幕末異聞
@hideta-o
池田屋事件
京都守護職たる会津藩の御用を勤める新選組が、商人枡屋喜右衛門こと古高俊太郎を捕らえたのは、元治元年六月初めのことであった。
もともと、京の門跡寺院に仕える青侍だった古高は儒学者、そして攘夷思想家だった梅田雲浜のもとで尊王攘夷思想を学んだのち、河原町四条小橋上ルにおいて薪炭商を営む枡屋の養子に入って、当主の喜右衛門を名乗っていた。しかし、これは身元を隠すための偽装であって、古高は、安政の大獄で獄死した雲浜のあとを継いで、長州藩や攘夷派の公家などと連絡をとりあったり、様々な情報を収集したり、困窮する仲間の浪士を援助したりする活動を秘かに続けていた。
新選組では、こうした攘夷派の活動家に対して、島田魁や山崎丞ら監察方が捜査をし、証拠を掴んだところで、沖田総司など、腕に覚えのある組長の率いる小隊が出動して捕縛、あるいは抵抗された場合は殺害するのが常であったが、古高の件は違っていた。
近藤勇局長の下で副長を務め、実質的に新選組を主導していた土方歳三が、ところの目明しからの情報に基づき、彼らをつかって自らも探索を進めて、捕縛に至ったのである。
目明し、御用聞きなどと呼ばれる連中は、本来なら京都町奉行所配下の与力、同心の御用を勤めるのが筋だ。ところが彼らの一部は、攘夷派の狼藉に対して何もできない奉行所に嫌気がさしたのか、最近では、土方に懐いて情報を提供したり、実際に捜査に協力したりするようになっていた。
当然ながら、このような土方の勝手な行動は、新選組の局内での受けはよくない。だが、粛清によって芹沢鴨ら対抗勢力を一掃し、厳しい局中法度を定めて隊を支配する土方には、誰も面と向かって文句を言えるはずもない。
そんな隊員たちの視線に気づかないかのように土方は、捕縄で体をきつく縛られた古高を、屯所を置いていた壬生の前川邸の、白洲に見立てた中庭で、意気揚々と近藤局長の前に引きすえた。古高は、それまでにもかなり痛めつけられてきたようで、あちこち痣を作り、両の瞼は腫れあがって殆ど開くことができず、無様に膨れた唇の端からは血を流していた。
近藤は、そんな古高の様子を見ると苦笑いをしながらも、
「歳、よくやった」
「あとは監察方に任せろ」
と諭すが、土方は、取調べは自分がやるといって聞かず、古高を屋敷の蔵の中に引きずっていった。
蔵の中で行われた取調べは、苛烈であった。古高は、蔵の天井から逆さに吊るされた上、箒尻、割竹といった責め道具で体を繰り返し打擲され、さらに足の甲に五寸釘を打ち貫かれて、釘が貫通したままの傷に、融けた蝋を流し込まれた。
取調べに際して被疑者を逆さ吊りにするのは、こうした拷問によって貧血を起こして、気を失うのを防ぐためだ。それでも気絶した場合には、水が浴びせかけられた。
新選組が会津藩に提出した報告書では、古高は、この取調べに対し、「長州藩を中心とする攘夷派が、風の強い日を選んで御所に火をかけ、その混乱に乗じて帝を長州へお移しして、攘夷を決行する」計画だったことを自白したという。
しかし、前年八月十八日の政変で朝廷を追われた長州藩が、御所に放火して云々、という噂は、古高が捕縛される以前から、京の街では公然と囁かれていたことであった。そのため長州藩による陰謀の話は、新選組が、噂をもとにあとから付け加えたもので、この取調べの時点で古高は、自分が「攘夷派の古高俊太郎」であることしか自白していなかったのではないか、との説も唱えられている。
古高捕縛後のさらなる探索により、新選組は、祇園御霊会前祭の宵山の夜に、攘夷派の会合が開かれることを掴んだ。ちなみにこの会合は、古高が自白したとされる陰謀に関するものではなく、彼が捕縛されたことの善後策を協議するための集まりであって、古高本人が知る由もないものであった。
いずれにしろ、このとき京の街は、祇園御霊会のクライマックスである山鉾巡行を控えて、数日前から沸きかえっていた。普段は、攘夷派のテロや、その報復のための新選組のテロに怯えて、日が暮れれば人通りは殆ど途絶えていたのだが、この時とばかり、人々は、夜遅くなっても街路に溢れ、山鉾の上で奏でられる祇園囃子に心躍らせていた。
攘夷派の連中も同様で、その半数近くが、今回の会合の内容を知らずに、単に祭気分で集まっていた。後世の研究によれば、「池田屋へ行けば酒が飲める」と聞いただけで参加して、新選組の襲撃によって命を落とした者もいたという。
新選組は、上部組織である会津藩、ならびに京都所司代たる桑名藩とともにこの会合を襲撃するべく、当日の夕刻に、集合場所と定めた四条通の祇園町会所へ向けて出発した。このとき新選組の隊士が着用していたのが、有名な浅葱色の羽織である。芝居の忠臣蔵の衣装をヒントにして作られたという。
ところが土方は、
「古高にもう少し訊きたいことがある」
「先に行ってくれ」
といって、屯所に残って取調べを続けた。このときの、古高に対する土方の取調べを覗き見た屯所留守居の隊士たちは皆、一様に震えあがった。
すなわち土方は、肩や背中を露出させた状態で古高をきつく縛り上げた上、何を問うでもなく黙って、露出させた肩や背中を、こんどは木刀で、赤黒く腫れあがるほど打ちすえた。そして、肩のあたりに裂傷が生じたのを見ると、あろうことか、そこへ木刀の先を突っ込んで傷口を開き、中を確かめるように覗き込んで、「ニヤリ」と笑ったという。
一方、そのとき近藤が率いる新選組の襲撃隊は、約束の刻限に会津藩、桑名藩がやってこないことに痺れを切らし、自分たちだけで襲撃することを決意。隊を二手に分け、一手は鴨川西岸、もう一手は鴨川東岸を、それぞれ沿道の旅籠や茶屋、料亭などをしらみ潰しに捜索しながら北へと向かった。
そして近藤以下十名の一隊が、三条小橋の袂で旅籠を営む池田屋において、件の会合が開かれていることを発見する。
近藤は、二階から逃げてくる浪士らへの対応として、長倉新八と藤堂平助を池田屋の一階に、その他の隊士を池田屋の周りを囲むように待機させたうえで、沖田を伴って二階へ駆けあがった。
闘いに臨む新選組の装備は、特異であった。侍の二本差しといえば、長さ二尺以上の大刀と、その半分程度の長さの脇差の組み合わせが一般的であるが、新選組の脇差は、長さ二尺近い、大脇差と呼ばれる刀で、戦闘中に大刀が折れるなどした際には、その代わりとなった。また、池田屋事件のような屋内での戦闘では、長い大刀を振り回すのが困難な場合が多く、主に大脇差が使用された。
新選組の戦闘方法も特異で、突きを主体とする刀法が繰り返し訓練された。確実に人を殺害するには、時代劇でよく見る、華麗な太刀捌きによる切創よりも、刀の切先を相手の首や体に突き刺す刺創が有効だったからである。
たとえば、池田屋事件の少しあとの長州で井上聞多、のちの井上馨は、対立していた俗論党の複数の刺客に襲われて、体の数十箇所を切りきざまれる重傷を負うが、切創ばかりだったために一命を取り留めている。
これに対し、首に突きを受け、頸動脈や頸椎、あるいは気管に損傷を負えばほぼ即死であろう。また、胴に突きを受けた場合、切先が腹腔内に達すれば、何らかの臓器が傷つけられて、今ほど医学の発達していない当時のことゆえ、即死しないまでも、やがて死に至ることは間違いない。
その上、突きの動作は動きが少なく、屋内での戦闘にも適していた。
沖田は、この突き技の名手であった。多摩の試衛館道場での稽古で、踏み込む足音が一回しかしなかったのに、沖田の竹刀の切先が三回連続して繰り出された、という記録も残されている。おそるべき殺人剣といえよう。
二階へ上がった近藤と沖田は、刃向かってくる相手を手あたり次第、次々と斬りたおしながら奥へと進んだ。
映画などでは、このとき近藤が斬った浪士の一人が階段を二階から転げ落ちる、いわゆる階段落ちのシーンが有名である。しかし、京の町家の階段というのは、幅が狭く角度が急な、いわゆる梯子段であって、人が、映画に見るようにきれいに転がり落ちるのは困難である。したがってこの逸話は、後世の創作に過ぎないと考えるのが妥当であろう。
二階を制した近藤は、逃れた連中を追って下へ降りるよう沖田に命じ、少し遅れて自らも階下へ向かった。
ところが近藤がそこで見たのは、口の周りを血だらけにし、誰かに向かって刀を構えながらも、くるしそうに肩で息をして、今にも倒れそうな沖田であった。また一階の土間を見ると、鉢金がずれて額を割られた藤堂が倒れており、永倉も手に深傷を負ってうずくまっていた。
そして近藤は、沖田が立ち向かっている相手を見て驚愕した。土方だった。
「歳、総司、何をしている!一体どうしたんだ!」
近藤が声をかけると土方は、
「待たせたな」
といって「ニヤリ」と笑った。
土方は、
「こいつらみんな調べさせてもらったが、三人とも古高と同類だったぜ」
「どういうことだ?何をいってるんだ?」
近藤には理解できない。
すると土方は、
「見ろっ」
といって沖田の刀を素早く払い落すと、その顔につかみかかった。沖田の口の周りが血だらけになっていたのは、土方がつけた刀傷のせいだった。土方は、その傷口に手を突っ込んで容赦なく引き裂いた。
「ぎゃあーっ」
異様な叫び声とともに、血管やなにかの筋が引きちぎられるブチブチという音がしたかと思うと、沖田の顔がベロリとめくれて、中から別の顔が現れた。そいつは、肌の色が青灰色で、全体にツルンとして髪の毛や眉毛、睫毛がなく、耳やあごは小さく、そして、黒目しかない吊りあがった目をもっていた。
もとは沖田総司だったその生き物は、顔を剥ぎとられた痛みと衝撃のためか、血だらけのまま茫然と、土方に襟首を掴まれて辛うじて立っている。剥ぎとられた沖田の顔は、皮一枚でつながって、首の後ろに垂れ下がったままである。
土方は、その異形の者を土間に打ちすてると、近藤に向きなおって、
「こいつらは、俺たちの知らねえあいだに、どこか別のところからやってきて、知らねえあいだに体の中に入り込んで、総司たちと入れ替わりやがったんだ!」
「泰平の世が終わって乱世が始まったのを見計らって、俺たちの世界に入り込んできやがったんだ!」
ところが近藤は、この異様な話を聞きながらも平然と佇んでいる。のみならず、顔には薄笑いを浮かべている。不審に思いながらも土方は続けた。
「俺は、この世界をこうした侵入者から守るためにここにいるんだ!」
「異界からの侵入者を見つけ次第、排除するために、-の命を受けて…」「えっ?」
俺は、誰の指令でこの時代に生き、誰の指令で侵入者の探索をしてきたんだ?思い出せない!
土方の記憶は、何者かによってロックされていた。なにかを思い出そうとすると、キーンと耳鳴りがした。
「よく見破ったな」
「歳よ、お前のいうとおりだ」
近藤がニタリと笑うと、口が耳まで裂けて、中から青灰色の肌が見えた。
「近藤さん…あんたもか!」
土方は、近藤まで奴らに乗っ取られたことを悟った。
「我々はこの世の外、-から来た」
近藤は、土方には理解できない発音で、どこかわからない場所の名を告げた。それが、奴らがやってきた異界なのだろうか。
近藤は、
「ところで一つ教えてほしいのだが、お前に俺たちのことを教えたのはだれだ?」
「指示を与えたのはなに者だ?」
「そもそも、この時代にお前を送り込んだのは何という組織だ?」
「言えっ!土方歳三!」
迫ってくる。
「お、俺は…」「俺は…」
頭がひどく痛んだ…。
「きやぁーっ!」
鋭い気合いとともに、総司が竹刀を突き込んでくる。土方は辛うじてそれをよけ、相手の小手に強く打ち込むと、総司の手から離れた竹刀が、音を立てて道場の床に落ちた。
「一本っ!」「それまでっ!」
上座に座った近藤が鋭くいって、試合をとめた。
「総司おしいっ!もう少しだった!」
「総司の突きをかわすとは!」
「土方さんさすがっ!」
兄弟子格の井上源三郎や、食客の山南敬助、長倉新八らが声をかけてくる。
「ここは?試衛館道場か?」
「俺は、総司と立ち合い稽古をしているのか?」
土方は、遠い夢を見ている気がした。
立ち上がった近藤は、
「総司、その突きをきわめろ」
「歳っ、見事なかわし技だった」
二人に声をかけてくる。
「ところで歳よ」
近藤がこちらにむき直り、ニタリと笑う。他の者も、いつの間にか土方を囲んで、やはりニタリと笑うと、皆の笑った口が耳まで裂けて、中から青灰色の肌が見えた。
「改めて訊く。お前に指示をしたのはなに者だ?」「だれがお前に俺たちのことを教えたんだ?」「お前が属するのは何という組織だ?」「言え!」
次々と迫ってくる。
ふたたび頭がひどく痛んで、土方は、
「そ、それは…それは…」
「…タ…」
後ろによろめいた。
バリッ、後ずさりする土方の足が何かを踏みつける音がし、踏みつけた足にひどい熱さが走って、土方は正気を取り戻した。どうやら、土間に落ちていた、火のついた提灯を踏みつけたらしい。
侵入者の心理攻撃だった。
「おそろしい相手だ」
見ると、近藤が刀を構え、耳まで裂けた口でニタリと笑いながら、じりじりと間合いを詰めてくる。土方も、刀の柄を握り直して近藤に向きあい、
「長い戦いになりそうだぜ」
ニヤリと笑った。
遠くから祇園囃子が聞こえてきた。
了
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