第44話 誓い


 何かを伝えたわけではなかったのだけど、今日のラナはやたら入念に入浴の手伝いをしてくれた気がする。

 最後に脱衣所で不思議とベタベタしない香油を全身に薄く塗られ、二人で部屋に戻った。

 どことなくそわそわしているラナは、私にナイトドレスを着せて部屋から去っていった。

 えっと……ラナ、ガウンは?

 ――明らかにばれているわね、これは。

 城に戻ってきてからの私の態度が挙動不審だったせいかもしれない。アルフレッド様も挙動不審だったけど。

 さすがにナイトドレス一枚で待つ勇気はなくて、クローゼットから同じ生地のガウンを出して着た。

 そのまま部屋の中をウロウロして、無意味にカーテンを開けたり閉めたりして、とりあえずベッドに腰掛ける。緊張のあまり喉がかわいて、水差しから水を注いで飲んだ。

 そこから微動だにせず床の木目を見続けること、数分? 数十分? 時間の感覚もおかしくなってきたわ。

 また無意味に立ち上がろうとしたとき、ノックの音が響いた。

 緊張が一気に高まる。


「……はい」


 かすれた声で返事をする。

 アルフレッド様が静かに入ってきた。彼を見ていられず、視線を下げる。

 彼が隣に座って、ベッドが沈んだ。


「……」


「……」


 沈黙の中、自分の鼓動の音が聞こえるようだった。


「……なんというか」


「はい」


「俺は緊張している。ものすごく」


「私も、です」


 口元にすこしだけ笑みが戻る。

 アルフレッド様の体からかすかに石鹸の香りがした。

 身にまとった飾り気のないシャツの上からでも、彼がたくましい男性的な体つきをしているのがわかる。

 それが今は少しだけ怖い。


「もしまだ心の準備が追い付いていないのなら、今日はこのまま部屋に戻る。もちろんそれで気を悪くしたりしないから安心してくれ。君の気持が整うまで待つ」


 彼の顔も見られない臆病な私を、気遣ってくださったのね。

 私は顔を上げてアルフレッド様を見つめ、首を振った。


「政略結婚が当たり前の貴族として生まれて、こうして愛する人と結婚できるなんて、こんなに幸運なことはありません。だから……」


 言葉が続かなくて、また視線を下げてしまう。

 決して嫌なわけじゃない。むしろこうなる相手はアルフレッド様しか考えられない。ただ、緊張して恥ずかしくて、どうしていいのかわからない。

 アルフレッド様が私の手をとって、指先に口づけた。

 そして手を握ったまま安心させるように髪を撫でる。優しい手つきに、力が抜けていく。

 アルフレッド様は髪から手を離し、もう片方の手も下から支えるように握った。

 私の左手の指輪を、アルフレッド様の親指がゆっくりとなぞる。


「私、アルフレッドは」


「?」


「フローラを生涯唯一の妻とし、喜びの時も悲しみの時も、神の試練が降りかかりし時も、心から愛し敬い慈しむことを誓います」


 予想もしていなかった言葉に顔を上げると、アルフレッド様が優しく微笑んでいた。


「初夜をやり直す前に、誓いもやり直したほうがいいと思ったんだ。あの時のようにただの儀式に伴う言葉じゃなく、心からの誓いを君に捧げたかった」


 視界がぼやけて、涙が私の頬を濡らす。

 ああ、私は。幸せな気持ちになると、こんなにも簡単に泣いてしまう。


「今誓いの言葉を言うなんて、ずるいです……。こんなの、泣いてしまうではありませんか」


 アルフレッド様がちいさく笑った。


「私、フローラは、アルフレッドを生涯唯一の夫とし……、喜びの時も悲しみの時も、神の試練が降りかかりし時も……心から愛し敬い慈しむことを誓います……」


 アルフレッド様が私を優しく抱きしめる。あやすように背中をさすってくれた。

 大きな手が私の顔を上向かせ、瞼に、濡れた頬に、唇にそっと口づけられる。

 そしてまた抱きしめられた。

 涙が止まった頃、顔を上げる。近い距離のまま見つめあった。


「愛しています……」


「俺も愛している、心から」


 また、唇が重なる。

 口づけが深くなり、私を抱きしめる腕に力が入っても、もう怖くはなかった。




 夢とうつつの狭間で、いつもは柔らかいはずの枕がなんだかゴリゴリと硬いな、とぼんやりと思う。

 状況がよくわからないまま目を開けて、ドキッとする。

 眠っているアルフレッド様の横顔と、服を着ていない上半身が視界に飛び込んできたから。

 硬い枕だと思っていたのはアルフレッド様の腕だった。

 ああ……そうだった。昨夜、アルフレッド様と……。

 昨夜の出来事を思い出して恥ずかしさのあまり全身が熱くなる。

 心のどこかで、アルフレッド様は途中で女性恐怖症を思い出してしまうのでは、と思っていた。思っていたのだけど……。

 うう、なんだかアルフレッド様の新たな一面を見た気がするわ。

 ふと彼の体に視線を移すと、あちこちに傷跡があることに気づいた。

 先頭に立って魔獣と戦う以上、怪我は避けられないのかもしれないけど。できる限り、もう怪我はしないでほしいわ。

 喉がかわいて、水を飲もうと体を起こす。同時にアルフレッド様が目を覚ました。


「あ……。おはよう、ございます……」


「! あ、ああ……おはよう」


 ナイトドレスの肩紐がすべり落ちて、慌てて直す。

 今さらと言えば今さらなのだけど。

 アルフレッド様も恥ずかしそうに下を向いていた。


「体は……大丈夫か?」


「あ、はい、なんとか……」


「そうか……」


「はい……」


「あー……。朝食を食べに行こうか。着替えるために部屋に戻る。君の身支度が終わってから一緒に行こう」


「はい」


 アルフレッド様がベッドから出る。

 下半身も何も身に着けていなかったらどうしようかと思ったけれど、そこは紳士のたしなみかトラウザーズをはいていた。

 昨夜脱ぎ捨てたシャツを拾って羽織り、申し訳程度にいくつかボタンを留めていくその仕草になんだか男性的な色気を感じてしまって、またドキドキしてしまう。

 こういう関係になっても、アルフレッド様の色々なところにドキドキするのは変わらないのだなと思った。

 アルフレッド様が部屋に戻ってから、ベルでラナを呼ぶ。

 ラナは平静を装っているけど、なんというか……微笑んでいる。

 ニヤニヤとかニコニコじゃなく、ウフフとでも聞こえてきそうな、どこか慈愛に満ちてすらいる微笑。

 何も言わず支度を整えてくれたけど、……やっぱり恥ずかしい。

 ダイニングルームで朝食を食べ始めても、なんとなく気まずくて照れくさくてぎくしゃくしてしまう。

 ちらりと壁際を見るとシリルもやっぱりウフフ顔をしていた。

 や、やめて……。


「お前たちその顔をやめろ」


 そう言うアルフレッド様の声もどこか力がない。


「おや、その顔とは。何かございましたか」


「性格が悪いぞ、シリル。もういい」


 気まずさのあまりやや急ぎ気味に朝食を食べ終えたところで、アルフレッド様が散歩に誘ってくださった。

 外の空気を吸いたい気分だったからありがたいわ。

 庭園に行き、ベンチに座って二人でしばらくボーッと花を眺めた。


「……なんというか。落ち着かないな」


「はい。その……アルに対しても照れ臭いですし、ラナたちにいたってはなんだかもう」


「ああ、わかる」


 また黙って、二人で花を眺める。


「体は……まだつらいだろう」


 その言葉に、頬が熱くなる。


「それほどでも……」


「数日は、なんというか、静かに眠ろう。だが一緒のベッドで寝てくれるとうれしい」


「はい」


 私の体を気遣ってくださるのがうれしくて、笑みが浮かぶ。

 アルフレッド様が私の手を握る。関係が深まっても、その手の温かさも優しさも変わらない。

 変ってゆくこと、変わらないこと。夫婦ってそういうものなのかしら。

 でも、年を取ってお互いしわしわになっても、こうして手をつないでいられたら。

 きっととても素敵な人生でしょうね。


 夜になってアルフレッド様が部屋を訪れて、宣言通りただ静かに二人でベッドに入った。

 朝になって一緒に寝ていたことを知られたら、またウフフ顔をされてしまうのかしら。

 でも夫婦だもの。こうして一緒に寝るのが普通よね。


「おやすみ、フローラ」


「おやすみなさい、アル」


 私を抱きしめるアルフレッド様の体温の高さが心地よくて、すぐにうつらうつらしはじめる。

 胸元に頬を寄せると、アルフレッド様がちいさくうめいた……気がした。


 翌朝、やっぱり枕がゴリゴリと硬いなと思いながら目が覚めた。

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