第37話 王都へ


 揺れの少ない馬車の中、アルフレッド様と二人きり。

 いつも部屋のソファでそうしているように、隣り合って座っている。

 ラナも王都についてきてくれることになっているけれど、彼女は荷物とともに先に出発した。

 窓の外を見ると馬車が驚くようなスピードで進んでいるのがわかる。私がガーランドに嫁いできた時よりも速い気がするわ。

 休憩もほとんどとらないし、魔獣の血が混じった馬のすごさをあらためて知った。


「次の町から南に下ればガーランド領外に出る。町で馬を取り替えるからそこで休憩していこう」


「はい」


 ガーランド産の馬はまだ領地の外に出せないものね。

 町を過ぎて少し走れば、シルドランの東側に位置するドナルズ子爵領に入るはず。

 そういえば……シルドランといえば。


「アルフレッド様」


「なんだ?」


「私に関係のない話ならお話しくださらなくていいのですが。ガーデンパーティーの日、カリスト叔父様と何かありましたか?」


「いや、義叔父上と何かあったというか……」


 珍しく歯切れが悪い。

 しばしの沈黙が下りる。


「よくないお話ですか?」


「あまり楽しい話ではないし、具体的なことはまだ何も決まっていない。君は王宮の舞踏会を控えて緊張しているだろうし、終わってから話そうかと思っていたんだが……」


 私にも関係がある話ということよね。そしてカリスト叔父様にも関わること。


「シルドラン伯爵領で、何かありましたか?」


「……ああ」


「舞踏会のことはあまりお気になさらず、お話しいただけたらうれしいです」


「……。シルドラン伯爵の話だが」


「はい」


「領地を抵当に入れて王立銀行から借りた金を、すべて詐欺師に奪われた」


「ええっ!?」


「金が戻るのは絶望的と考えたほうがいいだろう」


 ということは。

 お父様は伯爵位を失い、領地は王家管理に?

 領民はどうなってしまうの……?


「教えてくださってありがとうございます。お父様のことはともかく、領民が心配です」


「君ならそう言うだろうと思っていた。アストリー家の家令のビクターもそれを何より気にかけていた」


「ビクターにお会いに?」


「ああ。俺にシルドランを買ってくれと言ってきた」


「……!」


 お母様とともに苦労して領地を運営してきたビクター。

 彼は領地のこと、領民のことを第一に考えてきた。

 彼が家令の地位を失うことを危惧して私に手を差し伸べられなかったことは知っている。

 私はむしろそれをありがたいと思っていた。彼がいなくなってしまっては、シルドランは立ち行かなかったから。

 そのビクターが、アルフレッド様にシルドランを買ってくれと言うなんて。

 領民を救うにはそれしかないと考えてのことだろうけれど。


「あれはずるい男だ。マリアンが退職する際、彼女の周辺を調べたのだと思う。そして彼女の夫のもとに医者が派遣されていたこと、彼女が引っ越すことを知ったのだろう。そこから簡単に推測できたはずだ。そこまでするからには、フローラは一年で帰ってはこない、俺もフローラに対して気持ちがあると。愛する君のためだから、もしかしたらシルドランを助けてくれるのではないかと考えて俺の元に来たのだろう」


 アルフレッド様がちいさく息を吐く。

 まっすぐ前を見据えわずかに目を細めるその横顔は、普段とは違っていてどこか近寄りがたさすら感じる。

 領主としてのアルフレッド様はいつもこんな雰囲気なのしら。


「だがビクター個人の思惑はどうでもいい話だ。俺はガーランド領主としてこの件を判断しなければならない」


「仰るとおりです」 


「フローラにどうしたいとは問わない。その質問はかえって君を苦しめる。できるなら領民を助けたいと思っていることも、だからといって俺にシルドランを買ってくれと言えないこともわかっているから」


 仰る通りだわ。

 お母様が懸命に守ってきたシルドランという地がなくなって、領民が苦しむのはつらい。できるなら助けてあげたい。

 けれど、その感情だけではどうにもならない。

 アルフレッド様はガーランドに対して責任がある。シルドランの領民を哀れに思っても、簡単に手を差し伸べることはできない。

 シルドランを買ってくださいだなんてお願いすることはできない。


「シルドランを即金で買ってもまだ余裕はあるが、それはガーランドのためになるのかをまず考えなければならない。俺が使う金はガーランドの領民が納めてくれたものだから」


「はい」


「今オウルといろいろ試算している。それ以前に、俺がシルドランを買うには王家の許可が必要だ。そもそも伯爵がまだ破産届すら出していないから、確たる話ですらない」


「そうなのですね……」


 けれど、ビクターがアルフレッド様にお願いをしたということは、もう持ち直せないと踏んでのことよね。

 お父様は遅かれ早かれ領地と爵位を手放すことになるわ。


「まだ何も決まっていないのにいたずらに不安にさせてすまないな」


「いいえ、私が聞き出したのですから。アルフレッド様がどのような決断をされたとしても、それは領主として正しい判断をされたということです。どうか私がシルドラン出身だということはお気になさいませんよう」


 アルフレッド様は苦笑すると、私の頭をそっと引き寄せた。


「君は立派な辺境伯夫人だ。君のような人と結婚できたことを、あらためて幸運に思う」


「私もアルフレッド様と結婚できて心から幸せです」


「そういえば。本当の夫婦なのだから敬語もいらないし、アルフレッドと呼んでほしいんだが」


「う……。なかなか難しそうです」


「それが難しそうなら“アル”でもいい。俺を愛称で呼べるのは君だけだから」


「は、はい……アル」


 うわあ、違和感がすごいわ。

 でも夫婦なのにアルフレッド様と呼んでいたら不自然よね。

 頭の中ではまだアルフレッド様でいいけれど、人前で呼ぶときは気をつけなくちゃ。


「こっちのほうがうれしい。口調などはゆっくり慣れていこう」


「はい」


 その後町に着いて、馬を替えている間に遅めの昼食をとることになった。

 貴族向けでもない普通のお店に入ったためか、店内が一瞬ざわつく。

 「ご領主様……」という小さな声が聞こえたけれど、アルフレッド様は気にした様子もなく堂々と座った。

 店内では二人でおすすめのパンを注文して食べた。

 卵と牛乳と砂糖を混ぜた液に浸してバターをひいたフライパンで焼いたのだというパンは、砂糖の甘さとバターの塩気のバランスがちょうどよく、ほどよい焦げ目が香ばしくて美味しい。

 食後に飲んだオレンジジュースは、強すぎない酸味が口の中を爽やかにしてくれた。

 それにしても、貴族向けではないお店でも砂糖をふんだんに使った料理が出てくるものなのね。あらためて、ガーランドは豊かなのだと実感した。

 店を出るときに「ご領主様の奥様だよな、きっと」という声が聞こえたけれど、これからは領内のことをもっと勉強して、あちこちに顔を出して領民に覚えらてもらえるようにしていかなくちゃ。

 ……シルドランでは、いったいどれほどの領民がお父様の顔を知っているのかしら。

 お父様が領民の仕事や生活をその目で見てきたなら、納められる税金がどのように生まれるかを本当の意味で理解していたら。きっと安易に詐欺話に乗るようなこともなかったでしょうに。


 馬を替えた馬車が走り始め、ほどなくしてドナルズ子爵領に入った。

 

「……そういえば。先ほどのシルドランの話」


「ああ」


「私の実家は没落貴族となってしまいますね」


「そうだな」


「アルフレッドさ……アルにご迷惑をかけてしまうのではないかと心配です」


「なぜだ? 貴族身分はさかのぼっては取り消されないから、俺と結婚した時点で君は伯爵令嬢という事実に変わりはない。そして今は俺の籍に入っているから辺境伯夫人で、君は貴族のままだ。法律的にも問題ない」


「ですが、辺境伯夫人ともあろうものが詐欺に騙された没落貴族の出となると、アルに恥をかかせてしまうのではないかと」


 ふ、とアルフレッド様が笑う。


「君が妻でいてくれることは、だれがどう思おうと俺の誇りだ。少しも恥になどならない。もしくだらないことを言う者がいたら……」


「いたら?」


「決闘を申し込む。妻を侮辱する者は容赦しない。相手が代理の騎士を立てようが俺は負けない」


「アル……」


 胸が熱くなる。

 この方はここまで私を想ってくれているのだと。


「もちろんその場で相手を殴り倒したりしないから安心してくれ。それじゃあ酒場の酔っぱらいと変わらないからな。ちゃんと手続きを経て決闘を行う。あくまで名誉を守るために」


「はい」


「ああ、なんなら君が自らクロスボウで倒してもいいぞ」


「ふふ、では私はアルの名誉を守るときにクロスボウで勝負しますね」


 アルフレッド様はちいさく笑うと、「たのもしい妻だ」と私をぎゅっと抱きしめた。



 日が完全に落ちたころ、今日泊まるホテルに着いてラナと合流した。

 ラナが案内してくれた部屋は大きなベッドのある広い部屋で、とても素敵なのだけど。


「ここは私とアルどちらが泊まるお部屋なの?」


 ラナがにっこりと笑う。


「旦那様と奥様がお泊りになるお部屋でございます」


 ……。

 えっ?

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