第43話 祭りの夜に
「奥様の御髪、本当に美しくなりましたねえ」
マリアンがそう言いながら髪を優しく梳いてくれる。
鏡台の鏡に映る彼女の表情は本当にうれしそうで、私も自然に笑みが浮かんだ。
マリアンは週に一度だけ城に来て私の話し相手兼身の回りの世話をしてくれている。
彼女の夫が庭師として城で働きだしたので、家にいるお母様の面倒を見るためにもマリアンはなるべく家にいることになった。
夜になればラナと交代するけれど、マリアンがいてくれる間はラナの完全な自由時間となる。彼女にもそういう時間ができてよかった。
「侍女の方が優秀なのでしょうね。傷んでいた髪がこんなに美しくなるなんて」
「ふふ、そうね」
「奥様が良い方たちに囲まれてお幸せになられて、私たちのことまでこんなに良くしていただいて。幸せすぎて怖いくらいです」
「私もよ。でも私が今こうして幸せを感じていられるのは、マリアンが身を削るように助けてくれたからなの。あなたがいたから生き延びられた。本当に感謝しているわ」
「奥様……」
マリアンが目に涙を浮かべる。
私も泣いてしまいそうになった。
「二人で泣いていてはいけませんね。これから奥様はデート兼お仕事なのですから。お支度を進めますね」
「そうね。お願いね」
今日はアルフレッド様とともにお祭りの見学に行く。
夜はたくさんの領民が広場に集まって、アルフレッド様の掛け声で一斉に紙でできたランタンを空に飛ばすのだとか。
すごく楽しみだわ。
アルフレッド様とともに街に着いたのは、太陽がだいぶ西に傾いた頃だった。
大通りでは食べ物の露店が両脇に並んでいて、たくさんの人が行き交っている。
その中を二人で歩いていくのだけれど、なんというか、わりと普通に堂々と歩くのだなと思った。護衛騎士も少しだけ離れて付いて来ているとはいえ。
「ご領主様だ」という声は時折聞こえるけれど、皆アルフレッド様に気づいても少し距離をあけてくれるだけで、驚いた様子も畏怖している様子もない。
それだけアルフレッド様は領民との関りを多く持ってきたということかしら。
「フローラ、何か食べたいものはあるか?」
「美味しそうなものがたくさんあって迷ってしまいますね。軽く食べてきたはずなのにお腹が鳴りそうです」
「ふ、じゃあたくさん食べて帰ろう」
人ごみの中、手をつないで歩く。
おくさまーという小さな声に視線を下にやると、ちいさな女の子が私に向かって手を振っていた。
微笑みながら手を振り返すと、えへへと笑って恥ずかしそうに母親の足に抱きついた。
なんてかわいいのかしら。ご両親がありがとうございます、と笑顔でお礼を言ってくれた。
子供が欲しいな、と漠然と思った。
「フローラ、これは美味いから食べてみてくれ」
アルフレッド様が串に刺さった豚肉を手渡してくださる。
焼きあがったばかりの豚肉からは湯気が上がっていて、わずかな焦げ目とほどよい脂身が食欲をそそる。
塩と荒く挽いた胡椒だけの味付けのはずなのに、噛むほどにかすかな甘みが広がっていってとても美味しい。食べ応えがあるけれど脂はくどくなくて、小腹を満たすのにはちょうどいい。
アルフレッド様を見上げると、彼も美味しそうに食べていた。串に刺さった肉に噛り付く様はどこか野性味があって、なんだかドキドキしてしまった。
食べ終わって少し歩くと、アルフレッド様はまた別の露店で何かを買った。
「これも食べてみるか?」
アルフレッド様が差し出してくれたのは、とても小さなりんごが串に刺さっているものだった。りんごはつやつやと輝いている。
「まあ、かわいらしいし美味しそうです」
「りんごに砂糖を煮溶かしたものを絡めたものだ」
「さすがりんごが特産品のガーランドですね」
食べてみると、りんごをコーティングしている砂糖がパリパリといい歯ごたえだった。さわやかな酸味と砂糖の甘味が口の中に広がって、とても美味しい。
「すごく美味しいです」
「良かった。ああ、あっちにも美味いものがあるぞ」
結局暗くなり始めるまであちこち渡り歩いて、お腹がいっぱいになるまで食べてしまった。
完全に日が落ちた頃、アルフレッド様とともに広場へと移動した。
既に多くの人が集まっていて、紙でできたランタンを手に持っている。
二人で壇上に上がり、アルフレッド様が手を挙げると会場が静まり返った。
「皆、存分に楽しんでくれているだろうか。私が領主でいられるのも、皆がいてくれるおかげだ。心から感謝している。今宵は心ゆくまで楽しんで、明日からの英気を養ってほしい」
わああ、と歓声があがる。
「紹介が遅れたが、私は今年結婚し、素晴らしい妻を迎えた。妻のフローラだ。これからは妻とともにガーランドがより良い地となるよう一層励んでいくつもりだ」
手を振ってやってくれ、との言葉に、会場の皆に向かって手を振ると、より一層大きな歓声が上がった。
「準備を」
アルフレッド様の言葉で、皆が小さな松明でランタンの下部中央にある布に火をつけていく。
私とアルフレッド様も騎士からランタンと松明を渡され、火を灯した。
自分の願いを込めながら手を離すんだと、アルフレッド様が小声で教えてくれた。
「ガーランドが一年豊かで平和であるようにとの願いと、それぞれの願いを込めて……ランタンを空へ!」
ランタンが手の中で少し浮き上がるような感覚があり、手を離す。
ランタンはふわりと浮いて、夜空を目指して昇って行った。
無数のランタンがオレンジ色の淡い光を放ちながら空へとゆっくり昇っていく様はとても幻想的で、思わず感嘆のため息が漏れた。
「きれい……なんてきれいなんでしょう」
「ああ。俺もこの光景が好きだ。フローラと見られたから、より一層好きになった」
指の間に、アルフレッド様の指がそっと差し入れられる。
応えるように、私も握り返した。
「俺はフローラがずっと元気でいてくれるようにと願った」
「奇遇ですね。私もアルがケガなどせず元気でいてくださるようにと」
二人の小さな笑い声が重なる。
オレンジ色の光が、高く高く昇っていく。
彩られていく夜空を見上げながら、アルフレッド様はフローラ、と私を呼んだ。
「俺は今多くのものを手にしている。辺境伯という地位、明るく働き者な領民、豊かさ。何よりも貴重な、君の心も」
「はい」
「だが思いあがってその大事さを忘れれば、それは俺の手の中からこぼれていくのだろうと思う。先日の伯爵の件で、それを再認識できた」
「そうですね。人の力ではどうにもならないこともありますが、なんの努力もなしに手にしていられるものはそう多くはないのだと思います」
「ああ。だから俺は辺境伯としてより一層努力すること、君に対して良き夫であるよう努力することを誓う。来年も領民の笑顔とこの美しい光景を、愛する君と見られるように」
「私もアルの妻として、たくさんのことを学んでお役に立てるよう頑張ります」
「ありがとう。だが元気でいてくれればそれでいい」
「私もアルが元気でいてくれればそれだけでじゅうぶんですよ」
再び、二人の笑い声が重なる。
これ以上ないというくらいアルフレッド様が大好きなのに、また彼を愛する気持ちがあふれるほどにわきあがってきて、私の中を満たしていった。
帰りの馬車は、会話も少なめだった。
アルフレッド様に寄りかかって、肩を優しく抱かれて夢見心地のまま城へと向かう。
「フローラ」
「はい」
「……今夜、部屋に行ってもいいか?」
「? はい」
なぜあらためて訊くのかしら? ほぼ毎晩いらしているのに。
「君が嫌じゃなければ……そのまま朝まで一緒に過ごしたい」
「!」
アルフレッド様の言わんとしていることがわかって、心臓が激しく動き出した。
全身が熱くて、顔を上げられない。
アルフレッド様の膝の上に置かれた拳を見ると、ものすごく力が入っているのがわかって、なんだかかわいいと思ってしまった。少しだけ緊張が解ける。
返事をしようとしたけれど喉がからからで声も出せず、ただちいさくうなずいた。
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