第四話
二つのベッドと二つのデスクが置かれた真っ白な部屋で、シェムが自分の荷物を整理している。教科書や筆記用具、様々な虫を象った手作りのアクセサリーを木箱の中に詰め込んでいた。そんな彼女の様子を、向かい側のベッドに座っている『少女』が不思議そうに眺めている。
シェムは部屋に置いていた私物をすべて木箱の中に収めて封をした後、自分が使用しているベッドの上へと寝転がった。そのまま何もない真っ白な天井を眺めている。しばらくすると、シェムは隣のベッドで座っている『少女』に声を掛けた。
「そろそろ消灯時間よ。アンタも寝なさい。」
「うん。」
『少女』がベッドで横になると、室内を照らしていた真っ白な光が消え去った。代わりに、常夜灯から漏れ出るオレンジ色の光が部屋をほのかに包み込んでいる。廊下から聞こえていた生徒たちの騒がしい声も、いつの間にか鳴り止んでいた。辺りには空調と呼吸が作り出した静寂が広がる。『少女』が目を閉じ眠りにつこうとした時、隣のベッドから声が聞こえてきた。
「アンタ、私に何か言うことは無いの?」シェムが天井を見上げている。
「……?」
シェムに何かを催促され、『少女』はきょとんとした表情のままベッドから起き上がった。シェムは『少女』を横目でチラリと見た後、何もない天井を眺めながら溜め息を吐いている。シェムは呆れたような声で話し始めた。
「あのねぇ……、明日は私の卒業試験なのよ?」
「うん。」
『少女』の短い返事を聞くと、シェムは思わずベッドから起き上がった。彼女はベッドの上で胡坐をかくと、隣のベッドに寝転がっている『少女』へと向き直る。
「『うん』って……、アンタホントに分かってる? 試験前は準備があるから点灯時間前に部屋を出て行かないといけない。試験後は即、外の世界に放り出されるみたいだから学校内には戻れない。つまり、今はアンタが私と話せる最後の機会なのよ?」
「うん。」
先ほどと変わらぬ返事を聞き、シェムは大きな溜め息を吐いた。彼女は背中を丸めると、胡坐をかいたままその場で頬杖をつきはじめる。シェムは少し悩んだそぶりを見せた後、小さな声で『少女』へと語り掛けた。
「……半年近く射撃訓練に付き合ってくれたルームメイトへ掛ける言葉は無いのかって聞いてるのよ。」
シェムがふくれっ面を見せる。『少女』はその場で少し考えを巡らせると、いつもと変わらぬ調子で一言だけ告げた。
「ありがとう。」
「……それだけ?」
「……まちがえた?」『少女』が首をかしげる。
シェムは呆れたように大きく息を吐くと、再びベッドへ勢いよく寝転がった。
「ふん! アンタに期待した私がバカだったわ! せいぜいこれからも楽しい学校生活を送りなさい! おやすみ!」
そう言うと、シェムは『少女』に背中を向けて頭から布団を被った。『少女』は再びその場で首をかしげる。
「……? おやすみ。」
『少女』は再びベッドで横になると、そのまま眠りについた。
皆が寝静まった頃、『少女』はふと目を覚ました。その場から起き上がり隣のベッドを見ると、シェムが静かに寝息を立てている。しかし、シェムではない『何か』の息遣いも聞こえるような気がした。『少女』が部屋の扉を見つめる。
「……だれ?」
『少女』は黒いネグリジェ姿のままベッドを後にすると、シェムを起こさないよう音を立てずに扉を開けた。廊下の足元だけが常夜灯のわずかな光に照らされている。裸足のまま廊下を歩いていると、導かれるように最上階の聖堂にたどり着いていた。入口の扉には張り紙が貼られている。何が書かれているのかは暗くてよく見えない。そっと扉を押すと何の抵抗も無く開いた。どうやら鍵は掛かっていないようだ。扉を開いた際に滑り落ちた張り紙を気にすることも無く、『少女』は聖堂へと入った。廊下に落ちた張り紙の表面が常夜灯に照らされている。
——卒業試験会場につき関係者以外立入禁止
『少女』は聖堂に入るとすぐに違和感を感じた。天使を描いている絵画が普段よりも天井に向かってせり上がっている。絵画が飾られていた場所には見慣れない両開きの真っ赤な扉が姿を現していた。扉の表面には六つの翼を持つ天使が象られている。『少女』は祭壇を階段代わりに使って扉の正面に立つと、静かに赤い扉を開いた。
『少女』が赤い扉の先に歩を進めると、円形の闘技場が広がっていた。『少女』が入ってきた赤い扉の反対側には、鉄格子の様な青い扉が存在している。その青い扉の上部には、モニタリング室の様な部屋が設置されていた。赤褐色の砂で覆われているアリーナと石畳で出来た客席の間は、ガラスの様な透明な壁で仕切られている。色鮮やかなステンドグラスが闘技場の丸天井を埋め尽くしていた。
『少女』はアリーナの中央まで歩を進めると、顔を上げて天井に描かれているステンドグラスを眺めた。青い人間と赤い天使、そして白い蛇が象られている。
「この場所は『コロシアム』という建造物を参考に作られた場所です。前時代に存在した、命のやり取りを大衆の見世物として披露する場だったそうですよ。」
突然、闘技場に落ち着きのある男性の声が響き渡る。赤い扉の前でアザールが杖を片手に直立していた。彼はアリーナの中央へ歩を進めながらコロシアムについて淡々と語り始める。
「自らの力を証明する為、富と財を手にする為、スリルを味わう為、他人の血を浴びたいが為、自由を手にする為……。コロシアムで戦った者——剣闘士は様々な理由で自らの剣を振るったそうです。」
アザールは『少女』の横を通り過ぎると、手に持っている杖で地面を二度突いた。その瞬間、アリーナを照らしていた明かりが一斉に消え去る。それと同時に、二つのスポットライトがアザールと『少女』を照らしつけた。アザールが『少女』の背中越しに話しかけてくる。
「本日の午後、AAH-35——アルマ・ガヴァナーと言った方が通じるでしょうか? 彼の卒業試験がこの場所で行われました。結果は……ご想像にお任せします。」
「アルマ……。」『少女』の脳裏に緑髪の少年が思い浮かぶ。
「明日の午後にはAAH-41——シェム・ブランドソールの卒業試験をこの場所で行います。彼女もまた、剣闘士の一人としてこの場所に立つのです。」
アザールが杖で地面をつつくと、再びアリーナ全体が明るく照らされた。『少女』はアザールを気にも留めず、引き続き天井のステンドグラスを眺めている。そんな彼女の様子を見て、アザールの表情が一瞬だけ怪訝なものになった。瞬きをしている間に元の張り付いたような笑顔へと戻っていたが……。
アザールは『少女』に向き直ると、努めて柔らかい口調で彼女に話しかけた。
「BAD-01さん。そんなにコロシアムが気になるのであれば本日開催される卒業試験の終了後、再び聖堂まで来てください。その時であれば特別に、コロシアム内を自由に探索してもよろしいですよ。」
アザールが『少女』の背中をポンと押して退室を促す。『少女』は渋々、アザールと共に赤い扉へと向かった。二人が赤い扉からコロシアムを後にする直前、『少女』がふとアリーナを挟んで反対側にある青い扉に視線を向ける。
「……きのせいかな。」
青い扉の奥に『何か』が居るような、そんな気がした。
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