第八話

 血にまみれたアリーナの中央で、赤い天使が黒い翼を羽ばたかせながら宙に浮いている。天使と化したシェムは正気を失ったかのように呆然とした表情で辺りを見渡していた。両目からは止めどなく血の涙が溢れている。モニター室では鳴り止まない警報音をよそに、アザールが歓喜の声を上げていた。

「やはり貴女は優秀な方だ! やっと私の努力もむく」

 次の瞬間、アザールの目の前に巨大な握り拳が映る。

 

——ドゴォォォン!


 轟音と共にモニター室が巨大な拳に叩きつけられる。ガラス片や様々な機材と一緒にアザールの全身が壁にめり込むと、全身の骨が砕けたかのように各所から血が吹き出していた。一撃で潰された赤い扉上部のモニター室には、攻撃に巻き込まれた職員たちの真っ赤な痕跡だけが残っている。アザールは薄れ行く意識の中、赤い天使を眺めていた。

「なる……ほど……。」

 黒く巨大な握り拳が赤い天使の背中から伸びていた。いや、正確には『巨大な黒い翼が変化していた』と表現する方が良いだろう。〝後天的肉体強化による即自的な細胞の変化〟——それはアザールが長年求めてやまない『Angelos』の完成を意味していた。彼は壁にめり込んだ状態で笑みを浮かべている。

「やは…り……わた…しは……まち…がって……いなか」


——ドゴォン!


 トドメを刺すかのように巨大な握り拳がもう一度、アザールを叩き潰す。瓦礫の山と化したモニター室から血まみれの握り拳が剥がれると、アザールだった塊が地面へと崩れ落ちた。壊れた機械がショートし、所々で爆発を起こしている。赤い天使はアザールが息絶えた事を確認すると、腕のような形状に変化していた片翼を元の姿に戻した。

「アア゛ア゛ア゛ァ゛ァ……!!」

 赤い天使の苦しむような叫び声がコロシアムに響き渡る。彼女は再び翼を拳に変化させると、何度も赤い扉を殴りつけた。轟音と共に扉が吹っ飛び、コロシアムと聖堂を隔てていた壁が崩れ去る。赤い天使が瓦礫の山を這い上がると、聖堂の出入り口付近に武装した教師たちがライフル銃を構えた状態で数十人ほど整列していた。

「実験体が姿を現したぞ!」

「これより暴走した実験体の鎮圧にかかる!」

「総員、撃てー!」

 赤い天使に向かって弾丸の雨が降り注ぐ。彼女は掌の様な片翼で身体を覆い全ての弾丸を防いだ。血まみれの翼に残る銃痕がみるみるうちに治癒されていく。彼女は天高く飛び上がると、拳に変化させた翼を職員たちに向かって振り下ろした。赤い血しぶきが舞い上がると同時に聖堂の床へ亀裂が入る。床が木っ端みじんに崩れ去ると、振り下ろされた拳は床下に広がる吹き抜け部分へと貫通した。大量の瓦礫が校舎の吹き抜け部分を落下して中庭へと降り注ぐ。

「おい!? 何だ!?」

「え? どうしたのよ急」

「上から瓦礫が!? 誰か助」

 中庭にいた生徒が次々と瓦礫の下敷きになっていく。中庭はあっという間に鮮血と瓦礫の海へ変わった。中庭から逃げ延びた生徒や廊下に居合わせた生徒が続々と悲鳴を上げている。天井に空いた穴から赤い天使が姿を現すと、生徒たちの悲鳴とパニックはより一層大きくなった。中庭で瓦礫を回避した生徒たちが泣き叫んでいる。

「どうしていきなり天井が崩れたのよ!?」

「俺に聞かれてもわかんねーよ……って、何だあの怪物!?」

「講堂に描かれてた天使に似てる気がするけど……。」

「あんなに禍々しくなかっただろ! って、上に居る奴らが!?」

 中庭に居る生徒が上層を見上げると、赤い天使が手当たり次第に生徒たちを追いかけ回していた。天使は背中から伸びる二つの腕を器用に使い、壁や支柱を破壊しながら縦横無尽に吹き抜け内を跳び回っている。長い腕の射程圏内に生徒が入ると、蚊が止まったかのように叩き潰してた。天使を止める為、吹き抜け添いに続々と武装した教師が集まっている。

「いたぞ! 中庭の五層付近だ!」

「皆さん、先生が来たからもう安し」

「くたばれこの化けも」

 武装した教員たちが抵抗する間もなく続々と血しぶきに変化していく。真っ白だった廊下は真っ赤な瓦礫へと変貌していた。

「だだっだめだー……。先生たちも全然頼りにならないよー! このままじゃあ俺たちもー……。」

「……武器です! とにかく己の身を守るために強力な武器が必要です! 今すぐ射撃訓練棟まで逃げますよ!」

 赤い天使の暴走により、校内は阿鼻叫喚の様相を呈していた。教師は頼りにならないと判断した生徒たちがそれぞれ思い思いに行動している。ある者はただひたすらに校内を逃げ回った。ある者は天使に立ち向かい絶命した。ある者は武器を求めて訓練棟に向かった。ある者は自室のベッドにもぐりこみ現実から目を逸らした。ある者は手にした拳銃で自らの頭を打ち抜いた。


 今や学校内は地獄の戦場と化している。そんな中、ベッドの上で眠っている一人の少女が目を覚ました。誰もいない隣のベッドを見た後に、ゆっくりと上体を起こす。

「……さわがしい。」

 『少女』が紅い瞳で扉の先を見つめていた。




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