第34話 温かい涙


 本当は、動揺していた。

 カイン卿とあんな感じになってしまって、ひどく落ち着かない気持ちになった。

 だから用事もないのにアルフレッド様のお部屋の扉をノックしてしまった。アルフレッド様のお顔が見たくて。

 けれど、アルフレッド様がいつもと違う。

 手を引かれるままに部屋に入ってしまうけれど、なぜかアルフレッド様の様子に漠然とした不安がわいてくる。


「傷は……もう痛まないのか」


「はい、だいぶよくなりました。歩くだけでしたらもう大丈夫そうです」


「そうか……」


 私を気遣うようなことを言いながらも、アルフレッド様はくらい目をしている。

 どうしたのかしら。なぜか緊張してしまう。


「フローラ」


「はい」


 大きな手が、私の頬にそっと当てられる。

 その行動に驚いた。

 アルフレッド様が何を考えているのかわからず、彼の親指が私の頬をするすると撫でても私はただされるがままにじっとしていた。


「君は……美しいな」


「えっ!?」


 唐突にそんなことを言われて、思いきり動揺してしまう。

 アルフレッド様の手が私から離れた。

 そして彼が苦笑する。


「君は美しい。容姿だけでなく、その心も」


「あの……?」


「嫉妬のままに行動するのも、ねて決意をひるがえすのも、子供のやることだ。そんな男では、君の隣に並び立つどころか気持ちを伝える資格すらない」


「……?」


 アルフレッド様は私の目の前で片膝をついた。

 そして私の手を取る。


「ア、アルフレッド様?」


「フローラ、愛している。どうか俺の本当の妻になってください」


 ……えっ。

 今アルフレッド様は、……愛していると言ったの?

 驚きのあまり言葉がとっさに出てこない。


「俺の一方的な都合を押し付けて始まった結婚だ。こんなことを言う資格は俺にはないのかもしれない。だが、俺は君を心から愛している。ずっと君と一緒にいたい。君が許してくれるなら、人生最後の瞬間まで君といたい」


「……っ」


 心臓が、痛いくらいに激しく動いている。

 泣き出してしまいそうだった。


「君の眼も魔力も何も関係ない、君自身が欲しい。今ほかの男が好きでも構わない。どうしても俺を受け入れられないなら、その時はただ君の幸せを考えると約束する。だが、君がもうあきらめてくれと言うまで、俺は何年でも待つ」


 一年で離れなければならないと思っていたから、気持ちを抑えてきた。

 別れがつらくならないよう、好きにならないようにしてきた。

 でも。

 私の心は、とっくにアルフレッド様のものになっていた。


「アルフレッド様」


 彼がひざまずいたまま顔をあげる。

 その瞳は不安に揺れているようだった。


「……私も愛しています」


 彼の目が大きく見開かれる。

 その深い緑色を、とてもきれいだと思った。


「え、あ、いや……本当に?」


 あまりに予想外な返答に首を傾げる。

 ロマンチックな雰囲気がどこかに飛んで行ってしまったようだった。


「なぜお疑いに?」


 アルフレッド様が立ち上がる。


「いや、その……。君はカインを好きなのではないかと」


「いい方だとは思いますが、カイン卿に心が揺れたことはありません」


「だが、先ほど愛していると」


 そこでアルフレッド様がはっと口元を押さえる。

 庭園での会話を聞いていたのだと納得した。けれど。


「アルフレッド様。ずいぶんと誤解するのにちょうどいいところだけをお聞きになっていたのですね」


「ちょうどいいって……」


「ちゃんと前後の会話を聞いてはいらっしゃらなかったでしょう」


「う……はい」


 会話を聞いていたことへの罪悪感や羞恥心からか、アルフレッド様がうつむいた。


「あれは……カイン卿がアルフレッド様を好きなのかと仰ったので、愛していますとお答えしたのです」


「……!」


 アルフレッド様が顔を上げて赤くなる。

 つられて私も赤くなってしまった。


「ですから、カイン卿とは何もありません。私はずっと……アルフレッド様が……」


「信じられない。いや、君を疑うわけじゃなく、こんな……初めて愛した人に愛してもらえるなんて幸運があっていいのかと……」


「アルフレッド様……」


 その言葉に、じわりと胸が熱くなる。


「すまないフローラ、少しだけ待っていてくれ」


「? はい」


 アルフレッド様がテーブルまで歩いて行く。そこにあった白い箱の蓋を開けたように見えた。

 戻ってきたアルフレッド様が手に持っていたのは、美しい花冠だった。

 子供が作るようなものじゃなく、青、紫、黄色の花と葉が複雑に絡み合う、それは見事なものだった。


「とても素敵な花冠ですね」


「恥ずかしながら、俺が作った。君をイメージしながら」


「ええっ!?」


「さすがになんの知識もなく一人でこれを作るのは無理だから、花が美しく咲く場所にラナに一緒に行ってもらって、教えてもらいながら作った」


 ラナの指導はなかなか厳しかったな、とアルフレッド様が苦笑する。


「ずっと考えていた。君に何か贈りたいが、何がいいかと。金で買えるものでも悪くはないが、自分の手で何か作りたいと思っていたんだ。君が俺の誕生日に精一杯できることをしてくれたように」


 アルフレッド様が私の頭に花冠をのせてくれる。


「ああ、美しいな。フローラは花がよく似合う」


「……」


「本当は渡してから告白しようと思っていたが、君が俺を振ったときに罪悪感が増してしまうだろうと」


「……」


「フローラ?」


「ありがとう、ございます、アルフレッド様。本当に……本当にうれしいです」


 ぽた、と両目から雫がこぼれる。

 そのまま涙は流れ続けた。


「フ、フローラ。大丈夫か?」


「はい、大丈夫です。ただ幸せすぎて。怖いくらいに、幸せすぎて」


 幸せでもこんなに涙が出るんですね、と泣きながら笑うと、アルフレッド様が私をそっと抱きしめた。 


「愛しい。女性に対してこんな気持ちになる日がくるとは思っていなかった。俺も幸せすぎて怖いくらいだ」


「アルフレッド様……」


「もっと早くに俺の気持ちを言えば良かった。俺と結婚してからずっと不安だっただろう。本当にすまない」


「いいえ、不安はありませんでした。ただ、アルフレッド様と離れるのを寂しく思っていました」


「……」


「アルフレッド様?」


「愛おしすぎて死にそうだ」


「ふふ、アルフレッド様ったら」


 アルフレッド様が私の髪を優しく撫でる。

 その心地よさに体の力が抜けそうになった。


「そういえば、こうして私を抱きしめていても平気なのですか?」


「ああ、君限定かもしれないが、恐怖感も不快感も少しも感じない。むしろ心地いい」


「よかった、かなり良くなったのですね」


「ほかの女性に対してはわからないが、君に対してはそうだろう。君にだけ触れられればそれでいい」


 アルフレッド様が体を離す。

 もう少しこうしていたかったという思いが頭をかすめて、そんな自分に驚いてまた頬が熱くなった。


「体も本調子ではないのにずっと立たせていてすまなかった。ソファに掛けてくれ」


「はい」


 アルフレッド様が私を支えながらソファにそっと座らせてくれる。

 花冠をいったん箱に収め、彼も隣に座った。


「……そういえば」


「はい」


「蒸し返すようで悪いが……カインは君に対して……」


 私は話を遮るように首を振った。


「カイン卿は忠実な騎士です。今までも、これからも」


 曖昧なこの言葉に、様々な意味をのせて言う。


「そうだな」


 少しの沈黙の後、アルフレッド様がそう言った。

 それ以上カイン卿については聞いてこなかった。


 カイン卿は、やはり団長にはかなわないと苦笑した。

 アルフレッド様のことを、誰よりも努力家で、勇敢で、不器用ではあるけれど優しすぎるほど優しい人だと言っていた。

 敵を恐れず先陣を切り、ときに一介の騎士をかばって怪我をするようなあの方に、最初からかなうはずがありませんでしたと。

 許されざる恋心に溺れてそんなお方に仕えられる幸せを忘れるところだったとつぶやく彼の横顔は寂しそうで、胸が痛んだ。

 けれど、「これからはただの奥様のファンに戻ります。騎士団は奥様のファンであふれかえっていますよ」と片目をつむる彼に、少し笑ってしまった。

 引き際も見事だと思った。


 アルフレッド様が私の肩を優しく抱き寄せる。

 壊れ物を扱うように優しく触れられると、頭がくらくらしてしまうほど心地がいい。

 肩に触れていた手が髪に移って、何度も優しく髪を梳かれる。

 見上げると、目が合った。

 アルフレッド様の顔が少し近づいて、ためらったように止まる。

 私は受け入れの意を示すように目を閉じた。

 大きな手が優しく頬に触れ、柔らかな感触が唇に触れる。緊張と幸福感と羞恥心と心地よさがごちゃ混ぜになって頭の中をぐるぐるしていた。

 唇が離れ、そっと目を開ける。

 私を見つめるアルフレッド様の目が少し熱を帯びている気がして、またドキドキしてしまった。


「愛する女性に口づけるというのは、こんなに幸せな気持ちになるものなんだな」


「私も同じ気持ちです」


「愛している、フローラ。これから少しずつ本当の夫婦になっていこう」


「はい」


 うれしくてうれしくて、笑みと涙が同時にこぼれる。

 濡れた頬をぬぐってくれる手が温かくて、またうれしさでいっぱいになった。

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