第七話
「でも松山がタバコ吸ってるとは思わなかったわ。スポーツマンだったのにさぁー」
座り込むことで取り出しにくくなるのが嫌だったのか、松山くんは腰を下ろす前にポケットからタバコを取り出した。その動作の滑らかさは、松山くんの体で何度も繰り返されている行為であることを裏付けていた。
「別にもう合法だし、ここで吸うわけじゃないんだから良いじゃん。吸わないってかここじゃ吸えないけど」
喫煙者にとって住みづらい世の中に変わっていることは、元カレが嘆いていたから知っている。そう。元カレだって喫煙者だった。父がタバコを吸うから私はあまり匂いも気にならない。なのに、なんで松山くんが吸ってることこんなにショックを受けてるんだろう。
「あんたもタバコ吸ってたじゃん」
美鈴の言うように松山くんを挟んで座っている彼の前にも、紙箱が置かれている。そういえば数日前、先輩に電子タバコを買ってもらったとストーリーに投稿していた。
「いやー、イメージなかったからさー。俺としては貴重な喫煙者だから嬉しいんだけど」
確かに、私も美鈴も、ここに座っている殆どが驚いた。高校時代、バレーで全国大会にあと一歩のところまで勝ち進んだ松山くんは、大学でもバレーを続けて今度は全国に出たいと、よく話していた。
「部活でなんも言われねーの?つーか特待生じゃなかったっけ?」
「スポーツ特待じゃなくて普通の特待ね。バレーで行けてたら、みんなとあんなに勉強しないって。部活は入ってすぐくらいに、怪我して辞めちゃったな。」
その言葉に、皆がもう一度驚く。
少しづつ、高校時代の松山くんが遠くなっていく。
「えっ!そうなの?なんで言わねーの。見た目もそうだけど体つきとかも変わってないから、バリバリやってると思ってたわ」
「趣味のレベルでやってはいるから。それに、わざわざ報告することでもないからなー」
もし、松山くんがSNSをやっていたとしても、このことは投稿しなかったと思う。多分、写真とか、人が写っていない風景とかしか投稿しないタイプだ。でもそれは、私の知ってる高校時代の松山くんのイメージでしかない。
「そうかあー。部活辞めるほどの怪我って大丈夫なの?」
瞳という液晶しか介さない、直接的に脳に入ってくる松山くんの近況は、今の彼の印象をガラリと変えてしまう。
「生活には全く支障ないよ。でもレギュラーでやってくのは厳しそうだったから」
杯数が重なり、度々ずれていた眼鏡を、元に戻すこともしなくなった松山くんの横顔は、私の知らない誰かのように見えた。私もそれなりにアルコールが回ってきたのか、流れている曲の名前が知っているはずなのに出てこない。
会話に参加したいという欲求が高くなるにつれ、言葉のハードルはどんどんと下がっていく。私の知らない松山くんの数年余りを、この言葉で済ませてしまうのは後悔することになると気づいていながら、アルコールが染み込んだセンサーはそのセリフを素通りさせた。
「松山くんも色々あったんだね」
「まあね」
数十分ぶりに自発的に発した言葉は、会話と呼ぶにはあまりに稚拙なものだったけれど、今の私には、自分の感情をこれ以上柔らかいものにすることはできなかった。もう少しお酒が入っていたら、もう二歩三歩踏み込んで話を聞いたかもしれない。
いくらお酒の席でも、煙草を吸う人間を軽蔑していた松山くんのことを咎める者が居ないように、私の恋愛事情を聞いてくる者が居ないように、ズカズカと他人のプライベートに入ってはいけない。私にそんな勇気があったかは分からないけれど。
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