序章
「単刀直入に申し上げましょう」
そこで言葉を切り、もったいぶって一呼吸置いた。ぐるり、と周囲を見回す。
聴講室ならではの階段席には、上級職を中心とした神官たちが座り、部屋の中央を見下ろしている。その視線を意識し、オズは
「あなたは聖女ではなかった。シエナ・キシル
オズの発言に対し、反対する者や、ましてや激高する者などいなかった。
室内は、非常に静かだ。
そこにいるのは、神官のオズをふくめ、わずか五人。
そのうちのふたりが聖女という異常な事態で、場は静まりかえっていた。
本来、この国に聖女はただひとりだというのに。
階段席にいる神官たちは、
聖女とは、時折このイルリア王国に現れて国難を救う存在だ。
大神フェアリージュに愛され、〝
そのため、国家として大切に
初代の聖女は傷口に
次の聖女は呼気を
王都のフェアリージュ神殿では、そのように歴代の聖女たちが持つ癒しの力を記録し、伝えてきた。
どのようなきっかけで、いくつの時にどんな〝癒しの力〟を発揮し、
それは連綿と伝えられ、聖女がこの世に生まれた時に
というのも、誕生した聖女が、どんな癒しの力を持っているのか、能力が発現するまで誰にもわからないのだ。
歴代の聖女の能力は非常に多様だ。例えば、初代聖女のように、「傷を治す」というのは、
一方、泉に口づけをして薬酒に変えた、とか、
だが、生まれると同時に
「そう、ですか」
エミリアは、小さな声で返事をした。
なにか答えることを期待されたから、口にしたにすぎない。意味などなかった。
椅子に座り直した
ぽつん、と。ひとり
はちみつ色の長い
聖女ではなかった。
オズの放った一言は、エミリアの心を激しく
フェアリージュに見放された聖女。
神官たちが自分を
エミリアは
あちらの椅子は、ふたり掛けのようだ。
メイソンは背筋を
「
メイソンは優しげにシエナに
ちかり、と何かが目を
そのまばゆさから目を
それは、決して、自分には見せなかった表情。エミリアには伸ばしたことがない腕。
よく考えれば、こうして真正面から表情を見たことなどなかった気がする。
生まれた時から、
「今までエミリアが聖女とされてきたが、本当の聖女はシエナだった」
メイソンはシエナの白銀色の髪に口づけを落とすと、目をすがめてエミリアを見やる。王家の
「彼女に出会って気づいた。ぼくのことを受け入れ、本当にわかってくれるのは、彼女だけだ、って。ぼくは、新たにシエナと婚約を結びなおすつもりだ」
ずきり、と重みを
メイソンの言葉が、
『彼女に出会って気づいた』。『本当にわかってくれるのは、彼女だけだ』。
心臓が
エミリアは額に手を当て、
(落ち着かなくちゃ……)
一度目を閉じ、深く息を吸う。
ゆっくりと目を開き、呼吸を
思わず、息を止めた。
映像の二重写しのように、見たこともない人物たちが、目の前に現れたのだ。
見慣れない
背後から名前を呼ばれた気がするが、繰り
『彼女に出会って気づいた。ぼくのことを受け入れ、本当にわかってくれるのは、彼女だけだ、って』
背の高いスーツ姿の男性が、自分に向かってきっぱりとそう言った。
その様子が、最前のメイソンとシエナの姿に重なる。
ずきり、と。再び心が裂ける痛みに、
ぐらり、と映像が
(待って……。〝拓斗〟って、誰……)
名前に気づいた
たくと、などと言う名前も知らなければ、発語もしたことがない。
混乱するエミリアは、知らずに顔を
(……思い出した……。これ……)
彼が締めていたネクタイの
(……そうだ。私、前にも……。朱色のネクタイの……。拓斗に……)
ふたりの男性が身に着けていた〝赤〟が
(婚約
エミリアは
自分は、祖父から
その後、自分は街を
(その後の記憶がない、ということは、あそこで死んだのかしら……)
そして、イルリア王国に転生したらしい。シーマ
「……リア、おい。あんた、ちょっと大丈夫か」
背後から肩を揺さぶられ、我に返る。
反射的に
「水かなにか持ってきてやろうか」
いや、エミリア個人の護衛騎士団ではない。聖女の護衛を目的とする
年はまだ若い。二十五になるかならないか、といったところだろう。目鼻立ちのすっきりとした青年だ。
彼の父であるオルグレン公は現王の実弟にあたる。王位
「エミリア?」
口を開けば小言を繰り
その彼が、今は心配そうに自分を
「大丈夫。ありがとう」
口端を上げて見せたが、
「
オズ神官がエミリアに背を向け、メイソンとシエナに対して深々と頭を下げる。
「ひとつ、確認をしたい」
エミリアの背後から声が上がる。ローガンだ。会場の視線が
「エミリアは、生まれた時にフェアリージュ神殿の
身を縮めているエミリアと
「託宣は誤りだったのでしょう」
あっさりと言い切るオズに、ローガンは
「事実、エミリア嬢は十九になるこの年まで、なんの〝
きっぱりと言い切られ、エミリアは
「現在この国は
そんなエミリアの様子を
「そもそも、フェアリージュ神が、この国の危機を救うため、聖女として
オズは
「そう。瘴気を受けた者を癒し、回復せしめる、という力が」
会場中がどよめく。
瘴気とは、太古、この大地を覆っていたと言われる毒性のある気体だ。
フェアリージュ神によって地中深く
だが、この気体は、気まぐれに大地から噴き出し、人へと害をなす。
「いつ噴き出すのか」「どこに噴き出すのか」「そもそも瘴気とはなんなのか」は今もってわかっていない。
そして、ここ近年、瘴気の噴き出しが頻発し、人的
「バーナード卿を救ったんだ。知っているか?」
室内に広がる、さざ波のような小声を消すように、メイソンは話し始めた。その様子はまるで
「王都の商業区に瘴気が噴き出したんだ。バーナード卿は食事のために訪れていたそうだが……。運悪く、瘴気を浴びた」
「都民の
オズが
「たまたまぼくも居合わせていてね。ああ、残念なことだ、と思っていたら……。そこに、シエナが飛び出して行ったんだ。信じられるか? まだ浄化も済んでおらず、瘴気が残っている場所にだぞ?」
メイソンが
「そして、シエナがバーナード卿に手を
「まさに、我らが期待する〝癒しの力〟でした」
オズの言葉に、会場が再びどよめいた。びくり、とエミリアは肩を
「エミリア」
メイソンから声をかけられ、おそるおそる視線を彼に向ける。
「聖女交代については、陛下と兄上にぼくの方から説明をしておく。きっと納得いただけることだろう」
「ありがとう、ございます……」
エミリアが口にした礼は、聴講室内のざわめきに
「……陛下や王太子殿下がこの場におられぬ意味さえ分からぬとは」
エミリアの背後で、ローガンが
「陛下と王太子殿下が、あいつの意見を聞くことなどあるものか」
だが、その言葉さえもメイソンの耳には入っていない。彼は会場の反応に
「そうそう。王都にいては何かと
「どういう、ことですか」
尋ねると、メイソンは無言でオズを見る。
「エミリア嬢はもう、聖女ではないのですから、神殿にいる必要はございません。神殿の方からも、王太子殿下のお許しが出れば、大々的に新しい聖女を国民に発表するつもりです。そうなった場合、王都にいれば、
オズの説明に、ああ、とエミリアは納得する。
正式にシエナを聖女として公表すれば、同時にエミリアは
そして、ようやく気付いたのだ。
これは、事実上の聖女交代と追放宣言のために用意された場なのだ、と。
理解してもなお、心に広がるのは失望や
これで、過度な期待から解放される。
もう、聖女の務めを果たさなくてもよいのだ。
「ご実家の、シーマ
この時ばかりは、オズが気の毒そうに
「そう、ですか……」
エミリアは
あの両親が自分を受け入れてくれるはずがない。
いつまで
「教会領ホーロウに家を用意した。生活費は、当面神殿とぼくが用意しよう」
メイソンは
「教会領ホーロウ……」
聞いたことはある。王国の
ふと、脳裏に
病院が遠方にしかない田舎だったので、
あの薬局は今、どうなっているだろう。
ちくり、と胸が痛む。祖父から
(実家も
今後は、自立することも考えねば。
「しばらくそこで生活すればいい。まあ、聖女としての能力は
そこでメイソンは急に噴き出す。
何事か、と
「よく考えれば、そもそも聖女じゃないのに……。ふふ……っ。お前ら、真面目な顔でよくこいつの茶番につきあったもんだな。そりゃ、能力なんて発現するもんか。だって、こいつ、偽者だったんだからな」
「殿下」
「あんた、いいのか」
背後から、腹に響くような低音が聞こえてくる。
「一発
「どうだ、って……。え……?」
ローガンの視線を追うと、完全にメイソンを視界に
「……なんだ。何が言いたい」
殺気が伝わったらしい。口を
王太子とは仲が良いローガンだが、同じ
「本当にいいんだな。このままじゃ、田舎に追放されるぞ」
その
同時に、小さな
「……いいのよ」
なにかを振り切るように、エミリアは言った。
王都にはもう自分の味方も、居場所もないのだ。それなら、前世で守れなかった、いや、かなえられなかったことを、今度こそやり
心の痛みの理由に目をそらし、エミリアは
「私の役割は、〝王都から退場する偽者の聖女〟なの」
追放されてからは、物語に一度も名前が
そんな役割を
ならば、自由にしてやろう。
「……なるほど。だったら、俺も勝手にさせてもらう」
舌打ち交じりに、彼は呟いた。
「教会領ホーロウでの暮らしは、本当にメイソン王子が面倒を見るんだろうな」
ローガンは、
「しつこい。二言はない。必要なものがあれば、その都度用意させる」
「だとよ」
ローガンがエミリアを見た。メイソンの方に
「なんでも言ってやれ。
「……あの、では」
口を開くと、わずかにメイソンが目を見開く。まさか、本当に要求するとは思っていなかったらしい。
婚約者時代、メイソンに何かねだったことなどなかったし、そもそも会話らしい会話をしたこともなかった。
(いつ生活費の
エミリアはローガンにちらりと視線を走らせた。頷いてくれたということは、彼も同意してくれたのだろう。
ばくばくする心臓を胸の上から押さえつけ、すっくと立ちあがった。
「では、三角フラスコ、丸底フラスコ。あと、枝付きフラスコに、メスシリンダーも欲しいです。試験管と……、あ、コルクもいるかな……。それから、えっと……」
「待て、待て、待て、待て!」
メイソンが
「あ、ああああ……っ。やっぱり、厚かましかったですか!?」
「いや、
メイソンは目を真ん丸にさせている。自分の
「そんなフラスコだの試験管だので、なにをするんだ」
「薬を作って、薬局を開こうと思って」
辺境ならば、前世と同じく医薬品に困っているかもしれない。前世の
「「「「薬局!?」」」」
「薬局……、ですが、なにか……?」
エミリアは目をぱちぱちさせ、その反応に小首を
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