第29話 魔眼


 ゴーン、ゴーンという重苦しい鐘の音が響き渡って、驚いてソファから立ち上がった。


「何……?」


 このお城に来て今までこんな音を聞いたことがない。

 ということは、緊急事態を知らせるもの?

 そういえば避難指示の鐘が鳴れば街の人たちが避難すると聞いた。

 窓の外を見ると、いつもよりかがり火が多く焚かれているようだった。人々の慌てているような声もかすかに聞こえてくる。

 一体何があったの? アルフレッド様はご無事なの?

 不安が胸を締め付ける。


「奥様、失礼します!」


 ラナがノックもなしに慌てて駆け込んでくる。


「あっ、大変失礼いたしました」


「いいのよ、何があったの」


 いつも冷静だったラナがひどく焦っている。

 大変な事態が起こっているのだと察した。


「厄介な魔獣が現れました。北の砦を過ぎてこちらに向かっているそうです。上階は危険なので、地下に避難していただきます。まずは万が一に備えて動きやすい服装にお着替えを」


 ラナに手伝ってもらって、一番動きやすい狩りのときの服装に着替える。靴も走りやすいものに履き替えた。

 ラナとともに部屋を出て、速足で廊下を歩く。

 ほかの使用人たちもあわただしく動いていた。


「厄介な魔獣とは?」


 歩きながらラナに問う。


「……インビジブルというワイバーンの変異種です。五十年前にも現れ、大きな被害を出しました」


 アルフレッド様が以前屋上で仰っていた魔獣よね?

 当時の辺境伯と騎士団に討ち取られたという。

 その時と同じ個体なの?


「インビジブルは強いの?」


「強さはワイバーンとさほど変わらないらしいですが、姿が……見えないのです。知能はワイバーンよりも各段に上だと言われています」


「姿が見えない!?」


 そんな魔獣を相手にどう戦うというの?

 しかもワイバーンの変異種なら、空も飛べるはず。


「以前はアルフレッド様の曽祖父にあたられる方が倒したのよね?」


「はい。当時の辺境伯が射た矢が当たり、その刺さったままの矢をめがけて騎士たちが一斉射撃して倒したと言われています。ただ矢が大量に刺さったまま逃げてしまい、魔石は回収できなかったそうです」


「死んでいなかったということかしら」


「どうなのでしょう……」


 地下に着き、ラナが武器庫の扉を開ける。


「奥様、ご不便をおかけして申し訳ありませんがこの武器庫でしばしお過ごしください。奥には部屋もあります。ここが一番頑丈に作られているのです」


「わかったわ」


 武器庫の奥に進んで扉を開けると、あまり広くないながらも部屋があった。

 天蓋付きの大きなベッドが一つ、普通のベッドが一つ。ソファとテーブルもある。

 もしかして辺境伯夫人や子供の避難部屋なのかしら。

 ソファに座り、息を吐く。

 ……胸が苦しい。

 北の砦が突破されたとのことだけれど、アルフレッド様はご無事なのかしら。騎士たちは? 心配でたまらない。

 それにきっとここももうすぐ戦場になる。見えない敵を相手にどう戦うの?


 ――見えない敵。


 その見えない敵を、当時の辺境伯が射たと言っていた。

 当時の辺境伯は……魔眼を持っていたはず。私の祝福の目と同じ目。

 ううん、同じと思っているだけで本当は違うのかもしれない。射ることができたのは偶然もしくは別の要因があったのかもしれない。

 けれど。


「ラナ、屋上に行くわ」


「奥様!? いけません、危険です!」


「私にできることがあるかもしれない。役に立たないようなら無駄に場を乱さずおとなしく帰ってくるから」


「奥様に何かあったらご主人様に顔向けができません。どうかここでお待ちください」


「ラナ」


 立ち上がって、ラナとしっかりと目を合わせる。


「私にはインビジブルが見えるかもしれないの」


「え……?」


「もしインビジブルが見えなければ無茶せずここに帰ってくる。いきなり戦場に飛び出すような真似もしない。約束するわ」


「いけません。インビジブル対策の魔道具もあるはずです。奥様が出なくても騎士たちがなんとかします」


「その魔道具はどういったものなの?」


「魔力に反応して光る雨を降らせるのだとか……詳しくは存じませんが」


 天井付近にある小さな窓を見上げるけれど、雨が降っている様子がない。


「雨を降らせるなんてかなり大がかりな装置になるはずよね。発動にも時間がかかるはず。まだ発動していないようだわ」


「……」


 ラナが黙り込む。


「お願い……その魔道具が発動すれば引き下がるし、ひとまず様子を見るだけよ。どうか止めないで。止めるというのならラナを縛り上げてでも行くわ」


 ベッドの天蓋から垂れているカーテンをとめていた紐を手に取る。

 今まで見た限り、ラナが戦闘に関する訓練を受けていた様子はない。

 私にも格闘術の心得はないけれど、普通の女性になら負けないはず。


「……どうしても行かれるのですか」


「ええ」


「わかりました。お一人で向かわれるくらいなら、どうか私もお連れください。足手まといにはならないようにしますから」


「……わかったわ。ならラナは今から言うことをして。決してインビジブルには見つからないようにしてね」


 二人でしばし話し合い、武器庫から出る。クロスボウはラナが麻袋に入れて抱えた。

 武器庫の出入り口に立っていた騎士には、忘れ物を取ってくるとだけ告げた。ラナが一緒じゃなかったら止められていたかもしれない。

 心臓が激しく脈打っているのは、走っているせいだけじゃない。

 本当は、怖い。魔獣なんて恐ろしい。

 私一人でどうにかできるなんて思っていない。手柄なんてどうでもいい。だけど、もしも私にしかできないことがあるなら。

 私もここを、皆を守りたい。

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