第八話
客間の扉が開くと、見知らぬ少女がティーセットを抱えながら突っ立っていた。ひらひらしたモノトーンカラーのエプロンドレスを着ている。ふくらはぎまで伸びている黒髪を、耳より低い位置で左右に束ねていた。ツインテール……とか言う髪型だったか? 白磁器のような白い肌に、…宝石のような紅い瞳。ははーん。なるほどそういう事か!
「レオント…お前、遂にアンティークドールにまで手を出し始めたのか。」
「は?」レオントが素っ頓狂な声を上げている。
レオントの意外な一面を見た気分だが、納得はしていた。どおりで昔から生身の女に興味を示さなかったわけだ。潜在的に人形の方が好みだったのだろう。そんなことを考えていた時だ。
「失礼します。」
ロングスカートの裾をずるずると引きずりながら、少女が入室してきた。
「うぉ!? 動いたぞアイツ!?」その場で思わず飛び上がってしまう。
「当たり前だ。彼女は人形じゃない。人間だからな。」
人形…のような少女は抱えていたティーセットを、音も立てずにテーブルへと並べ始めた。なるほど、こんなにも複雑な動きは極東のからくり人形でも不可能だろう。紅茶の入ったティーポットに、ティーカップとソーサー。ミルクと角砂糖がそれぞれ入った小瓶が机上に並ぶと、少女はクルリと
「ちょっと待って。」
レオントの声に反応し、少女が足を止めて振り向く。レオントが言葉を続けた。
「ベルもここに居てくれ。僕の隣に座って。」
「分かりました。」
そう言うと、ベルと呼ばれた少女はレオントの隣にちょこんと腰かけた。俺を警戒しているのだろうか? こちらを凝視してきては、レオントの服をぐいぐいと無表情で引っ張っていた。レオントは苦笑いを浮かべると、彼女の頭をポンポンと叩いた。
「大丈夫。デュランは僕の友達だから。ほら。彼に挨拶をして。」
「……ベル・テトラテーマです。よろしくお願いします。」少女が頭を下げる。
「あぁ…、デュラン・
俺が少女に右手を差し出すと、彼女はレオントの横顔をチラリと見た。レオントが微笑みながらうなずくと、少女は俺の握手に応えてくれた。とても小さいが、温かい手だ。レオントの言う通り、本当に人形ではないのだろう。しかし、なるほど。こういう事だったのか!
「なるほどな。彼女が俺に見せたいものだったのか。」
「そういう事だ。」
「で? 何時、籍を入れたんだ?」
レオントが噴き出した。むせるレオントを気にせず、少女はティーカップに紅茶を黙々と注いで回っている。レオントは深い溜め息をつくと、軽く咳ばらいをした。
「……ベルには身寄りがなかったから、僕が面倒を見ることにしたんだよ。」
「え? 嫁じゃねーの? モテるのに今まで一度も恋人がいなかったのも、小っちゃい子じゃないとダメだったとか、そういうのじゃなかったのか?」
「デ ュ ラ ン ?」レオントがにこやかに笑って…いないなこれは。
「……悪かったよ。」
俺は逃げるように自分のティーカップへ注がれていた紅茶に口を付けた。爽やかな香りが鼻孔を突き抜けると、独特のコクとキレが口の中に広がる。それでいて、ほのかな苦みや渋みが損なわれていない。王道だが複雑な味を楽しめる。
「……うまい。」思わず感嘆した。
「そうだろう?」なぜかレオントが誇らしげにしている。
「特別な茶葉でも使ったのか?」
「いや。なんてことは無い、いつもの茶葉だよ。ベルが
「…これは驚きだな。」
レオントやプラムさんの
「ベル。すまないが、おかわりを用意してくれないか? デュランも君の紅茶を気に入ってくれたようだ。」
「分かりました。」
「ありがとう、ベル。」
少女は立ち上がると、スカートの裾をずるずる引きずりながら退出した。
「ドレスのサイズ、合ってないんじゃないか?」
「…パニエを穿き忘れたのかもしれないね。」
レオントがくすくすと笑っている。本来ならば、このまま何の取り留めもない話を続けていただろう。だが、たった数分でレオントに聞いておかなければならないことが山積みになった。レオントも俺の脳内を察していたのだろう。俺は前かがみになると真剣な表情でレオントに話しかけた。
「一体何があったんだ? あんな女の子、一年前には影も形もなかっただろ?」
レオントの面持ちが神妙なものに変わる。ヤツは紅茶を一口飲んだ後、俺の疑問に答え始めた。
「…半年前、黒天だった日に拾った。身寄りもない、名前もない、言葉も知らない。あの頃は人と言うより、野生の獣だったよ。」
「は? ちょっと抜けてるところはあったが、ほぼ淑女の振る舞いだったぞ? お前はたった半年で、野生の獣を人間の少女にしたっていうのか?」
「僕は何もしていない。彼女が持つ才能と努力の成果だ。たった四日で言葉の意味を理解して、一週間が経つ頃には書庫にある本を読み漁っていたよ。」
「……黒天の日に現れた悪魔か? おとぎ話かよ。」俺は冗談めかして笑った。
「僕には天使に見えたけどね。」レオントがニヤリと笑う。
俺は一息吐くと、ソファに深くもたれかかった。
「お前、余命あと半年なんだろ? 責任とれるのか?」
「もちろん。あの子が独り立ちするまでは、石にかじりついてでも生き永らえるつもりさ。それに、こうやってデュランにも保険をかけているからね。」
レオントの言葉に、俺は思わず笑ってしまった。今回、わざわざ俺を呼び出した目的の大半は、コレを伝える為だったのだろう。俺の反応を見て、レオントも安心したように笑みを浮かべていた。俺は大げさに溜め息を吐きながら応える。
「相変わらずしたたかなヤツだよ、お前は。」
「ありがとう、デュラン。」
また一つ、面倒ごとを押し付けられてしまったようだ。実際問題、レオントにはもう手段を選んでいる余裕はないのだろう。だが俺は嬉しかった。どんな理由であれ、友が生きる努力をしてくれる事に。生きるのを諦めずにいてくれる事に……。
そう思っていると、レオントは思い出したかのように口を開いた。
「それともう一つ。もう少し落ち着いた時に、ベルを葬儀屋で使ってくれないか? 僕以外の人間にも慣れさせておきたいんだ。事務仕事ならこなせるだろう。」
「それは構わないが……。本当にいいのか?」
「何が?」
「今の所、ベルちゃんはお前にべったりだぞ? 今のあの子にとって、世界のすべて——生きる為の希望はレオント、お前だ。そんな彼女から、お前を遠ざけるようなマネをしてもいいのか?」
俺がレオントの眼を見る為に視線を向けると、既にヤツの碧眼は真っすぐこちらを見ていた。
「デュラン、良い悪いの問題じゃない。そうしなければいけないし、そうならなければいけないんだ。」
レオントとの間に沈黙が走る。しばらくすると、静寂を破るようにドアをノックする音が響いた。少女がおかわりの紅茶を持ってきたのだろう。扉の向こう側にいる少女の姿が見えた時、レオントは彼女に聞こえないほど小さな声で呟いていた。
「僕が、ベルの生きる希望じゃない。僕にとっての生きる希望が、ベルなんだ。」
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