第六話

「すいませーん。レモンサワー四つお願いします」


 顔が赤くなりだした美鈴が、私の正面で掘りごたつから体を伸ばし、忙しなく動く店員に声をかける。レモンサワーが一杯250円のこの店は、客層も従業員も全体的に若い。カウンター越しで焼き鳥を作っている店主の選曲なのか、明らかに私達の世代をターゲットのしたJ-POPが店内には流れ続けているけど、誰もそれに耳を傾ける素振りを見せていない。一回り年上に見える店主は、若者がお酒を飲むのに、BGMなんて必要ないということを忘れている気がする。そもそも、このお店にバラードは似合わない。


 店主以外、誰にも求められていないメロディーは、それを察してか、場の空気を乱さぬよう身の程を弁えて控えめに流れている。


 この会においての私のように。


「こんなに集まると思ってなかったけどさ、こーなると成田来れなかったの残念だよね」


 集団の中に溶け込んで会話するのが苦手になったのは、不必要な自意識と、相手の気持ちを敏感に察知するセンサーが心に取り憑いた、中学の頃からだ。一対一や、少人数でならそのセンサーは心に負担をかけることなく作動してくれるけど、八人がけの掘りごたつ席を埋めるほどになると、過剰に反応して思考がオーバーヒートしかける。挙句の果てには誤作動を起こし、おかしな言動を取ってしまいかねない。だから、アルコールがそのセンサーを弱めてくれるまでは、できるだけじっと、空気を乱さぬよう、身の程を弁えて座っているのがベストだ。


「松山帰ってくるってなったら集まるっしょ」

「むしろこういう時じゃないとなー。来年とか就活でみんな忙しいだろうし」


 重ねて続けられる会話に、違和感なく参加するタイミングがよく分からない。二の足を踏んでいる内に、一つ一つのセリフが過去になっていき、話題は移り変わっていく。


「大学入ったのこないだの気がするわ。あっという間」

「ほんと社会人なりたくねーわー。生活してけるか不安」

「ねー。初任給とか実際どんくらいなんだろ」


 思えば、最初になんとなく挨拶して以来、まともに喋ってない気がする。直接会うみんなの垢抜けっぷりに面食らって、そのままになってしまった。でも、大学も折り返しに差し掛かったこの時期は、モラトリアムの終わりが見えだして、将来への不安が生まれてくる。それはみんな変わらないみたいだ。何の加工も施されていない言葉を率直に吐き出す彼らは、画面越しに見るよりも幼く見えた。


「結婚とか、想像できる?特に女子」

「私はまだ全然いい。想像できないし」

「春香ちゃんとか、どう?」


 不意に投げつけれらた乱雑な問いに、喉が固まってレモンサワーが口の中で暴れた。どう?って何が?結婚とか考えてるわけない。てか、ストーリーに足跡付けててそれ聞くの?なんて言えるわけないし。ダメだ。まだセンサーがしっかりと働いてしまう。


「…うーん、まあそのうちできたらいいなって感じかな」


 答えになっているのか。そもそも何を聞かれたのかすらもよく分かってないまま、透明とも黄色とも言えないレモンサワーのように、曖昧な返答をしてしまった。また本音を吐き出せない。いつもそうだ。


「そっかあ。まあみんな色々だよね」


 色々。その言葉の中に含まれている諸々を邪推してしまうのも、センサーが働いているからだろうか。


「まあ、俺も向こうで一人暮らし始める時すげー不安だったけど、案外なんとかなったから、大丈夫じゃない?不安になったらまたみんなで集まって話せばいいし」

「松山は大丈夫そうだよな。見た目変わってなさ過ぎてそこが心配だけど」

「それどういうこと」


 左からお待たせしましたーという声と同時に、レモンサワーが四つ、端の私と美鈴の前に置かれる。去ろうとする店員に美鈴が追加で注文を告げると、かしこまりましたーと怠そうな生返事が帰ってきた。


「春香と私と、あとこれそっち回して」

「ありがとう」


 急ピッチで、というわけではないけど、早くセンサーを鈍くさせて普段どおりに戻りたくて、美鈴から受け取った手でそのまま、薄いレモンサワーに口を付ける。多分四杯目を頼んだのは私が最初だ。もう少しお酒に弱ければ良かったと心底思う。


「春香ちゃんそれもう四杯目じゃない?けっこうお酒強いんだ。意外」


 右隣からの声に耳が熱くなった。いくら隣とはいえ杯数を知られるのは理由が理由なだけに恥ずかしい。それに座っているのは彼だ。


「うん。こんな機会あんまりないし、楽しもうと思ってたらいつの間にか四杯目」


 薄口のせいなのか酔が回ってきたのか、味はよく分からなかったけれど、久々に松山くんと会話することができた。こういう時に声をかけてくれるところも変わっていない。


「何も考えず飲める人いる?とかグルで聞いたけど、みんなお酒飲める人で良かった」

「うん。みんなSNSとか見てると飲めるみたいだよ」


 自分からSNSというワードを出してしまったことを後悔する。センサーが鈍くなってきた証拠でもあるけど、松山くんの前でその話は出したくなかった。


「松山やってないもんな。なんでなの?」


 乾杯してからずっと喋りっぱなしの男子が、また躊躇なく質問する。できるだけ早く別の話題にしなくちゃ。今日はそのことを頭から取り除きたい。


「前一回作ってすぐくらいに機種変して、IDとパスワード分かんなくてそれきり。そっか、みんなそれでなんとなくお互いの近況分かってんのか。でも、最初はみんな垢抜けてて、おおってなったけど話したら案外変わってなくて安心したわ」


 松山くんの言うように、この場の彼以外は、お互いの近況を画面越しに見知っている。投稿頻度の差はあるけれど、会う機会が少なくなった中で、その情報がその人の印象を占める割合は大きい。裏を返せば、松山くんの近況はこの場の誰も知らないことになる。だから、席につくなり、テーブルの上に置いた紙箱から私は目を話すことができなかった。

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