第六話

 目的の花が咲いている遺跡は町から山を一つ越えた先に存在する。〝カヘラ〟と呼ばれるこの遺跡は既に調査も終わっており、一般人の立ち入りも許可されている遺跡の一つだ。しかしながら、他の遺跡に比べると町から遠く道中も険しい為、観光客はおろか町の住民も滅多に訪れることはない。カヘラ遺跡の調査にはヒペリカの父であるキツバも携わっており、調査中に偶然〝紅い花〟を見つけたのだという。

 ベルとヒペリカは〝紅い花〟を探すため、木々に覆われた獣道を突き進んでいた。足場が悪く険しい道のりをトランクケース片手に黒いドレス姿の少女が事も無げに行進している。出発前、ヒペリカは着替える気のないベルを奇異の目で見ていた。

「……本当にその恰好で山道を歩く気? 今からでも動きやすい服を買いに行って着替えた方が……。」

「問題ありません。」

 実際、カヘラ遺跡まで何度も行き来した事があるヒペリカよりも、ベルの足取りは軽やかだった。しかも息一つ乱れていない。地元住民の中でも体力に自信のあったヒペリカは当初、少女が自分の進行速度についてこられるか心配していた。だが、その心配は杞憂に終わるのだった。彼の人選は正しかったとも言える。少年の小さな自尊心を対価として支払ったが……。そんなヒペリカの心情を知る由もないベルが素朴な疑問を投げかけた。

「ヒペリカ様。何故、私にご依頼されたのでしょうか?」

 ベルの声に反応して前方を歩いていたヒペリカが振り向く。彼は脚を止めると、その場で少し唸りながら言葉を選んでいた。再び歩を進めると後ろを歩く少女にも聞こえるように大きな声で答え始めた。

「探している紅い花は、とても珍しい上に見つけにくい場所にしか生えて無いそうなんだよ。詳しい場所までは父さんに聞いた事が無かったから、少しでも人手が欲しくてさ。」

 左右に伸びる木々の枝に注意しながら、目の前に転がる太い木の幹をヒペリカが飛び越える。後を追う様にベルも木の幹を飛び越えると、ヒペリカは言葉を続けた。

「親戚の人たちも葬儀の準備で忙しそうだし。仮に頼めたとしても、多分すぐ父さんにバレるから…っと!」

 ヒペリカが足元に転がっている小石に躓く。ベルがとっさに彼の元へ駆けると、片手で少年の腕を掴み転倒を防いだ。

「お怪我はありませんか?」ベルがヒペリカを引っ張り上げる。

「う……うん。ありがとう……。」

 ヒペリカが少し恥ずかしそうにお礼を述べる。傾いた体を戻すと話を続けた。

「紅い花の咲いてるカヘラ遺跡は険しい道の先にあるから、年配の人には頼めない。日中の間、大人たちは仕事や家事をしてるし、友達は学校に通ってるからね。僕は葬儀の準備があるから休み、ということになっているけれど。」

 草木によって作り上げられた自然のトンネルを、足元のぬかるみに気を付けながら進んでいく。少し開けた場所に出ると、ヒペリカはベルの方へと振り返った。

「それで、葬儀屋さんに頼もうと思ったんだ。けれど、コーネインさんはとても忙しそうだったから……。僕と歳が近そうなベルが葬儀屋の見習いだと父さんから聞いていたし、なんだか手も空いてそうだったから思い切って頼んでみたんだよ。」

 ヒペリカはベルに依頼した理由を一通り話し終えたようだ。カバンから水筒を取り出すと、一口だけ水を飲んだ。ベルは彼の言葉を整理する。

「要するに、『私が一番、暇そうに見えたから』ということでよろしいですか?」

「あ……、いや……。そういうわけでは……、無いことも無いけど……。」

 ヒペリカの曖昧な返事を聞くと、ベルは今日の作業を思い返していた。確かに、昼食の買い出しに行ったり、先に昼休憩に入っていたりと、ずいぶん余裕があったように思える。明らかに目が泳いでいるヒペリカに対して、ベルが一言だけ告げた。

「納得しました。」


 しばらく歩くと、少し開けた空間の先に小高い丘が見えた。何かを察したようにヒペリカが丘の上まで駆け上がる。先んじて頂上にたどり着くと、ベルのいる方向へ振り返った。大きな声でヒペリカが叫んでいる。

「見えたよ、花畑が! カヘラ遺跡までもうすぐだよ!」

 少し遅れてベルが丘の上までたどり着く。丘の先には視界を埋め尽くすほどに黄色い花々が咲き乱れていた。風が吹くと花びらが舞い上がり、心地よい香りと共に黄金の花吹雪が辺り一面を覆い尽くす。雲一つない青空へと舞い上がった黄色い花びらは霧雨のように少年と少女の元へ降り注いでいた。

「素晴らしい光景ですね。」

 ベルは一言だけ告げると、目の前に広がる景色を無言のまま眺め続けた。そんな少女の横顔をヒペリカが驚いた様子で眺めている。

「へぇー。」ヒペリカが気の抜け声を出した。

「どうかなさいましたか?」ベルがヒペリカを見る。

「ベルもそうやって驚いたり感動したりする時があるんだな、と思って。いつも無表情で背筋もずっと伸ばしてるからさ。実は出来の良いお人形なんじゃないかと思ってたんだよ。」

「キツバ様にも申し上げましたが、私はお人形ではありません。」

「ごめんごめん。別に悪い意味で言ったわけじゃないんだ。それくらい、普段はしっかりしてるイメージがあるからさ。」

「私の返答に対して、キツバ様も似た発言をされていました。」

 父親と全く同じ行動を立て続けに指摘され、ヒペリカは思わず苦笑する。彼は笑いながら溜め息を漏らすと、青空を仰ぎながらつぶやいた。

「……どうしてこんなところは父さんに似てしまったんだろう。」


 黄色い花びらに埋め尽くされた絨毯の上を歩いていると、ヒペリカがどこか誇らしげに語り始めた。

「ダオスタはこんな風に一年中、花が咲き乱れているんだ。花の種類も豊富だから、場所によって花畑の色も変わる。季節が変わると咲く花の種類も変わるから、また違う顔を見せてくれるんだよ。」

 ヒペリカは遠目に映る山々を指さした。橙色に染められた山や、山吹色に覆われた山が顔をのぞかせている。ヒペリカはベルの方に向き直ると、衣服を見せつけるようにクルッと一回転した。

「おかげさまで、ダオスタは花を活用した特産品が豊富でね。花の色素を活用した染物や花の香りを活用した香水も盛んに作られるようになったんだ。まぁ、作るのに技術と手間がかかるから、特産品の中でも高級品だけど……。それでも、遺跡や花畑を見に来た観光客に人気が高いんだよ。」

 ベルは大通りにある店の陳列窓に張り付いていたコーネインの姿を思い出した。

「売店や中央通りでも、香水や押し花を取り扱っている店舗を多く見かけました。」

「そうそう、押し花も人気の高い特産品なんだ。染物や香水に比べると値段も控えめだし、種類が多くて自分好みの物を見つけやすいからね。ダオスタで一番売れているお土産と言ってもいいんじゃないかな?」

 ヒペリカは道端に舞っている花びらを拾い上げると、親指と人差し指でぎゅっと押し込んだ。おもむろに指先をベルに見せつける。人差し指に黄色い花びらがぺったりと張り付き、親指が少し黄色く染まっていた。どうだと言わんばかりに、ヒペリカの表情が得意げになる。町の長所を次々と語る少年に、ベルは感心していた。

「ヒペリカ様は、ダオスタの観光事情にお詳しいのですね。」

 ベルの言葉にヒペリカは笑みをこぼすと、少し照れくさそうに応えた。

「へへっ……、これでも町長の孫だからね。親戚も観光に携わる人が多いから、そういう話は普段からよく聞くんだよ。それに、押し花は母さんも趣味で作ってたから。僕も母さんから作り方を教えてもらっていたんだ。」

 すると突然、何かを思いついたかのように、ヒペリカは大きな声で話し始めた。

「そうだ! 葬儀が終わったら押し花で作ったしおりをベルにあげるよ! なんとなくだけど、君は本を読むのも好きそうだし。丁度、今日の依頼に対する報酬も考えていたからね!」

「葬儀に対する報酬は既にヤコワ様から葬儀屋宛で頂いております。」

 事務的な対応を見せるベルに、ヒペリカはムッと頬を膨らませた。目を細めベルを睨み付ける。彼は少女を指さすと、少し呆れたように声を張り上げた。

「それは、父さんから葬儀屋への依頼に対してでしょ! しおりは僕からベルに対するお礼の気持ちだから! それとこれとは、べ つ! 別だよ!」

 しばらくの間、二人の間に静寂が流れる。虫の鳴き声や鳥のさえずりが花畑に響いていた。そんな生き物たちの声を遮るように温かい風が吹きすさんでいる。ベルは一呼吸漏らした後、観念したかのように応えた。

「分かりました。」

 ベルの反応を見て、ヒペリカがパチンと指を鳴らし飛び切りの笑顔を浮かべた。

「必ずプレゼントする! 約束だ!」

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