一章①
聖女を解任されてから十日後、エミリアはホーロウに向かって出発すべく、
革製の
「王太子妃
ぺこりと頭を下げた。
エミリアが聖女として王都で暮らしている間、いつも
いずれ、メイソンと正式に
エミリアが聖女としての能力を発揮できず、苦しい立場にある時も、社交の場では彼女が
今日とて、
結局義理の姉妹ということにはならなかったが、エミリアにとってアンは、頼れる姉のような存在だった。
「本当に……。なんと言えばよいのか……。わたくしに何かできればよかったのだけれど」
「そんな……。私の方こそ、なんの力も発揮できず……。すみませんでした」
前世の記憶が戻り、それが次第に現在の自分に
ひっそりと神殿を出ることに、
聖女ではない、と上級神官たちの前で明言されたことに
「どこに行っても、あなたはわたくしの
目を見てはっきりと言われ、不意にエミリアは
自分だけが〝姉〟だと
「妃殿下……」
アンが手を
アンと軽く
「妃殿下、この香り……」
身を
「あなたがいつもわたくしのために作ってくれたポプリです」
王太子妃の片頭痛は、宮廷で知らぬものはいない。それほどに
当時は薬剤師としての知識はなかったが、イルリア王国には代々
瘴気を吸い込んで
『〝
神官に
だが、
『そんなことよりも、早く〝癒しの力〟を発揮していただきたいものだ』
神官たちがこれ見よがしに言うことも、しばしばだったが、それでも通い続けたのは、エミリアを待ってくれる患者たちが居たからだ。
『あの……。このお薬は、いったいどのようなもので、いつ飲むのでしょうか』
施療院では身分を
エミリアは自分がわかる
結局、瘴気に対する癒しの力を発揮することはできなかったが、瘴気で
庭園を借りて多種多様な植物を育てていたのも、そのためだった。
その努力が実ることはなかったが、アンの役に立てたのなら、
「ホーロウに移っても、ポプリを作ってお送りしますね」
エミリアの言葉に、アンは深く頷いた。
「わたくしも手紙を書きます」
アンに丁重に礼をすると、エミリアは視線を数歩後ろに
目が合うと、
「本当に……。このようなことになってなんと言えばいいのか……」
その潤んだ瞳で見つめられ、エミリアは内心たじろいだ。
苦手意識と言うよりも、
外見も、能力も、身のこなしも。いずれにおいても、
「……どうか、お気になさらないでください」
エミリアは首を横に
「シエナ
「エミリア様は、本当に立派な聖女様でしたわ」
彼女の背が高いからだろう。シエナはエミリアの手を
「でしたわ、ね。あっさり過去形か」
聞きなれた低音に、エミリアだけではなく、その場にいた全員が声の主を見る。
「あれ。ローガン」
口から
「ローガン
アンが両手を合わせて
「よかった。エミリアに
「はあ!?」
王太子妃の前だというのに、
確かに、馬の
「いえいえ、妃殿下。私はひとりで行きますから」
「しばらくホーロウにいます。王太子
「はあああああ!?」
大声を張り上げると、うるさい、とばかりに顔をしかめられた。
「あんた一人を行かせられんだろう。
「なに、その保護者発言! 必要ありませんっ! ひとりで行けるからっ」
「何を言っているの、エミリア」
激しく
「ローガン卿に同行していただきなさい。なにかあってからでは
「いえ、本当にっ。なにもありませんからっ」
そう。自分は
「というか、青竜騎士団はどうするの!? 団長不在じゃまずいでしょう!?」
「
「はあああああ!?」
あんぐりと口を開いたまま彼を見つめる。なるほど、だから隊服ではないのだ。
「ローガン卿。わたくしのエミリアをよろしく
もはや母親のような立場で
「まあ、どちらの社会的信用が上か、ということだな」
「は、……、腹立つ……。なに、こいつ」
「思っていることが口から
「お願いします、とおっしゃい、エミリアっ」
「………………お、ね、がい、し、ま、す」
歯ぎしりしながらローガンを睨みつけると、
「仕方ない、お願いされてやろう。さっさと馬車に乗れ」
言うなり、背を向けて馬車に近づく。
「あの……、お荷物を」
背中を
シエナだ。
地面に置きっぱなしにしていた
同性とはいえ、なんとなく目を
(きれいなペンダント……)
ドレスの胸元にしまわれているペンダントトップが、こぼれ出ようとしている。
だがそれは、彼女が革鞄を持ち、背を
にっこりと
「行くぞ」
シエナには目もくれず、ローガンは
「あ。……ありがとうございます。それでは、あの。
なんとも
「出してくれ」
布張りの
「え!? ローガンは馬じゃないの?」
「馬は並走させる。ほら、手を振れ」
言われて馬車の窓を見ると、アンとシエナが手を振っていた。エミリアは思わず
「
「うるさいなぁ、もう。いいじゃない」
馬車
(……なんで、青竜騎士団を辞めてまでついて来てくれるんだろう……)
ローガンは長い
そういえば彼は今まで、どんな気持ちで自分の
聖女のための騎士団、青竜騎士団団長だというのに、その聖女は、一言でいえばポンコツ。
さぞかし、守りがいもなく、仕事に対しての失望感も強かったに
(……まあ、口は悪いけど……。意地悪ではなかったわね)
内心で小首を
では、彼は、自分をどうとらえていたのだろう、と。
「なに」
目線を窓に向けたまま、ぶっきらぼうな声が飛んできた。
「ねえ。今すぐ
「俺を殺す気か」
「違うわよ。あなたを巻き込みたくないの。ねぇ、そもそも、どうしてついて来てくれるの?」
エミリアは身を乗り出した。ローガンは相変わらずこちらを見ようともしない。
「あなたから見れば私は
ローガンは、それでもしばらく
「あんたみたいな、貴族のお
「一人暮らしぐらいできるわよ」
「現地で使用人を
「見る目がないって……。だいたい、使用人なんて雇わなくても、私ひとりでどうにかなるし」
む、と口をへの字に曲げる。ゴトゴトと
「あんたが?」
「
「か、竈……? 薪?」
そうだ、と
電気どころか水道もないのだ。スイッチを押せばガスが点火するわけでもない。
「それに、一人で行くとさっきから言っているが、あんた、馬に乗れるのか? 馬車は
「う、ま……」
「よしんば、
ぱくぱくと、口を開閉していると、視線の先で、ローガンがにやりと笑う。
「俺は
どうする、と首を傾げ、もったいぶった態度でエミリアの返事を待っている。
(しまった……。そうか。移動手段とか警備とか考えてなかったな……)
もちろん、それら一切をメイソンに
エミリアは上目遣いにローガンを見た。
「……げ、現地で……、家事を任せられるいい人を見つけるまでは、よろしくお願いします……」
「おう」
(でも……。早急にローガンには王都に戻ってもらおう)
自分のせいで、ローガンの人生が
彼は自分と違って、居場所がある。
エミリアのせいでその役割を失ってはいけない。
(あれ……。でも、なんか私、はぐらかされた……?)
ふと、首を傾げる。そういえば、彼は『どうして私について来るのか』ということについては、明確に答えていないような。
「なあ」
流れ行く窓の外の景色を眺めてそんなことを考えていたら、またローガンが声をかけてきた。
「なに」
「あんた、いいのか?」
組んだ脚に
「いいって、なにが」
「メイソン王子のことだよ。
「譲るもなにも……」
口から
「メイソン
「……なるほど」
ローガンはぼそりと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます