序章

 しん殿でんちようこう室に、オズ神官の声が朗々とひびいた。

「単刀直入に申し上げましょう」

 そこで言葉を切り、もったいぶって一呼吸置いた。ぐるり、と周囲を見回す。

 聴講室ならではの階段席には、上級職を中心とした神官たちが座り、部屋の中央を見下ろしている。その視線を意識し、オズはに座るエミリアの方に身体からだごと向き直った。

「あなたは聖女ではなかった。シエナ・キシルじようこそが本当の聖女だったのです」

 オズの発言に対し、反対する者や、ましてや激高する者などいなかった。

 室内は、非常に静かだ。

 だれもがすりばち状になった中央の演者席を無言で見ている。

 そこにいるのは、神官のオズをふくめ、わずか五人。

 そのうちのふたりが聖女という異常な事態で、場は静まりかえっていた。

 本来、この国に聖女はただひとりだというのに。

 階段席にいる神官たちは、きようしんしんに事の成り行きをながめている。

 聖女とは、時折このイルリア王国に現れて国難を救う存在だ。

 大神フェアリージュに愛され、〝いやしの力〟をされている。

 そのため、国家として大切にすることが決められており、生まれながらに王族とこんいん関係を結ぶことになっていた。

 初代の聖女は傷口にれただけでを治し、戦傷を負った当時の国王を救った。

 次の聖女は呼気をきかけると、病をたちどころに治し、えきびようから民を守った。

 王都のフェアリージュ神殿では、そのように歴代の聖女たちが持つ癒しの力を記録し、伝えてきた。

 どのようなきっかけで、いくつの時にどんな〝癒しの力〟を発揮し、せきを起こしたのか。

 それは連綿と伝えられ、聖女がこの世に生まれた時にかされてきた。

 というのも、誕生した聖女が、どんな癒しの力を持っているのか、能力が発現するまで誰にもわからないのだ。

 歴代の聖女の能力は非常に多様だ。例えば、初代聖女のように、「傷を治す」というのは、かくてき聖女によく見られる〝癒しの力〟だ。

 一方、泉に口づけをして薬酒に変えた、とか、ちくまんえんしたなぞの疫病を、フェアリージュのけいにより、せしめたこともある。

 だが、生まれると同時にしんたくを受けて以来、ずっと聖女として過ごしているにもかかわらず、エミリアには、なんの兆候も見られない。〝癒しの力〟が発現する気配がないのだ。

「そう、ですか」

 エミリアは、小さな声で返事をした。

 なにか答えることを期待されたから、口にしたにすぎない。意味などなかった。

 椅子に座り直したひように、窓に映る自分の姿が目に入る。

 ぽつん、と。ひとりけの椅子におさまる、小さな身体。背が低く、やせ型だからなのか十九歳だというのに、いまだ少女のようにさえ見えてしまう。

 はちみつ色の長いかみが室内の照明を受けて、あわい光を宿しているが、そのせいで、白いはだが一層際立って見えた。青天を映したようなひとみは、今はぼうようかがやきを失っている。

 聖女ではなかった。

 オズの放った一言は、エミリアの心を激しくさぶったものの、頭の奥では冷静にこのじようきようを客観視してもいた。

 フェアリージュに見放された聖女。

 神官たちが自分をかげでそう呼んでいることも知っている。知らずにこうたんちようの笑みがかんだ。なんてぴったりなしようなんだろう。

 エミリアはくちびるを引きめ、向かいの席に座る第二王子のメイソンと、シエナに瞳を転じた。

 あちらの椅子は、ふたり掛けのようだ。

 メイソンは背筋をばし、伸びすぎたまえがみの向こうから真っぐにこちらを見ている。一方、シエナはというと、エミリアの視線を感じて身体をふるわせ、メイソンのかたに額を押しつけておびえていた。

だいじようだ」

 メイソンは優しげにシエナに微笑ほほえみ、その背にうでを回した。

 ちかり、と何かが目をしたと思えば、彼のそでぐちかざるカフスボタンだ。紅玉石を使っているらしい。室内の光をはらみ、いろに輝いている。

 そのまばゆさから目をらすと、メイソンがおだやかに微笑んでいるのが視界に入った。瞳には甘さがにじみ、唇はゆるく笑みをたたえている。

 それは、決して、自分には見せなかった表情。エミリアには伸ばしたことがない腕。

 よく考えれば、こうして真正面から表情を見たことなどなかった気がする。

 生まれた時から、こんやく者同士だった、というのに。

「今までエミリアが聖女とされてきたが、本当の聖女はシエナだった」

 メイソンはシエナの白銀色の髪に口づけを落とすと、目をすがめてエミリアを見やる。王家のとくちようであるこくとうにはてつくほど冷たい光が宿っていた。

「彼女に出会って気づいた。ぼくのことを受け入れ、本当にわかってくれるのは、彼女だけだ、って。ぼくは、新たにシエナと婚約を結びなおすつもりだ」

 たんにシエナが顔を上げた。ぱっ、と顔をほころばせ、メイソンに笑いかける。メイソンもおうよううなずいた。

 ずきり、と重みをともなう痛みが、心をいた。

 メイソンの言葉が、かえまくつめを立てた。

『彼女に出会って気づいた』。『本当にわかってくれるのは、彼女だけだ』。

 心臓がり裂けんばかりにはくどうを続ける。

 エミリアは額に手を当て、まゆを寄せた。

(落ち着かなくちゃ……)

 一度目を閉じ、深く息を吸う。

 ゆっくりと目を開き、呼吸をき出すのだが。

 思わず、息を止めた。

 映像の二重写しのように、見たこともない人物たちが、目の前に現れたのだ。

 見慣れないしようぞく。見覚えのない風景。

 背後から名前を呼ばれた気がするが、繰りひろげられる動画から目がはなせない。

『彼女に出会って気づいた。ぼくのことを受け入れ、本当にわかってくれるのは、彼女だけだ、って』

 背の高いスーツ姿の男性が、自分に向かってきっぱりとそう言った。たくだ。となりにいる女性を引き寄せ、視線を交わしてやわらかく微笑んでいる。

 その様子が、最前のメイソンとシエナの姿に重なる。

 ずきり、と。再び心が裂ける痛みに、うめきをこらえる。

 ぐらり、と映像がゆがんでいく。なにもかもが、とろけるように、ない交ぜになっていく。

(待って……。〝拓斗〟って、誰……)

 名前に気づいたしゆんかんがくぜんとする。

 たくと、などと言う名前も知らなければ、発語もしたことがない。

 混乱するエミリアは、知らずに顔をおおう。ぎゅ、と目をつむった。落ち着こうと深く息を吸うのに、脳はしつようにエミリアに映像を見せつけた。

(……思い出した……。これ……)

 彼が締めていたネクタイのあざやかなしゆいろ。それがメイソンのそでを飾るカフスボタンを想起させた。紅玉石。緋色。

(……そうだ。私、前にも……。朱色のネクタイの……。拓斗に……)

 ふたりの男性が身に着けていた〝赤〟がたんちよとなり、かたふうじ込められていたおくほんりゆうとなってあふれ出す。

(婚約されたことがある……)

 エミリアはぼうぜんとしながらも、前世の記憶をしようさいに思い出していた。

 自分は、祖父からゆずけた小さな薬局を営むやくざいだった。そこでもこいびとに婚約破棄を告げられた。同じように、新しい恋人をしようかいされて。

 その後、自分は街を彷徨さまよって歩いたはずだ。両親の待つ家には帰れなかった。雨の中、かさもささずに道路を横断しようとして、とつじよ、急ブレーキの音を聞いた。はっと顔を上げると、間近にせまる車に気づく。

(その後の記憶がない、ということは、あそこで死んだのかしら……)

 そして、イルリア王国に転生したらしい。シーマはくしやく家のむすめとして。

「……リア、おい。あんた、ちょっと大丈夫か」

 背後から肩を揺さぶられ、我に返る。

 反射的にくと、ローガンがこしをかがめて顔をのぞきこんでいるところだ。彼の黒曜石のような瞳には、さっきよりも青白い自分の顔が映っている。

「水かなにか持ってきてやろうか」

 たずねる彼は、エミリア付きの護衛団団長だ。

 いや、エミリア個人の護衛騎士団ではない。聖女の護衛を目的とするせいりゆうきだんの団長だ。

 年はまだ若い。二十五になるかならないか、といったところだろう。目鼻立ちのすっきりとした青年だ。

 彼の父であるオルグレン公は現王の実弟にあたる。王位けいしよう権こそ遠いが、ローガンも王家の人間特有の、くろかみと黒い瞳を持っていた。だが、メイソンのようにどこか甘さがないのは、幼いうちから騎士団の中で育ち、規律と武芸によって精神も肉体もきたえられたからだろう。髪も短く切りそろえられ、青いサーコートにも軍服にも、乱れはない。

「エミリア?」

 口を開けば小言を繰りし、言い返せば皮肉げに笑い、何かあればけんかごしの態度で自分のそばひかえているローガン。

 その彼が、今は心配そうに自分をのぞき込んでいた。

「大丈夫。ありがとう」

 口端を上げて見せたが、ずいぶんと痛々しく見えたらしい。ローガンは無言で小さく頷くだけにとどめ、そして腰を伸ばした。

しん殿でんとしても、エミリアじようとメイソン殿でんの婚約破棄に異論はございません」

 オズ神官がエミリアに背を向け、メイソンとシエナに対して深々と頭を下げる。

「ひとつ、確認をしたい」

 エミリアの背後から声が上がる。ローガンだ。会場の視線がいつせいに向けられ、エミリアはすくめられたように肩をこわばらせた。

「エミリアは、生まれた時にフェアリージュ神殿の巫女みこが神がかり、たくせんを受けて聖女となったはずだ。そのことについてはなんと説明をする」

 身を縮めているエミリアとちがい、ローガンは堂々とオズに向き合った。

「託宣は誤りだったのでしょう」

 あっさりと言い切るオズに、ローガンは鹿にしたように鼻を鳴らした。だが、オズはひるまない。むしろ、声を張り上げ、胸を張った。

「事実、エミリア嬢は十九になるこの年まで、なんの〝いやしの力〟も発揮していないではないですか」

 きっぱりと言い切られ、エミリアはさらに身をすくめる。

「現在この国はしようき出しがひんぱつし、危機にひんしている。そのことについては、ローガンきようも異論はございませんな?」

 そんなエミリアの様子をいちべつし、オズは続ける。

「そもそも、フェアリージュ神が、この国の危機を救うため、聖女としてつかわされたのは、シエナ嬢だったのです。なにしろ、聖女シエナには、我々が求めている〝癒しの力〟があるのですから」

 オズはゆうぜんと、階段席を見回す。ちようこう室にいる神官たちは、演技がかったオズを興味深げに見ている。

「そう。瘴気を受けた者を癒し、回復せしめる、という力が」

 会場中がどよめく。

 瘴気とは、太古、この大地を覆っていたと言われる毒性のある気体だ。

 フェアリージュ神によって地中深くしずめられたため、イルリア王国の民はこの地に入植できたと言われている。

 だが、この気体は、気まぐれに大地から噴き出し、人へと害をなす。

「いつ噴き出すのか」「どこに噴き出すのか」「そもそも瘴気とはなんなのか」は今もってわかっていない。

 そして、ここ近年、瘴気の噴き出しが頻発し、人的がいが多発していた。だからこそ、聖女の〝癒しの力〟が期待されていたのだ。

「バーナード卿を救ったんだ。知っているか?」

 あしを組み、ゆったりと背もたれに上半身を預けたメイソンは、まえがみをかき上げて周囲を見回した。かたにかかるほどのちようはつで、流行はやりの衣装を身に着けたメイソンは、ローガンと対照的だ。実際、メイソンはけんの代わりにヴァイオリンの弓を持ち、騎士に囲まれる代わりに、お気に入りのじゆうとオズのような神官を引き連れて日々過ごしている。

 室内に広がる、さざ波のような小声を消すように、メイソンは話し始めた。その様子はまるでたい俳優さながらだ。

「王都の商業区に瘴気が噴き出したんだ。バーナード卿は食事のために訪れていたそうだが……。運悪く、瘴気を浴びた」

「都民のれんらくを受けて、ちゆうりゆうしている神官がじように向かったのですが、まどう民のために手間どりまして……。とうちやくした折には、すでにバーナード卿は虫の息でした」

 オズがちんつうそうにそこで言葉を切る。

「たまたまぼくも居合わせていてね。ああ、残念なことだ、と思っていたら……。そこに、シエナが飛び出して行ったんだ。信じられるか? まだ浄化も済んでおらず、瘴気が残っている場所にだぞ?」

 メイソンがまんげに言うのを、エミリアはうつむきながら聞いていた。

「そして、シエナがバーナード卿に手をれたたん、バーナード卿が息をき返したんだ」

「まさに、我らが期待する〝癒しの力〟でした」

 オズの言葉に、会場が再びどよめいた。びくり、とエミリアは肩をふるわせる。

「エミリア」

 メイソンから声をかけられ、おそるおそる視線を彼に向ける。

「聖女交代については、陛下と兄上にぼくの方から説明をしておく。きっと納得いただけることだろう」

「ありがとう、ございます……」

 エミリアが口にした礼は、聴講室内のざわめきについえた。陛下に進言し、裁可いただける力を自分は持っているのだ、とメイソンが示したからだろう。

「……陛下や王太子殿下がこの場におられぬ意味さえ分からぬとは」

 エミリアの背後で、ローガンがつぶやく。ちらり、と視線を送ると、ローガンはいまいましげにてた。

「陛下と王太子殿下が、あいつの意見を聞くことなどあるものか」

 だが、その言葉さえもメイソンの耳には入っていない。彼は会場の反応にじようげんで、話を続けた。

「そうそう。王都にいては何かとさわがれてめんどうだろう。家を用意しておいた」

「どういう、ことですか」

 尋ねると、メイソンは無言でオズを見る。

「エミリア嬢はもう、聖女ではないのですから、神殿にいる必要はございません。神殿の方からも、王太子殿下のお許しが出れば、大々的に新しい聖女を国民に発表するつもりです。そうなった場合、王都にいれば、こうの目にさらされるのではないか、と、深いメイソン殿下はお考えになっておいでなのです」

 オズの説明に、ああ、とエミリアは納得する。

 正式にシエナを聖女として公表すれば、同時にエミリアはにせものでした、とけんでんすることになる。

 そして、ようやく気付いたのだ。

 これは、事実上の聖女交代と追放宣言のために用意された場なのだ、と。

 理解してもなお、心に広がるのは失望やらくたんよりも、どこかあんした気持ちだった。

 これで、過度な期待から解放される。

 もう、聖女の務めを果たさなくてもよいのだ。だれかの望む何かになるためにやみくもがんる必要はない。

「ご実家の、シーマはくしやく家にも相談したのですが、むすめは引き取らぬ、と」

 この時ばかりは、オズが気の毒そうにまゆを下げる。

「そう、ですか……」

 エミリアはうなずいた。予想されたことだ。

 あの両親が自分を受け入れてくれるはずがない。

 いつまでっても力を発揮せず、「フェアリージュに見放された聖女」とされているエミリアを、両親は早々に見限っていた。

「教会領ホーロウに家を用意した。生活費は、当面神殿とぼくが用意しよう」

 メイソンはひだりうででシエナの肩をき、右手でほおづえをついた姿勢でエミリアを見ている。

「教会領ホーロウ……」

 聞いたことはある。王国のとうたん。はっきり言えば、田舎いなかだ。

 ふと、脳裏にかぶのは、前世で祖父が守り続けた、古びた小さな薬局。

 のきさきテントが日に焼けて、元は何色だったのかさえ分からなくなっていたが、住人といつしよじようさだけがだった。

 病院が遠方にしかない田舎だったので、こうれいしやたちが何かにつけては訪れ、ちょっとした体調不良や薬の相談をする、地域に必要とされた店だった。

 あの薬局は今、どうなっているだろう。

 ちくり、と胸が痛む。祖父からいだものを、自分は結局放り出してしまった。

(実家もたよれないし……。メイソン殿でんからの生活費もいつまで続くかわからない)

 今後は、自立することも考えねば。

「しばらくそこで生活すればいい。まあ、聖女としての能力はかいだったが、しようも起こさず、真面目まじめに……」

 そこでメイソンは急に噴き出す。

 何事か、とまどうと、のどの奥で笑いをつぶしながら、メイソンはオズに言った。

「よく考えれば、そもそも聖女じゃないのに……。ふふ……っ。お前ら、真面目な顔でよくこいつの茶番につきあったもんだな。そりゃ、能力なんて発現するもんか。だって、こいつ、偽者だったんだからな」

「殿下」

 流石さすがに、オズが言葉をはさむが、エミリアは言い返せもせず、うつむく。こぶしにぎりしめた。顔が熱い。きっと自分はざまに真っ赤になっていることだろう。

「あんた、いいのか」

 背後から、腹に響くような低音が聞こえてくる。

 り返ると、ローガンが、れいてつなまなざしをメイソンに向けていた。

「一発なぐりたいのなら、押さえつけておいてやるが、どうだ」

「どうだ、って……。え……?」

 ローガンの視線を追うと、完全にメイソンを視界にとらえている。押さえつける対象はちがいなく彼らしい。

「……なんだ。何が言いたい」

 殺気が伝わったらしい。口をとがらせ、不平そうにメイソンが言うと、ローガンはあからさまに無視を決め込んだ。

 王太子とは仲が良いローガンだが、同じ従兄弟いとこでもメイソンとは馬が合わないらしい。根本的に分かり合えない、と、きゆうてい関係者がよくため息交じりにこぼしていたことを、エミリアは思い出した。

「本当にいいんだな。このままじゃ、田舎に追放されるぞ」

 とうとつにメイソン達に背を向け、こしかがめて顔を近づけてくる。黒曜石に似たひとみが真っ直ぐに向けられた。

 そのしんなまなざしに、エミリアは次第に身体からだのこわばりがほどけていく気がした。

 同時に、小さなとげさったような痛みを感じて、エミリアは奥歯をむ。

「……いいのよ」

 なにかを振り切るように、エミリアは言った。

 王都にはもう自分の味方も、居場所もないのだ。それなら、前世で守れなかった、いや、かなえられなかったことを、今度こそやりげたい。

 心の痛みの理由に目をそらし、エミリアはこうたんを上げて、小さく微笑ほほえんで見せた。

「私の役割は、〝王都から退場する偽者の聖女〟なの」

 追放されてからは、物語に一度も名前がらない。

 そんな役割をあたえられたキャラクターなのだ、きっと。

 ならば、自由にしてやろう。

「……なるほど。だったら、俺も勝手にさせてもらう」

 舌打ち交じりに、彼は呟いた。

「教会領ホーロウでの暮らしは、本当にメイソン王子が面倒を見るんだろうな」

 ローガンは、いらった声を投げつける。

「しつこい。二言はない。必要なものがあれば、その都度用意させる」

「だとよ」

 ローガンがエミリアを見た。メイソンの方にあごをしゃくる。

「なんでも言ってやれ。こんやくいしやりよう代わりだ」

「……あの、では」

 口を開くと、わずかにメイソンが目を見開く。まさか、本当に要求するとは思っていなかったらしい。

 婚約者時代、メイソンに何かねだったことなどなかったし、そもそも会話らしい会話をしたこともなかった。

(いつ生活費のえんじよが打ち切られるかわからないんだし……。ここは、どーんと言っておこう)

 エミリアはローガンにちらりと視線を走らせた。頷いてくれたということは、彼も同意してくれたのだろう。

 ばくばくする心臓を胸の上から押さえつけ、すっくと立ちあがった。

「では、三角フラスコ、丸底フラスコ。あと、枝付きフラスコに、メスシリンダーも欲しいです。試験管と……、あ、コルクもいるかな……。それから、えっと……」

「待て、待て、待て、待て!」

 メイソンがあわてたように制止した。指を折って欲しいものをつらつらと口にしていたエミリアは、しゆんにまた、ほおを熱くする。

「あ、ああああ……っ。やっぱり、厚かましかったですか!?」

「いや、ちがう! 思っていたのと違った!」

 メイソンは目を真ん丸にさせている。自分のとなりではローガンさえもげんそうにエミリアを見下ろしている。

「そんなフラスコだの試験管だので、なにをするんだ」

「薬を作って、薬局を開こうと思って」

 辺境ならば、前世と同じく医薬品に困っているかもしれない。前世のおくもどった今、やくざいとして、この世界で過ごすのもいいだろう。

「「「「薬局!?」」」」

 ちようこう室の誰もが、オウム返しに問い、ぽかんとエミリアを見ていた。

「薬局……、ですが、なにか……?」

 エミリアは目をぱちぱちさせ、その反応に小首をかしげていた。

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