第30話 襲来


 屋上が近づくにつれ、騎士や兵士たちの声が聞こえてくる。

 屋上につながる扉をそっと開けて出入口の陰に隠れながら様子をうかがうと、皆が矢を射る準備をしていた。

 指揮をとっているのはカイン卿。


「間もなくインビジブルがこちらに向かってくるはずだ! この魔獣感知器で接近のタイミングを計る。北側へ向かって矢を射る準備をしておけ! なんとしてもここで食い止める! “雨”の発動までは倒すことよりもここにとどめることを第一に考えろ!」


 まだインビジブルはここに着いていなかったのね。

 間に合ったみたい。

 あとは、私に見えるかどうか……。

 急に飛び出しても混乱させるだけだし、騎士たちに姿を見られると避難しろと言われて強制的に連れて行かれる可能性もあるから、まずは身を隠しておかなきゃ。


「! 感知器に反応があった」


 騎士たちの間に緊張が走る。

 カイン卿の近くにある台座に設置された大きな丸い球体は魔道具のようで、赤い光がゆっくりと点滅してた。

 その点滅が徐々に早くなっていく。場の緊張感が高まっているのがわかる。


「構え!」


 皆が北側に向かって弓を構える。

 ぞわりと、何か不快な気配を感じた。それが徐々に近づいてくる――南側から。

 そちらを見る。氷のように向こう側が透けて見える生物がこちらに向かって飛んでくる!


「射――」


「カイン卿、インビジブルは南側から来ます! みんな伏せて!!」


「!? ……っ、伏せろ!」


 カイン卿が私の声に反応してすかさず号令を出す。

 皆がとっさに姿勢を低くした。

 その上をすさまじい風が通り抜けて、何人かはインビジブルの体に当たったのか鋸壁まで吹き飛ばされた。騎士たちの近くの篝火も倒れる。

 鋸壁の狭間から落ちそうになった騎士もいたけれど、すぐに仲間に引き上げられた。

 出入り口の陰から出て、カイン卿に向かって歩いていく。


「奥様!? いったい……」


「信じてくれてありがとうございます。インビジブルは今少し離れて北側上空で止まっています」


「感知できるのですか!?」


「感知できますし、見えます」


「見える!? いや、今はそんな場合じゃない。城内にお戻りください奥様、危険です!」


「この場で敵が見えるのは私だけです」


「奥様を危険にさらすわけにはいきません!」


「その魔獣感知器は距離のみで方向はわからないのでしょう? もう一つ大がかりな魔道具があるとのことですが」


「インビジブル対策で開発された、魔力に反応して光る雨を降らせることができる道具です。範囲は城の周辺程度ですが」


「それは今どこに? 発動まではどれくらいでしょうか」


「大がかりな装置なので城壁に取り付けてあります。雲を作らなくてはならないので発動までに時間がかかりますが、あと十分ほどで雨が降ってくるかと思います」


「ではその雨が降るまでの間だけでも……」


『魔眼』


「……え?」


 今、何か声が。


「? どうかなさいましたか」


 カイン卿には聞こえなかったの?


『憎キ魔眼』


「……!」


 喋っているのはインビジブル? 魔獣が喋れるというの!?

 しかもほかの人には聞こえていない!

 たどたどしいながらも言葉を操るほど知能が高いという事実に愕然とする。

 先ほど、砦のある北側から現れるはずのインビジブルが南側から現れたのも、感知器に引っかからないくらいまで離れて迂回してきたためかもしれない。

 ただ人のいるところに向かってくるだけじゃない、知能のあるインビジブルが自分を目視できるようになる雨が降ってきた後でも……いいえ雨が降る前でも、いつまでもここに大人しく留まっているとは思えない。

 戦闘力のある騎士たちを避けて、戦う力のない人たちがたくさんいる街へ行ってしまうかもしれない。

 けれど。

 インビジブルは憎き魔眼と言っていた。なら、私を狙ってくるかもしれない。

 囮になれるのなら、インビジブルが街に行くのを防ぐことができる。


「奥様、どうか隠れていてください、お願いです」


「聞けません。インビジブルがいる方向を指示します。そちらに矢を射てください」


「……」


 表情を消したカイン卿が私に向かって手を伸ばす。

 私を強制的に避難させるつもりかもしれない。


「いかなる理由があっても触れるのは許しません」


「!」


「インビジブルがここを通り過ぎれば街に被害が出ます。ここで食い止めなければなりません。雨が降れば引き下がりますから、どうか」


「……」


「! 動きました。上に向かって飛んでいます。さすがに……見えないですね。ですが気配は感じます。準備を」


「っ……北側に向かって構え! それから弓兵以外は奥様を囲むように配置しろ、何があってもお守りするんだ! 奥様にはインビジブルが見える、指示に従え!」


 カイン卿の号令に剣を持った騎士が私を囲み、弓を持った騎士が弓を構える。


「近づいてくる……降りてきます! 十一時の方向……いえ、移動して一時の方向から、近いです!」


て!」


 号令とともに矢の雨が降る。

 けれどインビジブルはそこから急降下し、姿が見えなくなってしまった。


「急降下しました。いくつかはかすったように見えましたが、あまり大きなダメージは与えられていないようです。城の周りをぐるぐる回っています」


 狙いをつけられないよう、常に動いている。やっぱり知能が高い。

 それこそ姿が見えれば騎士たちが直接対応できるのだろうけど、私の指示を聞いてからの攻撃になるから素早いインビジブルの動きについていけていない。

 私は威力が弱めの小さいクロスボウに矢を装填した。手が震える。恐怖を隠し切れない。


「近づいてきました……この屋上の周りを回っています」


 ぐるぐる回っていると気配を捉えづらい。感知だけでは難しい、やはり姿が見えないと。


「構え!」


 気配が、急上昇してくる。

 私はインビジブルの気配がするほうに指を向けた。


「昇ってきます、南東です! ……今です!」


「射て!」


 矢を避けるようにさらに急上昇する。

 やはりいくつかはかすったけれど、ダメージを与えられていないみたい。

 そのまま急降下してきた……私に向かって。


「北東上空、私に向かってきます!」


 兵士たちが矢を射かけるけれど、素早くぐるりと方向を変えて私に突進してきた。

 私が再び指示を出す間もなく、私の横にいた騎士たちがインビジブルの体当たりを受けて壁際まで吹っ飛んだ――カイン卿も。

 私に向き直ったインビジブルに向けてクロスボウの引き金を引く。

 動きを先読みできる能力で首元に矢を当てることができた。その矢を目印にできればと思ったけれど、浅く刺さってポトリと落ちただけだった。


「ぐっ……奥様お逃げください!」


 苦しげにカイン卿が叫ぶ。負傷したのか胸を押さえながら体を引きずるようにこちらに向かってくる。

 インビジブルが再度突進の構えを見せた。

 私も再び矢を装填する。


「私に突進してきます、北西!」


 私が指さす方向に皆がなおも矢を射かける。インビジブルの目標がはっきりしているためか、いくつかは刺さった!

 けれど突進は止まらない。


「伏せて!」


 身を低くする私の横をすり抜け、また近くの騎士が吹き飛ばされる。

 私を狙っているだけでなく、私の周りから人を排除している。その事実にぞっとした。

 刺さっていた矢が突進で外れてしまったので、私ももう一度矢を射る。けれどやっぱり浅い。

 インビジブルがニタリと笑ったような気がした。お前の攻撃など効かないと。


「奥様……っ」


 カイン卿が必死に私に近づいてくる。

 けれど、私は騎士たちから距離をとるように下がった。騎士が再度私を囲もうとするけれど、考えがあるからとそれを止めた。

 鋸壁の上に鳥のようにとまっているインビジブルが私を見る。大きい……翼や尾を除いて、頭と胴体だけで三メートルくらいかしら。

 雨は、まだ降ってはこない。

 インビジブルが翼を羽ばたかせて空中に浮く。

 私に向かってくることはもうわかっていた。私は腰の後ろの矢を握る。

 ――来る!


「ラナ!」


 出入口の陰にずっと隠れていた彼女の名を呼ぶ。

 ラナが私に向かって威力が大きい方のクロスボウを投げた。すでに弦が張ってあるそれに矢を装填し、――引き金を引く!


 ギエエェェェエエッ


 インビジブルの叫び声が響き渡る。

 私の射た矢は、インビジブルの右目を深々と突き刺していた。


 インビジブルが素早く背を向けた、と思った瞬間、脇腹にすさまじい衝撃を感じた。

 浮遊感ののち、床に叩きつけられる衝撃。

 声も上げられなかった。

 奥様、と人々が叫ぶ。どうやら尾の一撃を受けてしまったみたい。

 もう一度、インビジブルの叫び声。かすむ目で見ると、鼻先にも矢が刺さっていた。――カイン卿、かしら。さすがね。

 そこからさらに刺さったままの矢めがけて騎士が射かけるけれど、インビジブルは矢が刺さったまま素早く上空に逃げてしまった。折れた矢が空からポトポトと落ちてくる。目印になる矢を抜かれてしまった……? 五十年前の敗因について学習している。やっぱり知能が高いのね……。

 ああ、だめ。頭がくらくらして世界が回る。耳鳴りがひどくなってきた。体中が痛くてもう動けない。

 頬に冷たい水の感触。やっと雨が降ってくれたのかしら。

 温かい何かが私に覆いかぶさる。……ラナ? だめ、危ないわ。逃げて。インビジブルが近づいてくる。

 重い瞼を無理やり開けると、私に覆いかぶさるラナと、かばうように私の前に立つカイン卿が見えた。

 何か音が近づいてくるけれど、耳鳴りがひどくてよく聞こえない。……蹄の音?


「――ン、――がれ!」


 この、声は。

 目の前に大きな黒い影が飛び出してくる。

 青白く光る刃がきらめいて、インビジブルの首がずるりと落ちた。

 ――アルフレッド様。

 青い炎が彼の前で燃え上がる。魔獣が死んだ時の炎? アルフレッド様がとどめをさしてくださったの……。

 アルフレッド様が馬から降り、剣を放り投げてこちらに来る。

 私の傍に膝をついて、蒼白な顔で私の名を呼ぶ。少し耳が聞こえるようになってきたわ。

 ふふ、アルフレッド様ったらどうして光っているのかしら。あ、私も光っているわ。魔力に反応する雨のせいね。

 きらきらしたアルフレッド様を見ていたいのだけれど、息をするのも苦しくて、とても眠いんです。

 だからそんなに私の名を呼ばないでください、アルフレッド様。

 少しだけ……眠らせてくださいませ。

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