気づいた。

運ばれると思った。


(だ、台車.....バラバラにされて台車で運ばれて山に捨られる流れじゃん.....。武器、武器になりそうなものは)


無抵抗で殺されてたまるか。

那緒は部屋の中を見渡し、武器になりそうなものを探した。時計、スタンドライト、布団、鎖。使えそうな物はない。

文房具のひとつでも置いてないのかとサイドチェストを開けるが、中には何も無かった。

ガラガラと台車の音が近づいてくる。

心臓が壊れそうなほど脈打つ。

無いよりはマシだと右手で時計を左手でスタンドライトを手に取る。最悪これで殴打すれば気絶ぐらいするだろう。

唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

扉の前で台車の音が止まる。

武器を構えた。

ガチャリとドアノブを押す金属音。

ゆっくりと開いた扉の向こうには包丁を構えた宇久森がーーーーーー


「お待たせしました」

「................?」


ーーーーいなかった。

包丁を構えた宇久森がではない。宇久森はいなかった。代わりに姿を現したのはだ。

肩まである長い髪、うっすらと日に焼けた肌、目元にある黒子、長い睫毛に縁取られた真っ黒な瞳。


「わ、たし......?」


自分と瓜二つの女性がそこに立っていた。

鏡か。いや、そうではない。ちゃんと女性はそこにいた。不自然なくらい綺麗な姿勢で台車の上に立っていた。

ぽかんと口が開く。


「ドッペルゲンガー?」

「いいえ、マネキンですよ」

「マネキン」

「那緒さんdxと呼んでいます」


思わず飛び出した一言は即座に否定される。

台車ごと部屋に運び込まれたそれは、似ているなんてものではなかった。

まるで生写しだ。

学生の頃によく着ていたカーディガンにTシャツとデニムのジーパンスタイル。血の通ったような質感の肌、眠たげに目尻を下げる瞳は虚空を眺めていたが声をかければ動き出しそうに見える。肩が動いていないから辛うじて人間ではないと分かるが、遠目で見たら区別などつかないと断言できた。


「まだ未完成なので、荒削りな所には目を瞑っていただけるとありがたいです」

「荒削り....?」


荒削りってなんだっけ。

咄嗟にhey!S○riと声を上げ検索をかけそうになったが思いとどまる。どうせwi○iさんで確認したところで混乱を深めるだけだ。

那緒さんdxを見上げる。

この出来で完成ではないとはなんの冗談だろう。神は二物どころか三物も四物も与える過程で余計な才能まで注ぎ込んでしまったようだ。おかげで立派な変態になりましたよ、と那緒は親に酷く同情した。

お宅の息子さんは、どこに出しても恥ずかしくない立派な変態さんです。

那緒はそっとスタンドライトと時計を戻した。

その顔はフルマラソンを走り終えたランナーのように疲れきっていた。


「わたし宇久森さんのことナメてました。変態だ変態だって思ってましたけど、実は最上級の変態だったんですね」

「真です。名前で呼んでくださると嬉しいです」

「指摘するところそこ?」


触りますよと一声かけてから人形の手に触れる。柔らかな人肌の質感に驚いて手を引く。そっと触れ直せば陶器のように冷たくて、きちんと血の通っていない人間なのだと分かった。だがその手はとても人形の手とは思えないほど精巧に作り込まれていた。

写真はこれを作るための資料だと言われれば納得せざるおえなかった。これは一朝一夕でできるような仕事ではない。職人が年単位で完成させる代物だ。

才能の無駄遣いってこういうことなんだな。

特出した才に恵まれなかった那緒は眉間にシワを寄せた。初めて体験するもやもやとした感情は苦味のある独特な味がした。


「制作期間は?」

「大学二年生の夏から始めたのでざっと四年間くらいでしょうかね」

「四年でこのクオリティとかおかしい。もしかして職人志望でした?」

「いいえ、ずぶの素人です」

「うわぁ、才能の無駄遣い」


溢れ出る才能に対する嫉妬かと思われた苦みは、浸る時間さえなく違うと否定される。

正体はその才能をもっと他所で使って欲しいという心苦しさに違いなかった。

この匠の技と鋼の精神力で無駄な有機物ゴミを生成しないで、一儲けして美味しいご飯でも食べて欲しい。怖いから。その熱量がただひたすらに怖いから分散してついでに幸せになって欲しかった。こちらに見向きもしないくらいに。


「これで誤解は解けましたよね?」

「ええ........まぁ......」

「歯切れが悪いですね」

「解けました解けました解けたんでマネキン近づけないでくださいごめんなさい目が合うんです怖いですごめんなさい目が合うのまじ無理です」


ガラガラと近づいてくるマネキンに悲鳴を上げる。両手を前に伸ばして距離を稼ぐも、その程度ではその恐ろしさは軽減されない。

高い位置から那緒を見下ろす瞳は無機質だ。紛い物のずなのに、いくら身体をズラしても那緒から逸らされることはない。まるでじっくりとこちらを観察するかのように追いかけてくる。そう、追いかけてくる。

そんなはずはない。あれは硝子玉で動くはずはない。見ているように思えるだけ、ただの気のせいだと。

そのはずだ、そのはずなのに.....。

マネキンは冷たい目で那緒を見ていた。ずっと、まるで生きているみたいに。

那緒は戦慄した。

宇久森の執着アイがマネキンに心を与えたとでもいうのか。


「むり....」

「ああ、目が合うでしょう。どこに動いても目が合うようにしたんです」


レオナ◯ド・ダヴィ◯チの技法を真似てみたんですよ、とほくほく顔で言う宇久森を本気でぶん殴ってやろうかと那緒は思った。

背中が痛むので止めた。


「もう人形職人になれよ.........。究極の少女になるために戦うタイプの人形を作ることだって夢じゃない、夢じゃないから」


違った、良かった。

安堵する一方で湧き上がる怒りをため息と一緒に身体から追い出す。雑多な感情でもうぐちゃぐちゃだった。

恐怖・嫌悪・怒気・希求。

入れ替わり立ち替わり与えられる感情は、まるで山の天気のようにコロコロと色を変え品を変え那緒に襲いかかる。

疲れた....。

今度は重たいため息を吐く。

取り繕うように敬語を使うのが馬鹿らしくなって口調を戻す。敬語が外れたくらいで殺すならもう最初から殺されている、と開き直る。


「こんなに素敵なマネキンがいるなら、わたしは必要ないですよね。マネキンとよろしくやったらどう?」

「ば、馬鹿なこと言わないでください!こんなものはあくまでも紛い物!那緒さん不足を誤魔化すための代用品でしかありません!」


自分が作った渾身の作品をこんなもの呼ばわりするんじゃないよ。可哀想だろう。見ろ、心なしかマネキンの目も悲しそうに....あれ、やっぱりこのマネキン生きてないか。


「でもほら、そっくりだし」

「いいえ、僕はまだ那緒さんの魅力の半分も投影出来ていません」

「本物より十分魅力的に見えるけど」

「謙遜しないでください。模した那緒さんdxが本物の那緒さんより魅力的なわけがないでしょう」

「毛穴もシワも無くて本体より魅力的だが?」

「毛穴....?シワ.....?」

「え、見えてない?近視ですか、眼鏡屋に行きましょう。これ何本に見えますか?」


指を3本立てると、美しい指ですねと返って来た。どうやら彼が行くべき場所は眼科ではなく脳外科らしい。水仕事と紙仕事で荒れて油分の無くなったカサカサの指を見て美しい発言は重症だ。もう手遅れかもしれないが、自覚することも大事な治療だとテレビで言っていたので外科を勧める。


「駅から10分ぐらいの所に腕のいいって評判の医者がいるんで、予約して.....ぅあ!?」

「ああ、やはりとても綺麗です」


腕を取られた。大きな手が掬いあげるように手首を覆って、突き出された手のひらに宇久森が感嘆の声をあげる。

ゾワッと鳥肌がたつ。

どうしてこの人の撫で方はこうも気持ち悪いのだろう。


「那緒さんの手は美しいですよ」

「お世辞は結構です」

「柔らかくて、滑らかで、ささくれの1つすら無い手を世間では美しいと称するのでしょうがね。すくなくとも僕はあんな甘えた小娘のような手を美しいとは思えない」

「あれ?ぜんぜん聞いてない?」


手首から手の平を通って指の腹へ。皺の一本、指紋のひとつまで慈しむように宇久森は那緒の手の平に指を這わせていく。

くすぐったくて腕を引っ込めようとするも、見越していたのか同じタイミングで宇久森が頬を寄せた。

温い体温が手のひらに広がる。


「水仕事と紙仕事で少しカサつく、生きることの苦痛を知る手だからいいのです」

「........変わった趣味ね」


毒を吐く。宇久森はゆるりと猫のように目尻を垂らすと、そうかもしれませんねと呟いた。スリッと擦り付けられるが、今度は振り払うことはなかった。


(わたし、なんて単純なんだろう)


やけに部屋が熱く感じた。

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