第31話 悔恨
砦を通り過ぎて南に向かったインビジブルを追うべく、城に向かって単騎で必死に馬を走らせた。
城が近くなっても雨はまだ降っていなかった。まずい状況だとわかる。
かすかに感じるインビジブルの気配に、やつが街には行っていないことを知りひとまず胸をなでおろした。
騎乗したまま城に入り、戦闘が行われている屋上への階段を馬で駆け上る。
もうすぐ屋上の出入り口というところで、信じられない言葉を聞いた。「奥様!」という、騎士たちの叫び声。
屋上に踊り出ると、雨が降り始めていた。
視界に入ったのは、――倒れ込んでいるフローラ。守るように彼女に覆いかぶさるラナと、その前に立つ剣を手にしたカイン。
そしてそれを目指して上空からすさまじいスピードで降りてくる光る魔獣、インビジブル!
馬を走らせ、剣を抜く。
剣に剣気と氷の魔力をまとわせる。
間に合え――届け!
「カイン下がれ!」
俺が近づいても一直線にフローラに向かうインビジブルのその首を、一振りで叩き落した。
わずかにうごめきながら切り口から凍っていくその体が、青い炎に包まれる。完全に絶命した証拠。
馬から降りてフローラに駆け寄るが、彼女から返事はない。うっすらと開いていた目も閉じてしまう。
必死に名を呼んでも、彼女は反応しなかった。
体中の血が、凍りつくようだった。
それからのことはあまり覚えていない。
自分の指示でフローラを担架で運び医者を呼ばせたようだが、頭がガンガンして自分がどう動いているかもわからなかった。
そして今、ベッドに眠るフローラの傍にいる。
医者の話では、肋骨にヒビが入っているとのことだった。
内臓に損傷はないし頭もひどく打ってはいないようだから命に別状はないはずと聞いても、フローラがいまだに目を覚まさないのが恐ろしくてたまらない。
それでもインビジブルの攻撃を生身で受けてこの程度で済んだというのは奇跡と言えるだろう。
いや、奇跡ではなくフローラが見事なのか。
カインによると、フローラは吹き飛ばされる直前、自分で横に飛んだように見えたという。
魔眼による先読みの能力で、意識的にか無意識にか攻撃と同方向に飛ぶことで威力を殺したのだろう。
まるで戦士だな。森で動物と対峙して磨いた勘ゆえか。
だが、俺はフローラに戦士でいてほしいわけじゃない。
どうしてこんな無茶を……!
顔を覆ったその時、か細い声が俺を呼んだ。
「!! フローラ、気がついたか!」
フローラがうっすらと目を開け、首を動かしてこちらを見る。
「アルフレッド様、お怪我は……ありませんか」
「ああ、俺は怪我なんてしていない。君のほうがひどい怪我をしているじゃないか」
「怪我がなくて、よかった。それから、申し訳……ありません……」
「君が謝ることなんて何もないだろう。今は無理して話さなくていい」
「私の無謀な行動で、騎士たちとラナを危険な目にあわせてしまいました……。どうかラナを責めないでください。私が無理やり言うことを聞かせたのです」
「ラナは無傷だし罰するつもりもない。騎士も今回死んだ者はいないし何も心配しなくていい。インビジブルが街に行くのを防げたのは君のおかげだ。あのまま逃していたら大惨事になっていただろう」
「ですが……」
「以前現れたとき、やつは今回のようにさんざん騎士たちをからかった挙句街や村を襲ったという。その残忍性は異常で、生きながら人を喰らう上……いや、これ以上はやめておこう。とにかく、君のおかげでやつを倒すことができた。それは間違いない」
「ですが、インビジブルの襲撃すら私の……私の目のせいかもしれません。北の砦に行ったとき何か違和感がありましたし、屋上では憎き魔眼とインビジブルが言っていました」
「魔獣がしゃべっただと!? いや、それよりも。万が一君に触発されてインビジブルが目覚めたのだとしても、それは遅かれ早かれ起きたことだ。いずれは倒さねばならない相手だった」
インビジブルがしゃべるというのも驚きだが、憎き魔眼と言っていたということは五十年前に討ち漏らした個体だったということだろう。
倒せたのは本当に良かった。だが。
フローラは、インビジブルが自分を狙うことをわかっていて自ら囮になったということか……!
「襲来の経緯なんてどうでもいいんだ。君はインビジブルが自分を狙うとわかって囮になったんだな」
「……」
「なぜそんな無茶をした? 君は騎士でも戦士でもない。君の功績は素晴らしいが、その華奢な体で魔獣の前に立つなど無謀すぎる」
「申し訳ありません……。でも、私もここを、領民を守りたかったのです。ここは私の天国ですから……」
その言葉に、激しく胸が痛む。
「……っ、天国なんかじゃないだろう。一年でここを追い出すと言ったろくでもない仮初の夫がいるだけのこんなところが。食事も買い与えているものも大したことじゃない、君の命をかけるほどのものじゃない!」
ふふ、とフローラが微笑む。
「食事が美味しいのももちろんですが。私に美味しいものをたくさん食べさせろと仰ったのはアルフレッド様なのでしょう? 私、それを知ったときとても幸せな気持ちになったのです。シリルもラナも騎士の皆さんもとてもよくしてくれます。そんな風に私を気にかけてくださる方がいることが、天国なのです」
彼女の右手をとって、うつむく。
顔を上げてなどいられなかった。
「……何度でも言う。それは君が受けるべき最低限の待遇だ。感謝する必要もない」
「ふふ、困りましたね。でも私はこの場所もここの皆さんも本当に大好きなんです。私でお役に立てるのなら、そうしたかったのです。かえって戦場を混乱させたのではないかと気がかりでしたが、そうではなかったのなら、良かった……」
「……」
「申し訳ありません、少し……また眠くなってきました」
「……ああ。今はゆっくり眠るといい。無理に話させてすまなかった」
「いいえ……」
そのままフローラが目を閉じる。
そして静かに寝息をたてはじめた。
フローラのことを無茶だと思った。
それはその通りだろう。だが、それは俺のせいだ。
ポジティブでたくましいのに、やけに自分に自信がないフローラの内面を、俺は今までどれほど理解しようとしてきたのだろうか。
母君が亡くなって、フローラは実の親に捨てられたも同然の扱いを受けた。
その一方で、愛される妹をずっと見てきた。
そんな中で、彼女はどんな気持ちで生きてきたというのか。
要らない存在のように扱われ、後継者の座も奪われ、心の奥底で求めていたであろう父親の愛が妹に注がれる様を見続けたフローラは、自分自身を大切に思えなくなってしまったのではないだろうか。
そうじゃなければ、いくら彼女が勇敢でも騎士をも翻弄するような魔獣に対し、囮として正面に立つことなどなかったはずだ。
そんな彼女に、俺が与えたものはなんだ。
一年限定の妻という、使い捨てと言わんばかりの立場。
帰る場所もない彼女に、俺は確たるものを何一つ与えてはこなかった。
無駄な恩まで着せてしまった。
俺のやったことは、すべてが中途半端だった。
俺が告白しずっと妻でいてほしいと伝え出来る限り愛を伝えていたとしても、正義感が強く優しい彼女は自分の能力だけが人を救えるとわかればやはり屋上に向かっただろう。
だがインビジブルの対応に協力するにしても、自らの身を平気で囮にするようなことはしなかったかもしれない。囮になるにしても、雨が降るまでの時間稼ぎに徹してもう少し自分の身の安全を考えたかもしれない。
もしあのまま彼女が魔獣にやられていたらと思うと、気が狂いそうになる。
「俺が愚かだった……許してくれフローラ」
握ったままの手の甲に口づける。
俺だけじゃない、シリルもラナも騎士団も、君を慕い大切に思っている。
君はもう、家族に虐げられ居場所を失った令嬢じゃない。皆に慕われ愛される辺境伯夫人なんだ。
どれほど時間がかかっても、君がその事実を実感できるようにしていく。
君が望むもの、望むことをでき得る限りすべてかなえていく。
俺の人生を丸ごと君に捧げる。
だから、元気になってくれ、フローラ。
そして……自分を大切に思ってくれ。
君は皆にとって、いや俺にとって、何物にも代えがたいほど大切な人なのだから。
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