第十一話

 崩壊したコロシアムに朝日の光が降り注いでいる。すべてが終わった後、『少女』はひどい虚無感にとらわれていた。彼女には行く場所も無ければ、帰る場所も無い。彼女を縛り付ける枷は外れたが、彼女を突き動かす翼も失ってしまった。『少女』を形作っていたものは瓦礫となって崩れ去り、塵と共に消え去ってしまったのだ。

「あかい……〝そら〟。」

 誰もいなくなったコロシアムの真ん中で『少女』は呆然と朝焼け空を眺めていた。ただただゆっくりと時間だけが過ぎ去っていく。日が昇るにつれて赤く染まっていた空の色が徐々に青く塗りつぶされていった。

「あおい……あおい……〝そら〟。」

 紅い瞳に青く染まった空が映りこむ。『少女』は夜空に光をもたらしたものに興味を持ち始めた。黒く染まっていた夜空を、赤や青に染め上げたものの正体に……。

 傷だらけの身体を気にすることも無くその場に立ち上がると、『少女』はアリーナ脇に積まれている瓦礫の傍まで歩を進めた。細い手足を使って瓦礫の山を器用に登り始める。アリーナの壁を越え、崩壊した観客席を乗り越え……。かつてステンドグラスが設置されていた天井の縁に手をかけて身を乗り出すと、眩しいほどの光が飛び込んできた。あまりの眩しさに『少女』が思わず目を背ける。徐々に目が光に慣れてくると、彼女は薄く瞼を開けて目の前に広がっている景色を眺めた。

「……たいよう?」

 遥か遠くで球体が過剰なほどに強く光り輝いている。それは『少女』が生まれて初めて見る太陽だった。太陽の下に広がる地面には、何もない緑色の原っぱが地平線の果てまで広がっている。左右を見渡しても何もない緑色の原っぱが広がっているだけだった。後ろを振り返ると、コロシアムの天井があったと思わしき大きな穴がぽっかりと開いているだけで、やはり緑色の原っぱがどこまでも広がっている。どうやら学校の校舎は地下空間に建設されていたようだ。

「これが、そとのせかい……。」

 身を転がす様に穴から這い上がると、『少女』は太陽へ向かって一心不乱に歩き始めた。目の前に広がる何もない草原の上を、おぼつかない足取りでひたすらに歩き続ける。歩いて、歩いて、歩いて……。徐々に地平線が近づいてくると、その先には雲海が広がっている事に気付いた。太陽は既に天高く上り始めている。


 『少女』が地平線にたどり着くと、目の前には〝世界の果て〟とも言える光景が広がっていた。一歩先に地面は無く、断崖絶壁の上に立つ格好となっている。崖下には荒れ狂う海が広がっており、目の前に見える水平線の先からは滝のように水が流れ落ちていた。落下し続ける大量の海は、雲海の先へと消えて無くなっている。左右を見渡すと、そんな光景がどこまでもどこまでも続いていた。

「シェムとアルマは〝のぼった〟。」

 『少女』が天高く昇っている太陽を見つめる。太陽に向かって右腕を伸ばし掴もうとするも、指先が空を切るだけで何も掴めない。だらりと右腕をおろすと、足元に視線を移した。雲海の先へと消えていく海を眺める。

「〝おちれば〟どうなるの?」

 そう呟くと、『少女』が何の躊躇もなく崖の先に向かって右足を一歩、踏む出す。彼女の裸足が虚空をつかみ取ると、頭から真っ逆さまに落下し始めた。そのまま海面を突き破り、『少女』の視界が真っ青になる。激流に身をゆだねていると、いつの間にか海と共に滝から流れ落ちていた。そのまま大量の水と共に雲海の中を突き進んでいく。

 やがて水が霧散し『少女』の身体が雲海を突き破ってもなお、彼女は暗闇の中で落下し続けていた。水圧と風圧にさらされて耐えきれなくなった黒いネグリジェが、薄明りに紛れながら徐々に破れ散っていく。肩紐に掛けていた蠅のブローチが光を追い求めるように飛び去って行く姿を、『少女』の紅い瞳は捉えていた。

「〝はね〟……。」

 薄れ行く意識の中で、聖堂に描かれていた天使の絵画が思い浮かんだ。黒い翼の生えたシェムの姿が思い浮かんだ。飛び去って行く蠅の姿が紅い瞳に焼き付いた。

「〝はね〟があれば、わたしもとべた……?」

 その言葉を最後に、『少女』の意識は途絶えた。




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