第九話

 真っ白な部屋のベッドから立ち上がった黒いネグリジェ姿の『少女』は違和感を感じ取っていた。普段とは比較にならないほど扉の外が騒がしい。『少女』は外に出るために扉の前へ移動した時、ふと自分が使っている学習机の上に何かがある事に気が付いた。

「……むし?」

 手作りと思われる蠅を象ったブローチが机の上に置かれている。昨晩、部屋に戻った時には置いていなかったものだ。ブローチの下には手紙も置かれていた。どうやらシェムが残したものらしい。手紙には一言だけ記されている。


——外の世界でまた会いましょう。


 『少女』が蠅のブローチを手に取ると、廊下から発砲音が鳴り響いた。近くで誰かが銃を撃っているのだろう。しばらくすると発砲音が鳴り止んだ。『少女』はブローチをネグリジェの肩紐に挟むと、慎重に扉を開けて廊下の様子を確認した。驚くほど真っ白だった廊下が、見る影もないほどに赤く染まっている。道端には赤い模様が付着している白い制服と、カートリッジのない拳銃だけが辺りに散らばっていた。

「……?」

 よく見ると、廊下先の吹き抜けに一人だけ人間の姿が見える。制服を着ている女子生徒が瓦礫に持たれかかりながら倒れていた。既に息も絶え絶えの状態だ。右肩と腹部が真っ赤に染まっている。『少女』は女子生徒に近づくと声を掛けた。

「どうしたの?」

「……。」

 虚ろな目をした女子生徒は顔を上げると、『少女』に向かって右手を伸ばした。まるで何かに追いすがるように『少女』の小さな手を握りしめる。すると、張り詰めた糸が切れるかのように女子生徒の全身から力が抜け落ちた。女子生徒の身体が塵のように消えてゆく。彼女の居た場所には白い制服だけが取り残された。

「きえた……。」

 『少女』が誰もいなくなった吹き抜けを見渡す。最下層にある中庭は瓦礫の山に埋もれていた。吹き抜け添いの廊下もことごとくが破壊されており、規則正しくレイアウトされていた装飾は見る影もない。無数に散らばっている白い制服がやけに印象的に見える。天井を見上げると、聖堂の天井が見えるほどに強大な穴が開いていた。

「……こえ?」

 吹き抜けにはパラパラと瓦礫の崩れている音だけが響いている。しかし、『少女』は聖堂の先——コロシアムで誰かが自分を呼んでいるような、そんな気がした。

 

 他に行く場所もないので、『少女』は上層へ向かう事にした。最初は吹き抜け添いの階段を使おうとしたが、ことごとく破壊されておりまともに使えない。仕方がないので程近い訓練棟の階段まで迂回することにした。その道中でも、そこかしこに散乱している赤く染まった白い制服が目につく。

「みんなきえた……?」

 疑問を抱えながら、『少女』は訓練棟入り口の扉を開いた。途端、真正面に見える訓練室の出入り口から、こちらに向かって狙いを定めるガトリング銃が視界に入る。『少女』は咄嗟に扉を引いて後ろに隠れた。次の瞬間、銃声と共に金属製の扉へ無数の弾丸が突き刺さる。直後、気が狂ったかのように興奮した声が訓練棟へ響き渡る。

「おまえー! ここにある武器は全部僕たちの物なんだよー! 絶対……、絶対誰にも渡さないからなー! アーヒャヒャヒャヒャヒャー!」

 奇声と共に、小太りの男子生徒が訓練等の出入り口に向かってガトリング銃を乱射している。しばらくの間『少女』が扉の後ろに隠れていると、弾切れを起こしたのか銃身の空転する音が聞こえてきた。それを見計らったように『少女』が扉を開け階段へと走り出す。あわてて小太りの男子生徒が拳銃を構えようとしたその瞬間、破壊音と共に訓練棟全体が大きく振動した。小太りの男子生徒は訓練室内へと注意を移す。

「なななーっ! 何だ何だー!?」

「怪物だ! 例の赤い怪物がここまで来たぞ!」

「皆さん落ち着いてください! 我々は今、強力な武器で武装しています! たとえ相手が怪物であっても、我々の武器を奪おうとしていたハイエナ共と同じ様に処理できますよ!」

「そっ……そうだな! よ、よーし……、撃て! 撃ちまくれ!」

 急に訓練室が騒がしくなる。だが、彼らの注意が訓練室内へ逸れた事は『少女』にとって幸運だった。『少女』は廊下を埋め尽くす血まみれの制服を裸足で踏みしめながら、何事もなく訓練棟の階段へとたどり着く。『少女』が階段を上り始めた時、訓練室内から微かに声が聞こえてきた。

「何故!? 何故倒れないのですか!? うわっ!? 止め」

「うわー!? 来るなー……! 来るなー! 来」

 その声を最後に、訓練棟からは瓦礫の崩れる音しか聞こえなくなった。


 建物内の揺れを気にすることも無く、『少女』が階段を駆け上がっていく。道中に散乱している中身の無い制服や戦闘服は最早、見慣れた光景になっていた。黒いネグリジェ姿の『少女』は人の気配が消え去った校内をひたすらに突き進む。誰かの声に導かれるかのように、『少女』は再びコロシアムへとたどり着いた。

「……くらい。」

 昨晩と比べてアリーナを照らしている照明の数が半分になっている。コロシアムの天井が半壊したことにより、星々の煌めく夜空がむき出しになっていた。『少女』は生まれて初めて見る夜空をその場でジッと眺める。

「きれい……。」

 『少女』はアリーナの中央に視線を移すと、血まみれになっている大きな肉塊の存在に気が付いた。肉塊からは少年の上半身が生えている。『少女』はアリーナの中央へ歩を進めると、少年をよく観察する為に彼の目の前でしゃがみこんだ。緑色の髪をした少年が地面に伏しながら呻き声を上げている。傍らには銀色の拳銃と鈍色の拳銃が横たわっていた。

「アルマ?」『少女』が少年の名前を呼ぶ。

「きみ…は……。」

 アルマはゆっくりと顔を上げて、目の前にいる人物の顔を確認した。『少女』が地面に手を付けてアルマの顔を覗き込んでいる。彼は見知った人物であることを確認すると、出来る限りの笑顔を浮かべた。

「はじ…めて……なまえ……よんで……く…れた……ゲホッゲホッ!」

 アルマは咳込むと血を吐いた。よく見ると、その表情には生気がなく目も虚ろだ。『少女』が治療道具を探しに行く為に立ち上がろうとした時、アルマが彼女の腕を掴んで制止した。アルマがゆっくりと首を横に振る。『少女』はその場に留まると、思わずアルマの右手を握りしめていた。アルマが手を握り返しながら話し始める。

「きみ…に……おね…がい……が……。」

「おねがい?」

「シェム…を……とめて…あげ…て……。もう……じぶんで……とめ…られな…い…から……。ぼく…も……おな…じ…だった…から……わかる……。にく…しみと……かな…しみ…が……あふれ…て……とま…らなく……なる…から……。」

 アルマがぽつりぽつりと言葉を振り絞る。

「シェム…を……たす…けて……あげ…て……。もう……、きみ…に…しか……た…の……め…な…い……。」

 アルマが涙を流しながら懇願する。『少女』の手を握っている力は徐々に弱くなっていくが、それでも力強く彼女の手を握りしめた。アルマの必死の願いに、『少女』が一言だけ応える。

「わかった。」

 『少女』の返答を聞くと、アルマは微笑みを浮かべた。

「あ…り…が…と……う…………。」

 その言葉を最期に、アルマの肉体は塵と化していった。粉塵が夜空に舞い上がり、星の彼方へと消え去る。アルマがいた場所には、トンボを象ったブレスレットだけが取り残されていた。

「アルマ……。」

 夜空を見上げながら『少女』が静かに呟く。すると、彼女の後方から瓦礫の崩れる音が聞こえてきた。誰かが近づいてきているようだ。『少女』が後ろを振り返ると、壊れた赤い扉を踏みつぶしながら〝それ〟が姿を現した。

「てんし……?」

 コロシアムに再び赤い天使が舞い降りた。




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