第二話
天使の絵画が飾られている聖堂で、白い制服を着た生徒たちが講義を受けている。生徒たちは分厚い本を開きながら静かに教師——アザールの話を聞いていた。
「……よって、滝から落ちた者は無の世界を永遠にさ迷うことになると言い伝えられています。皆さんも卒業して外の世界へと羽ばたく際は、世界の果てには近づかないように十分注意してください。」
——リンゴ―ン リンゴ―ン
大きな鐘の音が学校内に響き渡り、アザールが手に持っていた本を閉じる。
「これで本日の講義はすべて終了です。皆様お疲れ様でした。食事の時間には遅れないように注意してください。夜中に空腹で目が覚めてしまいますから……ね。」
授業を切り上げると、アザールは聖堂に併設されている準備室へ向かった。生徒たちが和気あいあいと聖堂から退出していく。そんな聖堂の中で一人、蝶を象ったヘアピンを紫髪に乗せている少女——シェムが椅子に座ったまま溜め息を吐いていた。
「ハァー……。」
「どうした? 優等生ともあろうシェム様が寝不足か?」
左腕にトンボのブレスレットを付けた緑髪の少年——アルマがうなだれているシェムに声を掛ける。シェムは気だるげに顔を上げると、束ねられている髪をいじりながら答え始めた。
「違うわよ……。今日も講義に来てないのよアイツ……。」
「アイツ? ……あぁ、シェムと同室になった黒髪の子か。名前なんだっけ?」
「……知らないわよ。」シェムが手のひらを掲げる。
「え? 同室なのに? 何で?」
「アイツ、自分からは一言もしゃべらないし、私から質問しても『分からない』だの『知らない』だのばかりで会話にならないのよ。部屋にいる時もベッドの上に座って微動だにしないし……。まるで動く人形と同居してる気分よこっちは!」
「まぁ落ち着けってシェム。」
頬をぷくっと膨らませながら怒るシェムを、アルマが苦笑いを浮かべながら抑え込んでいる。シェムが頬に溜めてた空気を一気に吐き出すと、アルマは首を傾けたまま彼女に疑問をぶつけた。
「でも、なんで彼女を心配してるの? 傍から見てると仲良くは無さそうなのに。」
「……アイツ、しょっちゅう講義をサボってるみたいなのよ。そのせいで色んな先生から同室の私にアイツの居場所を聞かれるの! 知らないっての! あぁ……こんなつまらない事で私の評価が下がってないかが心配だわ……。」シェムが頭を抱える。
「あぁ、自分の評価を気にしてたのか。」アルマが納得の表情を浮かべる。
「おやおや、お二人とも聖堂に残ってどうしたのですか?」
シェムとアルマが他に誰もいない聖堂で話し込んでいると、準備室からアザールが姿を現した。アルマが後頭部を掻きながら事情を説明し始める。
「アザール先生。シ…AAH-41が同室の子に対して頭を抱えてるんです。」
「あぁ、BAD-01さんの事ですか。彼女には少し特別な事情がありますので、気にしなくても大丈夫ですよ。」
アザールは特に気に留める様子もなく答える。シェムは俯いていた顔を上げると、その場から勢いよく立ち上がった。彼女は両掌で机をバンッと叩いた後、表情を引き締めながらアザールに訴え始める。
「……私、今からアイツに注意してきます。この学校にいるからには、協調性の大切さを理解してもらわないと!」
「(シェムのヤツ、露骨な点数稼ぎに出たな……。)」
握りこぶしを作って堂々と胸を張っているシェムを、アルマが呆れたような目で眺めている。こうなったシェムはだれにも止められないことを、アルマは長年の付き合いから理解していた。シェムはハキハキとした声で言葉を続ける。
「先生! アイツ……BAD-01でしたっけ?は何処にいるかご存じないですか?」
シェムがキラキラとした眼差しでアザールを見つめる。アザールは少し彼女の勢いに気圧されると、腕を組み顎に手を当てながら答え始めた。
「ふむ……。今現在どこに居るかは分かりませんが、彼女は図書室に入り浸っている事が多いそうですよ。なんでも、学校中の書物を読破しかねない勢いで本を読んでいるとか。」
「! ありがとうございます先生! ほら! ア…AAH-35も行くわよ!」
「え? 俺も?」
シェムは困惑するアルマの手を掴むと、凄い力で引っ張りながら勢いよく聖堂の出入り口へと向かった。アルマがアザールに向かって申し訳なさそうにペコペコとお辞儀をしている。シェムが聖堂の扉に手を掛けた時、アザールが思い出したかのように二人へ声を掛けた。
「AAH-41さん、それとAAH-35さん。彼女に会ったら明日の訓練は絶対に参加するよう、ついでに言っておいてもらえませんか?」
「お安い御用です!」
「分かりました。」
シェムとアルマはアザールに手を振りながら聖堂を後にした。
シェムとアルマは図書室へ到着すると同時に、室内が異様な空気で包まれている事に気が付いた。人は大勢いるのだが、読書スペースの一角だけ明らかに人が近づいていない。皆の視線の先には書物の塔が多数建設されており、壁のようになっていた。塔の隙間からは長い黒髪が見える。シェムとアルマは書物の壁へと近づいた。アルマが机に散乱している本を手に取る。
「『世界の銃器大全集』に『赤ん坊でも分かる!銃器取扱説明書完全版』……?」
アルマは手にした本をパラパラと眺めている。そんな彼を横目にシェムは書物の壁を切り崩した。壁の先で『少女』が本を読みあさっている。シェムはその場で腕を組むと、『少女』に話しかけた。
「アンタ。今まで一度も訓練に参加したことないのに何でこんなもん読んでんの?」
「……へやにあるのをはしっこからよんでるだけ。」
シェムの問いかけに対して、『少女』は読んでいる本から視線を外さずに答える。細く白い指で最後のページをめくった後、静かに本を閉じた。
「……よんでるだけじゃわからない。」
「なら朗報ね。明日は射撃訓練があるから、絶 対 に 参加しなさい。それに記載されてるような銃なんて打ち放題よ。」
「わかった。」
『少女』は読み終えた本を塔の上に積み上げる。シェムはアルマが立ち読みしている本を取り上げると、『少女』の目の前に置いた。
「アンタ。どうせ図書館に置いてある本は全部読む気なんでしょ? じゃあ、先にこれを読んでおきなさい。」
「あ、結構分かりやすかったぞ。『赤ん坊でも分かる!銃器取扱説明書完全版』。」
「そっ。今のうちに基礎知識くらいは頭に叩き込んでおきなさい。」
世話が焼けると言わんばかりに、シェムがその場で腕を組み直す。『少女』は堂々とした態度をとるシェムと、目の前に置かれた本を見比べていた。シェムがチラリと『少女』を横目で見る。
「……何か文句でもあるの?」
「ありがとう。」
思いがけない『少女』の言葉に、シェムとアルマが思わず驚く。シェムは照れを隠すかの様に紫色の髪をかき上げると、努めて冷静に声を張り上げた。
「べっ…別に、アンタの為じゃないし! 実物を取り扱う時にピーピー泣かれたら、私の訓練に支障が出るだけだから! そうなると私の評価にも影響が出るのよ!」
「おいシェム。図書室では静かにしろよ……。」
気が付けば、シェムは図書室に居る生徒たちの視線を一身に浴びている。シェムがその場で生徒たちに向かって威嚇すると、全員ばつが悪そうに視線を逸らしていた。有象無象を追い払った後、シェムが小声で『少女』に注意を促す。
「とにかく、明日はアンタも射撃訓練に参加してもらうから! 覚えときなさい!」
「わかった。」
シェムとアルマが図書室から出て行くと、『少女』は『赤ん坊でも分かる!銃器取扱説明書完全版』のページを開き始めていた。
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