第八話

 レモンサワーの氷が溶けはじめ、レモン風味の水に変わりだす。次の注文をしようかと、カウンターの方に首を動かすと、座敷奥の誕生日席に座っている男子がスマホを開いて、皆に聞こえるように、ワントーン大きめの声で口を開いた。


「みんなー。もうちょいで、金山が来れるって」


 バイトが終わり次第、合流する予定だった男子が、グループラインにその旨を送ったらしい。


「ほんとだ」


 松山くんが右手でスマホを持ちながら、トーク一覧を開いて確認している。その角度のせいで、見ようとせずとも目に入った画面最上部には、メッセージが届いてることを知らせる赤いアイコンが表示されていた。


「バイト終わった。今から電車乗るって」


 表示されたメッセージを復唱した松山くんが、グループラインをタップして既読を付ける。それは僅かな時間だったけど、トーク一覧の上から四つ程下に表示されていた、未読にしたままの赤いアイコンを私は見逃さなかった。


「もー。せっかく集まれたのに遅いよ」


 数人が、頭から参加していないことに不満を漏らしたが、私の頭はたいして仲良くもなかった男子のことを気にかけるほどの余裕は持ち合わせておらず、松山くんの言葉でより焦ることになる。


「それなら俺、駅まで迎えに行こうかな。煙草も吸いたいし」


 そう言って隣で小ぢんまりとしながら、松山くんが掘りごたつから足を抜く。


 これは、またとないチャンスだ。二人で抜け出す機会なんて、多分、もうやってこない。松山くんが大股で壁を沿うように通っていくのが、背中越しに伝わる。自然と、後ろを通りやすいように前屈みになる。


 駅までの短い距離だけど、それだけでも、憧れたあの映像に行けることには変わりない。


「二駅くらいだから、すぐだって」

「おっけい」


 畳に腰を掛けて、松山くんが靴を履き出した。ここで、動かないと。自分の隠したくてしょうがない本心を、アルコールの力を使ってでも、表さないと。鞄に手を伸ばそうとしながら松山くんの背中を見ると、不意に振り返った彼と目が合った。息が詰まって呼吸ができなかった。


「あの、ごめん、そこのライターとってくれる?」


 伸ばした手が、鞄に触れたところで止まった。


「これ?ん」


 松山くんは、明らかに私に頼んだ。けど、ライターを渡したのは美鈴だった。


「さんきゅ」


 運動のしにくそうな靴を履き終えた松山くんが、目の前で立っている。


「ちょっと待って!」


 どこからか、焦ったような声がする。


「俺も一緒行くわ。貴重な煙草仲間だし!」


 本心を出すことに、何の恐れも抱いてないことが分かる速度で、さっきまで松山くんが喫煙者になったことを嘆いていたはずの男子が、彼の隣に並んだ。


「じゃ、ちょっと行ってくるね」


 松山くんは残ったメンバーの誰に言うわけでもなく、そう告げて歩きだしていった。


「あれ、春香もなんか用事あった?」


 名前を呼ばれたのに、美鈴が私に問いかけていることに気づくまで、少しだけ時間がかかった。


 なんで。


 美鈴の瞳は、丸眼鏡越しに私の本心を見透かしているかのように、瞬きすることなくこちらを見つめている。


「いや、鞄掴んでるから」


 いつのまにか、鞄に置くように伸ばした手に力が込められていた。


「あ、あの、ちょっとトイレ行こうと思って」


 理由もなく、鞄から手を離すのも憚られて、咄嗟に、また本心を隠した。


 松山くん達とはち合わせしないように、できるだけ時間をかけて靴を履き、ショルダーバックを肩にかける。二人はもう店を後にしたようだ。店員以外に立っている人間は見当たらない。それを確認して、出入り口近くのトイレに向かった。


「トイレ行くのにわざわざ鞄持ってくんだね。なんか呆然としてたし」

「今日もあんま喋ってないけど楽しいのかな」

「まあ、あいつ昔から何考えてるか分かんねえやつだったもんなあ」

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