第二話

 日が傾き月明かりがイツ国の大地を照らす頃、ベルはルサティア地方東部に位置する〝ブディシン〟と言う町へたどり着いていた。事前の打ち合わせ通り、この町でルドベキアと落ち合う予定だ。黒いトランクケースを片手にブディシン駅のホームを出ると、広場の中央にある噴水から巨大な人間が近づいて来た。イツ国の黒い軍服を着たルドベキアが葬儀屋を出迎える。

「予定通りの到着で安心しましたよ、ベルさん。」

「ルドベキア様。お出迎えありがとうございます。」

「そのトランクケース、重たいでしょう? 私が持ちます。」

「お気遣いありがとうございます。ですが……」

 ベルが断りを入れる前に、ルドベキアが黒いトランクケースを片手で軽々と持ち上げた。ケースにつられてベルの右腕が上がる。

「あ……。」

「トライアンフからブディシンまでの長旅は疲れたでしょう? なにしろ鉄道を乗り継いで十二時間以上ですからね……。」

「イツ国の美しい風景を見れたので、退屈はしませんでした。」

「それはよかった。」

 ルドベキアが笑顔を浮かべると、ベルはようやくトランクケースから手を離した。トランクケースを片手に、ルドベキアが周辺でもひときわ背の高い建物を指差す。

「近くに宿を取っています。今夜はそこでゆっくりと休みましょう。」

 ルドベキアがそう言うと、二人は宿に向かって歩き出した。木骨造りの家屋が街灯に照らされて、夜の街並みに温かい雰囲気を醸し出している。駅近くの居酒屋では、仕事を終えた住民がビールジョッキを片手に談笑していた。先の戦争を話題にしながら飲んでいるようだ。

「それにしても、敵の作戦を逆に利用するとはなぁ! 恐れ入ったよ!」

「やられてたらこの町もやばかったからなぁ! まったく、英雄様様だ!」

 住民の笑い声が眠らない夜に響き渡っていた。


 ベルが宿の受付で手続きを行っている最中、ルドベキアはラウンジのソファへ腰かけていた。併設されたバーの客がルドベキアに視線を向け、何やらひそひそと話し合いをしている。ベルは手続きを済ませるなり、ルドベキアの向かい側に腰かけた。

「明日の打ち合わせを行いましょう。」

「……長旅でお疲れでしょう? 打ち合わせは明日の朝でもよいかと。」

「お気遣いはありがたいですが、私の体力に問題はありません。」

 ベルの紅い瞳がルドベキアをジッと捉えて離さない。物言わぬ圧力を感じたルドベキアは、ラウンジに設置された時計を横目で見てから返答した。

「……分かりました。ただ、一息ついてからにしましょう。私はラウンジで待っているので、ベルさんは少し部屋で休憩してから来てください。」

 ルドベキアからトランクケースを受け取ると、ベルは用意された部屋に向かった。五分もしないうちにラウンジへと戻ったが、ルドベキアの姿が見えない。先ほどルドベキアが座っていたソファの周辺には、十数人ほどの人だかりができていた。何やら全員が笑顔でルドベキアを讃えているようだ。人だかりから若い男性とルドベキアの話し声が聞こる。

「まさか『ルサティアの英雄』とこうして直接出会えるなんて……。私からもお礼を言わせて下さい! ルサティアを守ってくださり、ありがとうございます!」

「私は大した事をしていません。国の為に最善を尽くしただけですよ。」

 ルドベキアが目を輝かせている若い男性の握手に応じていると、ウイスキーを片手に持ったお爺さんがご機嫌に絡んでいた。

「なーに言ってんだ! 英雄さんが南ポランの奇襲作戦を逆に利用したから、四年も長引いた戦争を終わらせることが出来たんだ! 少なくともブディシンに居る連中はみんな、アンタに感謝してるよ! ありがとな!」

「ブディシンは最前線までの重要な補給拠点になっていましたから……。我々は課せられた義務を全うしただけです。こちらこそ、我々へ協力してくれたことに感謝しています。」

 お爺さんとも固い握手を交わすと、間髪入れず恰幅の良い婦人が話しかけてきた。

「英雄様はホントに謙虚だね! オマケに強くて賢くて……。ウチの娘を嫁がせたいくらいだよ! ……いや、私の旦那と入れ替わって欲しいね!」

「お気持ちは嬉しいのですが……。生憎、私には既に妻と娘がいますので……。」

 即興で行われているルドベキアを囲む会は、しばらく終わりそうになかった。あまりの人の多さに、ルドベキアもベルが来たことに気付いていないようだ。ベルは何も言わずに再び自室へ向かうと、紅茶をれる準備を始めていた。


 夜が更けて町の住民も帰路に着いた頃、ベルとルドベキアは宿に併設されたバーで軽食を食べていた。シックな店内のカウンターチェアに腰かけているルドベキアが、深い溜め息を吐いている。

「イツ国内にいると、どの町でも先ほどのような感じになってしまうのですよ。」

「ルドベキア様は『英雄』と呼ばれる事がご不満なのですか?」

「悪い気はしませんが、多くの犠牲の上で成り立っている呼称ですからね……。手放しでは喜べません。」

 そう言うと、ルドベキアはコップに入った水を一気に飲み干した。彼はそのままコップに残された氷を無言で眺めている。すると、ワイングラスを乾拭きしていたバーのマスターがカウンター越しに声をかけてきた。

「一杯、飲みますか? ご馳走しますよ。」

「ご厚意はありがたいのですが……。」ルドベキアがチラリとベルを見る。

「私は構いませんよ。」ベルは山盛りのポテトをつまんでいた。

「では、ご用意いたします。」

 そう言うと、マスターが棚から無色透明の液体が入った透明の瓶を取り出す。小さなグラスに中身の液体を注ぐと、洋梨の香りが辺りに広がった。ルドベキアがご機嫌な様子でグラスに注がれた酒を眺める。

「洋梨で香りづけがされた〝シュナップス〟か。いい香りだ。」

「良いものが手に入ったので。是非、ルサティアの英雄殿に。」

「せっかくの機会だ。ベルさんの分も用意してくれないか?」

「へ?」

 瓶の蓋を閉めようとしていたマスターが素っ頓狂な声を上げた。ルドベキアは首をかしげながら疑問の表情を浮かべている。マスターは苦笑いを浮かべながらルドベキアの右隣に視線を移した。ポテトをつまんでいたベルが手を止める。

「ルドベキア様。私は年齢の都合でお酒を飲めません。」

「え? お酒が飲めない年齢だったのですか!?」ルドベキアが慌てふためく。

「はい。正確な年齢は自分でも分かりませんが。」

「……立ち振る舞いを見ていて、成人は越えているものだと思っていました。」

 ルドベキアは狐につままれたような表情を見せると、その場でガックリとうなだれていた。ベルは特に気にする事も無く、再びポテトをつまみ始める。苦笑いを浮かべているマスターは、シュナップスが注がれたグラスをひとつだけ差し出した。

「英雄殿の背丈だと女性は皆、小さく見えてしまいますからね。」

「……間違いない。」

 ルドベキアは小さなグラスを手に持つと、グイっと一口で中身を飲み干した。グラスをカウンターに置いた時、『英雄』の顔は赤く染まっていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る