一章②
目当ての教会を見つけたのは、王都を出てから三日
「ねぇ。あれがそうかな」
ぽくぽくと馬が鳴らす足音にエミリアの声が交じる。すぐそばで
「ああ。多分、あれだな。
まだ遠目に見える程度だが、今後自分の住まいになる家が見えてくると、新生活に向けての期待に胸が
ふわりと風がエミリアのはちみつ色の
(……
きょろきょろと見回していると、農作業をしているらしい村民と目が合った。
(……
ぽりぽりと
不慣れなことに
だが、ローガンに甘えっぱなしではいけない。彼には彼の人生があるのだ。
これからは、自分だけで
ぺしぺしと両手で
間近に見えてきたのは、二等辺三角形のような
周囲をめぐる
一階に広く建物は
(
思わず
乗っている馬の耳がぴくり、と
「……なんであいつが……」
乗馬用の革
「間に合った───っ!!」
エミリアだけではなく、馬も首をねじる。同時に体勢を
「団長──────っ」
「……あれ、ジョンだよね」
青竜騎士団でローガンの
「
ローガンはあっさりと言い切ると、くるりと背を向ける。馬の手綱を引いて歩き出そうとしたところを、ジョンの悲鳴が追いかけて来た。
「ぼくだよ────っ! 団長っ」
鞍から飛び降りるや
「ええいっ!
「お久しぶりですっ! ぼくに会えなくて
「寂しくなどない。非常にのんびりと心豊かに過ごした」
「またまたぁ。団長は照れ屋なんだから。あ、エミリア
にぱり、と
(なんというか……。ローガンのことが好きすぎるのよね……)
ぞんざいにあしらわれながらも、ジョン自身は満足そうな笑みをたたえている。年の近い兄弟がじゃれあっているようにも、子犬が大型犬にまとわりついているようにも見える。
「お前、なんでここにいるんだ。今は、マッケイつきになったはずだろう」
「いや、それがですね。王太子殿下より特務を命じられまして」
ジョンは、えっへんとばかりに肩をそびやかせた。
「すごいじゃない」
エミリアが
「まあ、その内容なんですが、王太子殿下からの手紙を、すみやかに団長のところにお届けせよ、と。で、団長からの返事や
「ようするに
「特務って、言ったじゃないですか」
む、とジョンは口を
「ということで、記念すべき最初のお手紙です」
ローガンに差し出された手紙の
「なんて書いてあるの?」
「……ったく。俺の退団については保留。今現在、俺は長期
ローガンが舌打ちしながら返事したことにも、その内容にも
自分で団長の地位を退いたが、王太子が認めなかったようだ。
「言っとくが、王都には
先を制し、エミリアをじろりと
「何も言ってないじゃない。ねぇ」
エミリアは頬を膨らませ、ジョンに声をかける。
「ねー。団長って、そういうとこありますよねぇ。ぼくもね……」
「うるさいな、お前ら」
ぴしゃり、とローガンが話を断ち切るが、慣れているのかジョンはあっさりと話を変えた。
「あれが今回、おふたりがお住まいになるお家ですかぁ」
愛馬の手綱を引き、ジョンはローガンに並ぶ。
「お前、帰れよ」
「そんな言い方ないじゃない。ねぇ、ジョン」
「
「わかってない。まったく
「どんなお住まいか見てくるように、
口からの出まかせなのか本当なのか。しれっとしたジョンの顔からは判断がつかない。
ローガンはもう反論するのも
二頭並んで、ぽくぽくと、
「
小さく積んだ石垣の
「ヤギがいるってことは、なんらかの小屋はあるでしょう」
ジョンも周囲を見回す。
「とりあえず、降りろ」
エミリアに対してローガンが無造作に
よいしょ、とばかりに上半身を彼に向けて
ふわり、と宙に
「……あの」
同時に、聞きなれない声に三人は反射的に
背後にいたのは、数人の男性だ。
「わしは、この村で村長をしております。この教会に今日からお住まいになる、というのは、
ローガンを見た男たちは一様に目を見開き、身体をこわばらせるが、エミリアとジョンに対してはまるで
「今日からしばらく世話になる。よろしく
ローガンが愛想のかけらもない挨拶をしてくれることに、ほっとすると同時に落ち込んだ。そうだ、まずは挨拶をしなければいけなかったのだ。なんだかおどおどしていたら、
「こちらこそ。王都からいらっしゃるお客様のために、お住まいを準備するよう、
村長を
「馬を馬房に連れて行きましょうか」
「ああ。案内してくれたら、ぼくが連れて行きますよ」
申し出てくれた男と共に、ジョンが二頭分の手綱を引いて中庭の方に歩いて行った。
「飼い葉は後で持ってきましょう。
その背を見送りながら村長が言う。
「それは助かる。あと、あのヤギはなんだ」
ローガンが
「乳がとれますよ。要らないのなら引き取りますが……」
「いるっ」
引き取ってくれ、と言いかけたローガンより先にエミリアが答える。明らかに
「世話なんてできんだろう、あんた」
「するするするするするっ」
「子どもか。絶対、
ぶつぶつとローガンが文句を口にしている間に、村長が
「おふたりとも、どうぞ」
促され、ローガンに続いて、エミリアも建物内部に足を
「……わあ」
思わず声を上げる。
見事なステンドグラスが見えたからだ。
エミリアは
小さく聖句を唱え、目を開くと、村長と目が合った。
「あの……。お
ためらいがちに問われて、思わずローガンを見上げた。
「お前たちはなんと聞いている?」
逆に尋ねると、村長たちも
「王都から……、尊いお方がいらっしゃる、と。その……、それは
「黒い
黒髪
「この
「ちょっと、指ささないでよ」
ローガンの人差し指をパチリ、と
「特になにも聞いておりません。ただ、教会からの
「……まあ、教会関係者ではあるが」
ローガンは
「この教会で、薬局を開こうと思うんですが……」
村長に申し出ると、ぽん、と太くて分厚い手を打たれた。
「ああ!
ぺこりと村長は頭を下げるが、男たちは相変わらず
「金持ちの道楽か」「薬があっても高ければ買えねぇよな」
ひそひそと話す声がエミリアの耳にも聞こえてきた。
(……薬局うんぬんより、まずは
「ジョン。こっちだ」
不意にローガンが声を上げた。
扉付近で興味深そうに周囲を
「居住区はこっちか?」
ローガンはぶっきらぼうに言い放ち、エミリアの手を引いて近寄せる。
(……かばって、くれたのかな……?)
彼を見上げてそんなことを考える。そういえば、
「ええ、どうぞ、どうぞ」
村長は
やはり、この教会には一階部分しか部屋が存在しないらしい。
礼拝室の裏手に、ずらりと部屋が並ぶ形になっている。
客室、居間、
神殿から送った荷物や、メイソンに頼んで
「どの個人部屋も
多少
「あんた、
ふたりとも心配をしてくれているようだが、全く問題はない。
もちろん
「私は平気よ」
胸を張って頷き、それから笑って見せた。
「じゃあ、
その晩のこと。
居間の扉が開く音に、エミリアはソファに
「……寝るなら部屋で寝ろ、部屋で」
そこに立っていたのはローガンだ。
「もう無理。もう、一歩も動けません。私のことは放っておいて。今日はここで寝ます」
クッション性がいいとはお世辞にも言えないソファにうつ
張り切りすぎた。
ローガンに「ひとりでも自分はうまくやっていけるのだ」と見せつけてやろうと考えたのが
口から言葉と
「まだ、ホーロウに
あきれた声に、うう、と
そう。
『まだ、団長の
そこから、荷解きをしたぐらいまでは良かった。
だが、お昼ご飯の準備をするために
火をくべるために、
〝ローガンの悲鳴を聞く〟という貴重な体験をする。
『あんたは
火打石の使い方を教わり、なんとか火種を作ろうと
見かねたローガンが、自分の小刀に鉄鉱石を打ち付けて火種を作ってくれた。その間、わずか数秒。自分が要したあの時間はなんだったんだ、と
『……こっちはもういいから、水を運んで来い』
ローガンに命じられ、水を
その後、ローガンが用意してくれた昼食を食べた後、今度は、部屋を
馬の世話や薪の
「掃除機が欲しい……。全自動のやつ……」
「あんた、それでよく『田舎で一人暮らしする』って言えたもんだな」
言われて、むっと来た。
「今日で要領はわかったから。もう、
勢いだけの強がりは、ローガンも気づいているらしい。小馬鹿にしたように笑われ、さらに言いつのろうと口を開いたのだが。
「明日から、じゃなくて、のんびりやればいい。急いでなにもかも習得する必要はない」
若干子ども
「今後、この村の
ローガンが、背もたれに上半身を預けながら、エミリアに言う。
「そうね。誰かお手伝いの人に来てもらえるようになったら、ローガンは王都に
「あんたを置いてか?」
はは、とローガンは
「自殺
「それまでには、なんとか生活力を
相変わらず寝そべったまま、エミリアはローガンを見上げる。
きっと彼は、地道な
(……ちゃんと、努力してきた人の
自分も王都では必死に
それなのに。
聖女にはなれなかった。
それは自分の〝役割〟ではなかった。
「……私がちゃんと生活できるようになったら、本当にローガンは王都に戻ってね」
「なぜそこまで念押しするんだ」
ばさり、とタオルを頭から外し、ローガンがわずかに首を傾げた。夜
「王都には、あなたの居場所があるからよ。役割がある。戻った方がいい」
くるり、と背を丸め、エミリアは膝を
「誰かに……。
視線をローガンから外す。
本当にそうだ、とエミリアは内心で苦く笑う。
前世でも、現世でも。自分の居場所だと思った席は、誰かのためのものだった。
聖女だと思って座っていた席は、シエナのために用意されたものだった。
「……あんたの居場所はここなのか?」
ぎしり、とまたソファが
視界に現れたのはローガンだ。
「そうね。きっとそうなのよ」
見慣れた騎士に、
両親の期待に応えられなかった以上、実家には戻れない。そもそも、聖女でないのであれば、王都にいる意味もない。
「そうか」
ぎし、とまたソファが鳴る。視線だけ動かすと、ローガンが再びソファの背もたれに上半身を預けているところだった。
彼の
(……よく考えたら、これからローガンとふたりの生活が始まるのよね……)
昼間の
ジョンが帰ってしまった今、この家には、彼とエミリアしかいないのだ。
ぎしり、とソファがまた鳴った。ローガンが座りなおしたのだろう。エミリアの足裏に彼の身体が
「うひぃぃ」
「……どうした」
「な、ななななな、なんでもないっ」
言いながらも、視界に入ってくるのは、彼の広い胸であったり、しっかりと筋肉の張った
自分だけでは持ち上がらない家具を軽々と移動させたり、
あれは、自分に向けられた優しさではないのか、と気づいた途端、顔が熱くなる。
「……なあに、赤くなってんだか」
ローガンが
「赤くなってないしっ! っていうか、近いしっ!
「あんたを
言うなり、額を指ではじかれた。
「
「早く
ローガンは立ち上がると、さっさと居間を出て行く。あとには、ゆでだこのように真っ赤になったエミリアだけがソファでひたすら熱を発散させていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます