第十話

 半壊したコロシアムで赤い天使が『少女』を見据えている。『少女』は突然現れた天使の姿を確認した。既に衣服は破れ去っており、真っ赤に染まった女性の肢体が露わになっている。背中からは黒く大きな翼が二枚、アリーナを覆い尽くさんばかりに伸びていた。姿形は天使だったが、絵画で見た様な神々しさは感じられない。長い紫髪の奥から血の涙を流しながら、赤い天使が不気味に口角を上げている。

「ミツケタ……。サイゴノ……。」

 天使は瓦礫の山からアリーナに飛び移ると、ゆっくりと『少女』に向かって歩を進めた。明確な殺意を向けながら、ゆらりゆらりと近づいてくる。天使の殺気を感じた『少女』は咄嗟に拳銃を拾い上げた。右手に銀色の、左手に鈍色の拳銃を握る。その瞬間、『少女』に向かって巨大な握り拳が襲い掛かった。

 

——ドゴォォォン!


 長さ二十メートルを超える腕へと変化した天使の翼がアリーナに突き刺ささる。地面が抉れた衝撃でコロシアム全体が揺れると、貫通した穴からアリーナを敷き詰めている赤褐色の砂が漏れ出していた。横っ飛びで天使の一撃を回避していた『少女』はすかさず、振り下ろされた腕を狙って計四発の弾丸を放った。天使の黒い翼に弾痕が刻み込まれる。赤い血は流れ出ていたが、あっという間に傷口は塞がっていた。『少女』は天使の胴体を狙ってさらに計四発、弾丸を発射する。天使はもう片方の翼を盾にして弾丸を防いだ。翼の傷がみるみるうちに治っていく。

「〝つばさ〟にあたっても、いみがない……。」

 確認するように呟くと、『少女』は天使に向かって真っすぐ駆け出した。天使が両翼を左右から薙ぎ払う様に迎撃する。『少女』は地面を蹴って片翼を飛び越えると、もう片方の翼を踏み台にして飛び上がった。宙に浮きあがった状態のまま、天使の胴体を狙って弾丸を放つ。

「アァア!?」

 計四発の弾丸がそれぞれ頭部、胸部、腹部、右大腿部に命中した。悲鳴と共に血が溢れたものの、天使は倒れない。その直後、宙に浮かんだままの『少女』に巨大な掌がせまる。天使がすかさず迎撃に出たようだ。『少女』は巨大な掌に容赦なく叩きつけられると、コロシアム外周の観客席まで吹き飛ばされた。

 

——ドガァァァン!


 物凄い破壊音と共に石造りの観客席が崩壊する。瓦礫の海と化した観客席からは粉塵が舞い上がっていた。天使の身体に刻まれた弾痕は、徐々にではあるものの消えて無くなりつつある。やがて傷跡が完全に塞がると、赤い天使がアリーナ中央で狂ったように笑い声をあげていた。両目からは血の涙が溢れ出している。

「アハッ! アハハハハハハッ!」

 天使は両翼を拳へ変化させると、コロシアムを破壊し始めた。憎悪のこもった黒い両拳が壁を、天井を、地面を次々と抉り飛ばす。三色のステンドグラスに覆われていた天井は、今や夜空がむき出しになってた。壊れた屋根から顔を覗かせる夜空は少し明るくなり始めている。天使が手当たり次第に破壊の限りを尽くしていると、瓦礫の山となった観客席から物音がした。

「けほっ……。あぶなかった。」

 瓦礫の中から『少女』が姿を見せる。黒いネグリジェは破れ全身が擦り傷まみれになっているが、両手には銀色と鈍色の拳銃が握られたままだ。彼女は口元を拭うと、その紅い瞳で赤い天使を見据えた。

「〝からだ〟はやわらかい。けれどすぐなおる。なら。」

 その一言と同時に『少女』が天使に向かって駆け出す。天使は『少女』の姿を認識すると、その場に飛び上がり両翼を思い切り羽ばたかせた。黒い翼から抜け落ちた無数の羽根が、鋭い刃のような弾丸となって『少女』に襲い掛かる。それでも『少女』は止まらない。両手に持っている拳銃で羽根を叩き落としながら、紙一重で刃の雨を回避し続ける。ゆっくりと、だが確実に天使へ向かって前進し続けていた。

「ナンデ……。ドウシテ……!」

 天使の双眼から流れる血の涙が地面へと零れ落ちる。天使は何度も翼を羽ばたかせて刃の雨を降らせ続けた。だが、『少女』に向かって放たれた羽根はすべて叩き落されるか、紙一重で回避され続ける。徐々に近づいてくる『少女』が〝腕〟の射程圏内に入った事を確認すると、天使はしびれを切らしたかのように片翼を拳に変化させて殴りかかった。『少女』が赤い瞳で天使を捉える。

「こんどは〝しっぱい〟しない。」

 『少女』は素足で地面を蹴ると、拳がギリギリ当たらない程度に飛び越えた。そのまま拳の上に着地すると、腕に変化している翼の上を踏みしめながら天使に向かって走り出す。すかさずに天使の胸部めがけて計四発、弾丸を打ち込んだ。天使が咄嗟にもう片方の翼を壁にして全ての弾丸を防ぐ。弾丸を防いだ片翼で『少女』を薙ぎ掃おうとしたその時、『少女』は既に翼の壁を飛び越え、天使の頭上まで接近していた。

「おなじ〝しっぱい〟はしない。」

 『少女』がそのまま天使の胴体へ取り付く。暴れる天使を抑えながら胸部へ銀色と鈍色の銃口を突き刺すと、残り計四発の弾丸を全て心臓に撃ちこんだ。

「アアアアアアァァァァァァ!!」

 天使が血を吐き絶叫する。心臓に放たれた弾丸の内、半数以上は背中を突き抜けたようだ。それでもなお、天使は残った力を振り絞り『少女』を片翼で叩き落とした。『少女』がアリーナの瓦礫へ、天使がアリーナの中央部に激突する。


 『少女』が瓦礫の山から這い出すと、アリーナの中央にはうつ伏せになっている天使の姿が見えた。天使の傍らには、胸部へ突き刺した銀色の拳銃と鈍色の拳銃が横たわっている。『少女』はその場に立ち上がると、赤い天使の元へ歩を進めた。天使の黒い翼が徐々に塵となって消えていく。真っ赤に染まっていた身体が元の肌色へ戻っていた。『少女』が紫髪の少女を抱きかかえる。

「シェム。」

「…………。」

 シェムは虚ろな目で自分を抱きかかえている人物を確認しようとした。だが、真っ暗で何も見えない。シェムは震える手で相手の体を触った。細い腕を辿っていると、肩のあたりで小さな何かにぶつかる。指先をなぞりながら確かめると、蠅を象ったブローチであることに気が付いた。

「…………!」

 シェムは辿るように『少女』の頬へと触れた。とても温かい。彼女は精一杯の笑顔を浮かべながら静かに呟いた。

「あ…り…が…と……。」

 『少女』の頬からシェムの手が滑り落ちると同時に、夜明けを告げる太陽の光が崩壊したコロシアムを包み込んだ。徐々に塵と化していくシェムの身体が、天へと昇るようにゆっくりと消えていく。やがて塵一つ残さずに消え去ると、蝶のヘアピンがトンボのブレスレットへと寄り添うように横たわっていた。




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