第十話

 二人がダオスタの町に帰り着いた頃、辺りは夕日に照らされていた。赤レンガ造りの家屋が朱くかれており、民家の小窓からは電球の白い灯りが漏れ出している。風が吹くと、花の甘い香りに混ざって温かいコンソメスープの匂いがした。いつもと変わらぬ町の光景に、ヒペリカは思わず涙ぐみそうになる。未開の花畑から無事に戻ってきたことを、肌が震えるほどに実感したのだ。

「一時はどうなる事かと思ったけど……」ヒペリカが感慨深く町を見渡す。「なんとか日没までに町へ帰ってくることができて、本当に良かった……!」

「予定していた時間より遅れたので、コーネインが心配していると思われます。」

「日没に間に合っただけで結局、帰りは遅くなっちゃったからね……。」

 ベルはおもむろに葬儀を行う教会を眺めた。屋内から灯りが漏れ出ている。

「教会へ向かいましょう。この時間ならまだコーネインがいるはずです。」


 二人が葬儀会場となる教会へ向かうと、コーネインが会場の真ん中に一人で佇んでいた。敷設された壇上や整列された椅子を見渡しながらその場で頷いている。何かしらの不備がないか最後の確認をしているのだろう。

 コーネインは来訪者に気が付くと、先ほどまで真剣だった表情をほころばせながら二人の元に駆けよってきた。

「よかったわ! 予定よりも帰りが遅いから、何かトラブルに巻き込まれてるのかと思っていたのよ。」

「多少のトラブルはありましたが、問題はありません。」ベルが応える。

「多少……?」コーネインが不思議そうにベルとヒペリカを見る。

 コーネインはヒペリカの右腕に巻かれた白い包帯に気が付くと、わざとらしく首をかしげた。涼しい顔をしてるベルと、どこか申し訳なさそうにしているヒペリカを見比べる。

「男の子はこれくらい元気な方が安心できる…のかな?」

 苦笑いを隠しきれないコーネインに対し、ベルはカヘラ遺跡での出来事を端的に伝え始めた。怪我の原因やその対処方法を聞き終えると、コーネインから安堵の一息が漏れ出す。すると、コーネインは視線の高さを少年に合わせるように身を屈ませ、両手を合わせながら申し訳なさそうに謝罪を始めた。

「ごめん! 一つ、ヒペリカ君に謝らなくちゃいけないことがあるわ。ヒペリカ君のお父さんが、ヒペリカ君がなかなか帰ってこないことに気が付いてね。とても心配そうにしてたから、ヒペリカ君がベルと一緒に出かけてる事を言っちゃったの。」

「えぇ!?」ヒペリカが思わず声を漏らす。

「でも安心して!」コーネインが自信満々に両手で親指を立てる。「〝ベルの道案内をヒペリカ君に頼んだ〟ことにしてあるから! 二人は繁華街のおつかいに行っている設定よ! ヒペリカ君のサプライズに支障は無いわ!」

「今のヒペリカ様の見た目では、誤魔化しきれないと思います。」

 ベルの言った通り、ヒペリカの全身は泥だらけだった。無理もない。土壁に空いた穴の中を転げ落ちたのだ。おまけに、彼の右腕には包帯が巻かれている。とてもではないが、おつかいに行った帰りとは思えない身なりをしていた。

「……ヒペリカ君の負傷は予想外だったわ。」コーネインがうなだれる。

「ご…ごめんなさい、コーネインさん……。余計な手間を取らせちゃって。父さんには僕から……」


——バンッ!


 突然、教会の扉が大きく開かれた。

「コーネインさん! ヒペリカ……ヒペリカはこちらに来ていませんでしたか!?」

 キツバが息を切らしながら会場へと飛び込んで来る。彼は息子の姿を確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。しかし息子の全身を確認すると、目を見開いて動揺を隠せずにいた。ほぼ無意識のうちに、キツバは声を張り上げる。

「ヒペリカ! 全身泥だらけじゃないか!? それにその右腕の包帯……。怪我をしているのか? 一体、どこで何をしていたんだ!」

「ごめんなさい。でも、どうしても、父さんに届けたいものがあったから。」

 ヒペリカは丁寧に束ねられた、紅い花を取り出した。途端、キツバは目を見開く。

「紅いガーベラの花……。何でお前がこれを?」

「思い出の詰まった花だって、母さんから聞いた。」

「ヤコワが……、そんなことを……。」

 キツバの碧眼にヒペリカと紅いガーベラが映り込む。栗色の髪と紅い花びらが、碧の瞳の中でにじんでいた。キツバは優しい手つきで花びらを撫でた後、ヒペリカの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でつけた。

「お前なぁ……。だからって……、全身泥だらけにしながら怪我をしてもいいなんてなぁ……。一言も言ってないぞ……。」

「わわっ!? 悪かったって! そんなに力強く押し付けないでよ! 前が見えないじゃないか!」

 ヒペリカが何とかして父親の手をどけようともがいている。そんな息子には聞こえないくらい小さな声で、キツバが呟いた。

「……ありがとな、ヒペリカ。」


 夜空に星々がきらめき民家の灯りが徐々に消え始めた頃、ベルとコーネインはキツバの自宅で食後の紅茶を飲んでいた。息子に付き合ってくれたお礼にと、キツバが夕飯をご馳走すると言ったのだ。もっとも、キツバが料理に慣れていないことは一目瞭然であり、二人の葬儀屋も手伝うことになったのだが……。

「ヒペリカは眠りました。遠出もして疲れたのでしょう。」

 キツバは寝室から姿を現すと、二人の向かい側にある椅子に腰かけた。

「ベルさん、コーネインさん、ありがとうございました。息子の……いや、私たちの我がままに付き合ってくださって。」

「いえいえ! 私たちこそ、キツバさんに内緒でヒペリカ君を危険な目に合わせてしまい……。本当に申し訳ありません。」コーネインが頭を下げる。

「事前に知らされていれば、絶対に遺跡へは行かせなかったでしょう。そうなると私は今でも死んだ妻の事しか考えていなかったハズです。生きている息子とは向き合うこともせずに……。」キツバがうつむく。

「ヒペリカ様は、キツバ様の事をとても心配していました。」ベルが言った。

「私が自分の思っている以上に意気消沈していたことに、ヒペリカは気づいていたようですね。」キツバが軽くため息を漏らす。

 ベルがキツバの手元に置かれていたティーカップに紅茶を注ぐ。キツバはお礼を言うと、角砂糖を一つだけ紅茶の湖に落とした。ズズズッと音を立てながら一口飲むと、彼の表情は柔らかくなっていた。

「紅いガーベラの花を持つヒペリカを見た時、息子に妻の面影が見えました。その時になって初めて気が付いたのですよ。妻の…ヤコワの〝実体〟は消えてしまっても、彼女との〝思い出〟は決して消えない事に。そのことに息子は、既に気が付いていたのだと思います。私が気付かなかった事に、心のどこかで。いやはや、この年で息子に教えられることになるとは……。お恥ずかしい話です。」

 キツバは頭をかきながら笑っていた。コーネインも安心したように笑顔を見せる。キツバはその場に立ち上がると、真っすぐな瞳で二人の葬儀屋と向き合った。

「おかげさまで、苦しかった心が少しだけスッキリしました。やっと、本当の意味でヤコワと向き合えるような、そんな気がします。明日の葬儀はたとえ泣いてしまっても、最後は〝ありがとう〟と言ってヤコワを送り届けてやりますよ。」




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