第四章 天使

第一話

 真っ白な壁に囲まれている窓のない六畳ほどの小さな部屋に、二つの簡素なベッドと二つの簡素なデスクが置かれている。紫色の髪をツインテールにしている少女が、ベッドの上で眠る『少女』の体をゆさゆさと揺らしていた。

「…なさい! 起きないさい新入り! 起きなさいってば!」

「……。」『少女』が目を覚ます。

「あ! やっと起きた! ほら、さっさとこれに着替えて!」

 紫髪の少女は『少女』が眠っている白いベッドの上に、白色を主体とした制服一式をばらまいた。部屋に一つしかない扉の先からはざわざわとした騒がしい声が聞こえてくる。『少女』がゆっくり体を起こしていると、紫髪の少女は壁に立て掛けられている時計をチラチラと横目で眺めていた。

「まったく、何でアンタみたいな訳の分からない子がいきなり同室になるのよ……。お陰様で私の朝礼最前列記録が途絶えちゃったじゃないの!」

 紫髪の少女がイライラしながら小言をぼやいていると、入り口の扉をドンドンと叩く音が室内に響き渡る。カチャリとドアノブをひねる音がした瞬間、紫髪の少女が扉に向かって怒鳴りつた。

「ア ル マ! まだレディの着替え中よ!」

 扉が紙一枚ほどの隙間で止まる。扉の外から少年の声が聞こえてきた。

「おはようシェム。珍しくまだ部屋にいるんだな。それと、怒鳴るなら部屋に鍵を掛けといてくれよ。」

「うっさいわね! 新入りがトロくて割を食ってるのよ!」

「……だからそんなに怒鳴るなって。とにかく早く来い! 先、行ってるからな!」

 そう言うなり、アルマと呼ばれた少年は扉を閉めた。扉の外から聞こえていた騒音が静かになっている。シェムと呼ばれた少女は再び時計の針を確認すると、たまらず自分のショルダーバッグを手に取っていた。バッグについている蝶を象ったアクセサリーが揺れている。

「アンタ! これに着替えた後、部屋を出て右、真っすぐ突き当りまで行きなさい。そしたら吹き抜け添いの廊下に出るわ。そしたら左に階段が見えるから、中庭になっている一階まで降りること。そこで朝礼をしているから、先生から見つからないように上手く列に紛れ込みなさい。いいわね?」

 そう言うとシェムはスカートを翻しながら急ぎ足で部屋を出て行った。真っ白な部屋に一人取り残された『少女』が、ぼーっと辺りを見渡している。彼女はベッドから立ち上がると、黒いネグリジェ姿のまま部屋の外へと歩を進めた。


 窓のない真っ白な廊下を『少女』が裸足のまま歩いている。吹き抜け添いの廊下にたどり着くと、目についた階段を上り続けた。吹き抜けの上に設けられている最上階まで上ると、彼女の前に厳かな雰囲気を醸し出す扉が現れる。

 『少女』が扉を開け部屋に入ると、目の前には聖堂と呼べる空間が広がっていた。整列したチャーチベンチの奥にある中央祭壇の背には、大きな絵画が飾られている。とても美しく神々しい絵だ。白い一枚布で出来た服を着ている美しい人間の背中に、鳥の様な白い翼が二枚生えている。木でできた額縁の下に作品名が記載されていた。

「『てんし』……?」

「そう、人々の希望であり、我々の理想です。」

 いつの間にか聖堂の入り口にいた男性が『少女』に声を掛ける。『少女』が振り返ると、白いシルクハットを被った白スーツ姿の男性が丁寧にお辞儀をしていた。右手には紳士杖が握られている。彼は『少女』の横を通り過ぎて絵画の前に立つと、部屋の中央にいる『少女』へと振り返った。

「貴女にはまだ理解できないかもしれませんが。」

「りかい……。」『少女』が男性を見る。「あなたはわたしをしってる?」

「自分の事は自分自身が一番、よくご存じであるかと。」

「なにもおぼえてない。」

 男性は『少女』から視線を逸らすと、顎に手を当てながら答えた。

「……記憶喪失というものでしょうね。じきに思い出しますよ。」


——リンゴ―ン リンゴ―ン


 男性がシルクハットを深く被り直した時、建物内に大きな鐘の音が鳴り響いた。雑多な足音と共に少年少女の騒がしい話し声が聞こえてくる。『少女』がその場できょとんとしていると、シルクハットの男性がにやりと笑った。

「なに、この学校に来たということは、身寄りが無かったという事でしょう。」

「『がっこう』?」

「ええそうです。ここでは身寄りのない哀れな子どもを一人前になるまで教育しているのです。衣食住も無償で提供していますから、何不自由なく暮らせますよ。ああ、言い忘れていました。私はこの学校で校長を務めている者です。〝アザール〟と言います。以後、お見知りおきを。」

 アザールはシルクハットを取り『少女』に向かって丁寧にお辞儀をした。その表情は顔全体に靄がかかっているようで、よく分からない。『少女』は目を凝らしてもう一度、アザールの顔を観察する。よく見ると、端正だがこれと言って特徴のない顔立ちをしていた。アザールがシルクハットを被り直す。

「朝礼に参加していない生徒がいると報告を受けたので、その生徒——貴女を探していたのですよ。入学初日なので今回は大目に見ますが、今後は気を付けてください。ここは規律を重んじる場所なので、次からは相応の処罰が下りますよ?」

「わかった。」『少女』がうなずく。

「よろしい。では、自室に戻り制服に着替えてきなさい。授業時間中は原則、生徒は制服で行動するという決まり事がありますので。」

 アザールがニッコリとほほ笑むと、『少女』は聖堂を後にした。アザールは扉の向こう側に『少女』が消えた事を確認すると、天使が描かれている絵画に向き直る。懐から赤い液体の入った試験管を取り出すと、天使と重ねるように眺めていた。試験管の表面には『Angelos』と記載されている。

「貴女には期待していますよ。『天使』へと昇華出来ることを。」




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