第35話 ガーランドとシルドラン


 目の前には満面の笑顔のシリル。

 俺の机に対して直角に設置された机の椅子に座って微笑んでいるのはオウル。

 そろそろ、この状況に耐えがたくなってきた。


「二人ともいい加減その顔をやめろ」


 さすが祖父と孫だ、その笑顔がどこか似ている。


「いやはやいやはや……こんなにうれしいことはありませんで、ついつい顔が緩んでしまいます」


「いやー僕は最初からこうなると思っていましたよ。案外時間がかかったなと思ったほどです」


 この二人にフローラに告白したこと、受け入れてもらったことを話すんじゃなかった。

 いや領地に深く関わることだからいずれ話さなければならないことではあるが。

 くそ……照れくさいし居心地が悪い!

 心を落ち着かせるために紅茶を一口飲む。


「ところで昨夜は奥様と一緒にお休みに?」


「ゴフッ!」


 シリルの遠慮がなさすぎる質問に思いきりむせる。

 書類を机の上に出す前で良かった。いや書類が出ているときに飲み物を飲んだりはしないんだが。


「ゴホッ……なんてことを言うんだ」


「その様子ならまだですね。残念です」


「いくら幼馴染といっても突っ込みすぎだ。いちいち人に言うことでもない」


 ハンカチで口元をぬぐう。

 もちろんフローラに刺繍をしてもらったハンカチじゃない。あれは額に入れてこの執務室の壁に飾ってある。


「無粋じゃぞ、シリル。そういうのは静かに温かく見守って差し上げるものじゃ」


 さすがオウル、年の功だ。


「そもそもフローラの傷も完治していないんだ。告白を受け入れてもらったからといっていきなりそんな欲望丸出しなことができるか」


「それもそうですね。失礼しました」


「そうじゃそうじゃ。まだキッスしかしていないんだから焦らせるでない」


 頬にかっと熱がのぼる。

 うほほ、とオウルが笑った。なんでわかった、くそ!


「お前らいい加減にしろ。……結婚式すらおざなりに済ませてしまったから、今度はちゃんと手順を踏んでフローラの気持ちを大事にしていきたい。まずは王都のパーティーに出て、そこで妻として披露する」


「いいですね。女性嫌いだったご主人様の突然の結婚を契約結婚じゃないかと疑っている貴族もいるでしょうから、いちゃいちゃしているところを目の前で存分に見せつけてきてください」


「……そうだ、契約結婚。俺とフローラが契約結婚だという噂が城内であったようなんだが」


「はい。僕の不手際です、申し訳ありませんでした。対処は終わっています」


 シリルが頭を下げる。


「どういうことだ。詳細を話せ」


「ご主人様と奥様の部屋の掃除係のメイドたちが噂していたようです。ご主人様の女嫌いは有名でしたし、まあ……いろいろと痕跡がなかったのでそういう話が出たんでしょう。ただ思っていたよりも話は広がってはおらず、そのメイドたちから話を聞いたカイン卿がうまいこと口止めをした上で僕に知らせてくれました」


 生々しい話だのう、とオウルがつぶやいて、ようやく痕跡云々がどういうことかを理解した。


「余計な話をしていたメイドたちは脅……いろいろと言い含めてから解雇し、使用人すべてに今一度気を引き締めるよう言い聞かせています」


「なぜ事後報告になったんだ」


「ここのところずっとお悩みだったご主人様を変に焦らせたくはありませんでしたので。すみません」


 領主夫妻に関してそのような噂が出るのは当然好ましくないが、女性恐怖症と違って知られて致命的なものでもない。

 まだ疑っている者がいたとしても、俺たちが仲睦まじい様子を見せていけばその疑いも晴れていくだろう。

 カインに知られたのは少々痛かったが。


「まあその話はいい。そろそろ今日の業務を……」


 ノックの音が響いて顔を上げる。

 入ってきた使用人が、俺に来客を告げた。


「来客の予定はないけど。先ぶれもなく来たってこと? 誰?」


 シリルが使用人に問う。


「シルドラン伯爵グレイグ・アストリー様の屋敷で家令として働いている者だと名乗っています」


「……何?」


 シルドラン伯爵の、家令だと?

 なぜ来た? いくら妻の実家で働いていた者とはいえ、本来関わることなどない立場の人間だ。

 ましてやフローラの実家などあの通りだし。

 伯爵に何かあったのだとしても、フローラに害さえなければ死んでようがどうでもいいし、そもそも家令が直接来る意味がわからない。


「応接室……いやここに通せ」


「かしこまりました」


 しばらくして、五十代くらいの白髪まじりの痩せた男が入室してきた。


「突然の訪問申し訳ございません。アストリー家の家令でビクターと申します」


「たしかに突然だな。アストリー家の家令が私に何の用だ?」


 男は小刻みに震え始めると、その場に膝と手をついた。

 シリルとオウルは黙ってその様子を見ている。


「このようなこと、お願いするのは筋違いと存じております。ですが……どうか、シルドラン伯爵領の領民をお助けください」


「どういうことだ」


「伯爵が……投資詐欺にあいました。王立銀行から領地を抵当に五億を借りてすべて投資につぎ込みましたが、それが詐欺で全額を失いました……」


 あまりに馬鹿げた話で、理解するのに数秒を要した。


「なんだそれは。領地を抵当に金を借りて詐欺にあった? 阿呆すぎて話にならないな」


 床についていたビクターの手が、小刻みに震えている。


「魔石採掘の投資話をハデルン伯爵に直接持ち掛けられたと旦那様はおっしゃっていましたが、似た男を使った詐欺だったようです。ハデルン伯爵に確認して発覚しました。確認してみれば偽ハデルン伯爵に声をかけられたのは夜会などではなく賭博場で、最初から旦那様がターゲットにされていたのではないかと……」


 馬鹿馬鹿しくて笑いも起きない。

 たしかにハデルン伯爵領には魔石があるのではないかという話があった。だがそれはまだ調査も終わっておらず、おおまかな埋蔵量すらわかっていない。そんな状態で投資の話など出るはずもない。

 今まで伯爵として何をどうやってきたら領地の命運をかけてそんなうさんくさい話に乗るというんだ。

 ああ、丸投げだったな、そういえば。それなら最後まで投げておけばよかったものを。

 馬鹿な領主を持った領民は気の毒だ。

 その手の詐欺を働く者は素早さが命だ。とっくに外国に逃げていて行方を追うのはほぼ不可能だろう。


「念のため確認だが、オウル。王立銀行で領地を抵当に金を借りて返せない場合は、領地と爵位を失い、領地は王家管理となるな?」


「仰る通りです」


「その後は?」


「まさか領地ごと放っておくわけにもいきませんから、王家から管理人が派遣されるでしょうな。まあ無難に管理をすることになるでしょう。その後は土地を切り売りされるか、誰かが新たな伯爵として封じられるか。しかし今は戦争もありませんから新たに伯爵となるほどの手柄を立てる人もなかなかおりませんし、こう言ってはなんですがシルドランは魅力のある土地ではないので褒美としては微妙ですしなあ」


「なら分割の上売られるのが妥当な線か。王家とていつまでも持っていたい土地ではないだろうしな」


 シルドラン伯爵領は立地に利点がない上に、土地も痩せている。

 だから抵当に入れても五億程度にしかならなかったのだろう。利益を出せる土地にしようとすれば大がかりな改革が必要だ。つまり金がかかる。

 当然、王家にとっても魅力はない。領民もちらほらと逃げ出している状態で、そこから無難に領地を運営していったとしても五億を取り戻せるまで何年かかるか。

 爵位だけが欲しい金持ち商人がいたとしても、シルドランを丸ごと買えば伯爵になれるというものじゃない。爵位は王家から叙爵されるものだ。

 せいぜいが切り売りされた土地を商人が爵位ごと買って男爵となるくらいか。王家の許可はいるが、男爵の地位なら金で買うことも不可能じゃない。


「……で。アストリー家の家令殿は、シルドランのそんな運命を避けるために私に伯爵に対して金を貸せとでも? 領民が汗水たらして働いて納めてくれた大切な税金を、穴の開いた器に流し込む気はないんだが」


「いいえ。どうか……どうか辺境伯様がシルドランをお買い上げくださいませんでしょうか!?」


 ビクターが床に頭をつける。

 何を言い出すんだ、この男は。


「つまり。私が王立銀行に五億を払い、王家から許可をもらってシルドランの領主になれと?」


「……仰る通りでございます。功績からしても、辺境伯様なら王家からも認められるのではないかと……。このようなお願い、ご迷惑でしかないこととわかっています。ですが」


「ああ、迷惑だ。手に入れたところで向こう数年は赤字にしかならない狭い領地を買い、領地が広がることで諸侯に無駄に警戒され。何ひとつ私にメリットがないというのに、それでも五億を払い王家に頭を下げてシルドランを買えというのか。領地が隣接していてガーランドが豊かだからといって図々しいにもほどがある」


 俺は立ち上がり、ビクターの傍までゆっくりと歩いていく。


「いくら妻の出身地であっても、シルドランに何一つ思い入れはない。私が守るべきはシルドランではなくガーランドだ。そもそもお前は私に頼み事ができる立場か?」


 目の前に立っても、ビクターは頭を上げなかった。


「アストリーの屋敷でフローラを助けたのはマリアンだけだったと聞く。お前は何をしていた?」


「……何もしておりません。家令の地位にしがみつくため見て見ぬふりをしておりました」


「そんなお前の頼みが聞き入れられると本気で思っているのか」


「思っておりません。ですが領民を救うには辺境伯様におすがりするしかありません。私はどうなっても構いません。命をお望みでしたらそれも差し出します。ですが、これ以上領内が乱れてしまっては、領民はもう生きてはいけません。どうかお願いです、どうか……!」


「お前の命なぞもらっても何の役にも立たない。フローラが負担に思うだけだ。今、伯爵は」


「伯爵領の屋敷にいます。夫人が王都から戻ってくるのを待っています」


「破産届は?」


「まだ出していません」


「話にならないな。私に救いを求める前にすぐにでも破産届を出させろ。金利分の借金が膨らむだけだ」


「仰る通りでございます」


「話は以上だ。シルドランの屋敷に戻れ」


 ビクターが顔を上げる。

 何かを言いたそうに口を開きかけたが、再度頭を下げた。


「……承知いたしました。お時間をとらせて申し訳ありませんでした」


 ビクターが立ち上がり、静かに出ていく。

 思わずため息が漏れた。


「まさか願いを聞いてやるおつもりですか?」


「執事が口を出すことではないぞ、シリル」


 オウルにたしなめられ、シリルが黙る。

 別にビクター個人の気持ちはどうでもいい。領地経営を丸投げされていた家令がその地位を失い領内が乱れることを危惧してのことだったとしても、フローラを見捨てていたことに変わりはない。

 だが、なんの罪もない領民は哀れに思う。

 領主が無能だという理由で、今までさんざん苦しめられてきたのに今後さらに苦しむことになるのだから。王家の管理下にあるうちは以前よりましかもしれないが、切り売りされればあまりいい結果になるとは思えない。

 だが俺はガーランド辺境伯として自分の領地のことを第一に考えなければならない。ビクターに言ったように、俺が守るべきはガーランドでありシルドランじゃない。

 さて……どうしたものか。

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