第二話

 七月二八日


 空から天使が落ちてきた。正直、僕が今まで体験した事件の中で最も衝撃的な出来事が起きたと言っても過言ではない。そういう事もあって、僕はこうして筆をることにしたのだ。正直、今まで日記など付けたこともなかったので勝手は分からないのだが……。なに、仕事用の書簡でもないのだ。好きに書くとしよう。

 今日も一日、いつもどおり屋敷で本を読みながら過ごすものだと思っていた。今の僕は生きた屍だ。日に日に体が重くなっている事を実感している。このやまいが発覚したのは二年前。その時に医者から後、三年しか生きられないことを告げられた。だから、やっておきたいことは全てやっておくことにした。両親から押し付けられた貿易会社は優秀な後継者へと引き継いだ。ユーロ各国における族人権問題も解決の兆しを見せることが出来た。友人の協力もあり葬儀屋を立ち上げることもできた。今の僕には出来ることも、やるべきことも残っていない。余命は残り一年だが、今すぐ天からお迎えが来ないかとさえ思っている。そんな時だ。天使と出会ったのは。

 何の偶然か、昨日から今日の昼までは〝こくてん〟だ。超巨大な〝何か〟が空一面を覆い尽くし、太陽の光も、月の灯りも、星々のきらめきさえも、この地上には一切届かなくなる。都市部ならまだしも町外れとなると、ランプを持っていなければ外へ出歩くこともできない。仕方がないのでいつも通り、自室で本でも読みながらお迎えの日を待とうとしていた。


 丁度、こくてんが明ける一~二時間くらい前だろうか。突然、敷地内の小さな森がある方向からもの凄い音が聞こえた。雷が落ちたかと思ったが稲光は無く、雷鳴と言うよりは爆発音に近い音だった。音がしてすぐに、長年の付き合いになる従者が僕の部屋を訪れた。

「大丈夫ですか、レオント様?」従者は慌てた様子だった。

「あぁ。森で何かあったみたいだな。」

「少し様子を伺ってきます。レオント様はここで……」

「僕が行く。すぐ戻るから、プラムさんは昼食の準備をして待っていてくれ。」

 この時、僕の頭は好奇心でいっぱいだった。従者が渋い顔で僕を見ていたのは言うまでもない。だが、僕は退屈で仕方がなかったのだ。繰り返し、同じことしかできない日々に。ちょっとしたハプニングくらいは楽しませてほしいものだ。

 僕はランタンを片手に真っ暗な森の中を探索し始めた。いつもより動物たちの鳴き声がやかましい。唯一の灯りが森を照らすと、動物たちが辺りをせわしなく移動している姿が目についた。やはり森の中で何かが起きたのだろう。そう思い、僕は森の奥へと突き進んだ。

 こくてん明けが近づき、うっすらと周囲が明るくなってきた頃だ。木々の隙間からひらけた場所が見えた。遠目にぼんやりと人形らしきものが見える。

「……何だ?」

 僕が広場に近づくと、木々の隙間から日の光が差し込んできた。おかげで広場の様子がハッキリと確認できたのだが、その時の衝撃は今後も忘れることはないだろう。遠目からは人形のように見えたが……、人だ! 人間の少女だ! ガラス細工のように華奢なたいが、地面に横たわりうずくまっていた。少女の身長と同じくらいに伸びている黒髪が、はくような白い肌を覆い隠している。周囲の木々から舞い落ちる葉っぱが、抜け落ちた羽のように見えた。


——美しい……。


 見とれてしまった。自分と同じ人間には見えなかった。天使にしか見えなかった。子どもの頃、美術館で見た絵画に描かれていた様な、美しい天使に。一年に一度発生するこくてんの日には決まって、『悪い事をしてると悪魔がやって来るぞ!』と幼少期から聞かされてはいたが……。まさか、悪魔ではなく天使に出会えるとは思いもしていなかった。

 だが、今は昔の記憶を思い出している状況ではない。少女は地面に伏したままピクリとも動いていないのだ。慌てて少女に近づき呼吸を確認した。消え入りそうなほど静かにではあるが、呼吸はしている。身体に大きな外傷はないが、擦り切れた様なあとや出血個所は多数確認できる。僕は自分の上着で少女を包んだ後、彼女を抱きかかえながら屋敷へ戻ることにした。彼女が何者かは分からないのだが、とにかく手当をしなければならない。

 屋敷にたどり着いた頃には既にこくてんが明けており、太陽の光が辺り一面に降りそそいでいた。従者が慌てた様子で駆け寄って来る。

「レオント様? いったい何があったのですか? その子は……。」

「僕にもよくわからない! とにかく、ベッドに運んで手当てをするから、薬箱を持ってきてくれ! 今すぐに!」この時の僕は息を切らしていただろう。

「わ、わかりました!」

 ひとまず、寝室のベッドに少女を寝かしつける。薬箱を抱えた従者が部屋に入って来ると、二人で少女の手当てを行った。士官学校時代に習った応急手当の知識がこんなところで役に立つとは……。服はとりあえず僕のシャツを着せておくことにした。サイズは全く合っていないが、何も着ないよりはマシだろう。一通りの処置を終えて一息ついた時、もの凄い疲労感に襲われた。こんなにも体を動かしたのは久しぶりだったからな……。今やこの体たらくだが、かつて軍人を目指していたかと思うと、自分が情けなくなる。


 その後も少女の様子を見ていたのだが、スヤスヤと寝息を立てているだけで起きる気配は全くなかった。これを書いている時は既に夜だが、今でも僕の寝室をしっかりと占拠している。よほど疲れていたのだろう。屋敷に運んできた時と比べて、顔色も良くなっているような気がする。明日は都市部で行方不明の少女が存在しているか、従者に確認してもらう事にしよう。

 というわけで、彼女は何者なのか、何処から来たのか、その他諸々の事情は今の所まったく分からない。彼女が目覚めた時に分かる事ではあるが、不審な点が多い事も気がかりだ。彼女はわざわざこくてんの日に出歩いていたのだろうか? 何故、何もない森の中にいたのか? 正直、空の上から落ちてきたと言われても信じてしまうような状況だ。

 とりあえず、状況が落ち着くまでは面倒を見ようと思う。偶然とは言え、落し物を拾ってしまったのだから。




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