第32話 居場所


「……。あの、アルフレッド様」


「なんだ」


「じっと見られていると、食べづらくて……」


 ヒビが入ったのだという肋骨が痛くて、トイレ以外はずっとベッドにいる。

 だからベッドの上での食事も仕方がないと思うのだけれど。

 どうして、アルフレッド様がベッドの横で私の食事の様子をじっと見ているのかしら。


「ああ、すまない。ただ、君から目を離すのが怖くて」


「私は今は動けませんし無茶はしません。胸が痛いだけで、具合も悪くはありませんし」


「そうだな……とはいえ心配なんだ」


 アルフレッド様は私が食べ終わるのを見届けると、濡れたタオルで手を拭いてからりんごを切り始めた。

 りんごはガーランド辺境伯領の特産品で、秋から冬にかけて収穫したものを魔道具で一定の温度と湿度を保ちながら保存しているのだとか。

 一年中出荷できるから、りんごが出回らない時期は特に高値で売れるということだった。

 その貴重なりんごが乗ったお皿を私のベッドのテーブルの上に置いてくれたのだけれど。

 ……ウサギ?

 皮がウサギの耳のように残してあって、とてもかわいらしい仕上がりになっている。


「まあかわいらしい。アルフレッド様は器用なのですね、ふふっ、……あっ痛っ……」


「す、すまない笑わせてしまって」


「大丈夫です。うれしいです」


 かわいいりんごにフォークをさして口元に運ぶ。

 シャクシャクとした食感と口の中に広がる果汁の美味しさに幸せな気持ちになる。

 甘味と酸味のバランスがちょうどいいわ。

 そのまま食べても美味しいけれど、アップルパイにしてもきっととても美味しいわね。

 そんなことを考えていると、今食べたばかりだというのにちいさくお腹が鳴った。

 私の胃ってどうなっているのかしら。

 

「しかし食べづらそうだな。俺が食べさせようか」


 りんごが口から飛び出しそうになる。


「い、いえ! 結構です」

 

 食べさせるっていわゆる“あーん”よね。

 そんなの恥ずかしすぎる。

 昨日からはラナの手すら借りずに食べているのに。


「手伝いが必要なら言ってくれ。食べたいものがあればそれも用意する」


「ありがとうございます」


 アルフレッド様はこくりとうなずくと、書類に目を通し始めた。

 私が再び目覚めてから、アルフレッド様はこの部屋で多くの時間を過ごすようになった。

 さすがにトイレに連れて行ってくれるのはラナがやってくれるし、体を拭いたりするときは席を外すけれど。

 心配をかけてしまったし、私に罪悪感を抱かせてしまったのかもしれない。

 私が勝手にやったことなのに、申し訳ないわ。

 それでも。

 アルフレッド様がここにいてくださると、なんだか安心できる。


「フローラ」


「はい」


「君がもう少しだけ元気になったら、あの日の話の続きをさせてくれないか? ……大事な話なんだ」


 あの日というと、インビジブルの襲来があった日よね。

 たしかにあのとき、アルフレッド様は何かを言いかけていた。


「わかりました」


「ありがとう。今は傷を治すことに専念してくれ」


「はい。ですが、気になります。悪いお話ですか?」


「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、なんというか……場合によっては君の心の負担になるかもしれない。だから君が心も体もつらい状態にならないよう、もう少し元気になるまで待とう思ったんだ」


「そうなのですね」


「ああ。だが今、一つだけ言っておきたい」


「? はい」


「君は皆にとってとても大切な存在で、皆も俺も君さえ嫌じゃなければずっとここにいてほしいと心から思っている。もちろん君の意思は尊重するが」


「えっ……」


 ドキリと心臓がはねる。

 ずっとここにいて欲しいと、そう仰ったの? 皆がそれを望んでいると。

 だって……私は一年でここを去ると、ずっとそう思ってきたのに。


「インビジブルのことは関係ない。……いや、あの件で騎士団の連中は今まで以上に、それこそ女神のごとく君を崇めるようになったが」


 女神って。

 思わず赤くなってしまう。


「怪我をした君への罪悪感とか、君の能力が必要とか、そういうことじゃないんだ。俺もただ君に……ずっとここにいてほしいと……」


 アルフレッド様が赤くなる。

 その表情にますます心拍数が上がった。

 そんな顔でそんなことを言われてしまうと、……ありえないと思いながらも期待してしまう。

 アルフレッド様がわざとらしく咳払いをした。


「とにかく。君さえ嫌じゃなければ、ここを君の居場所としてくれたらうれしい。答えは今すぐ出さなくてもいいから」


「はい……」


 思わず泣きそうになってしまう。

 ずっとここにいてほしいと言ってもらえるなんて。

 みんなが私がここにいることを望んでくれているということが、何よりもうれしかった。




 療養の日々が二週間以上続いて、体の痛みも和らいできた。

 くしゃみをすると激痛が走っていたけれどそれもなくなりつつあって、歩くことに不自由を感じなくなってきた。

 まだ寝返りは少し痛いけれど、ベッドにいる時間は日に日に短くなっていった。昨日は念願のお風呂にもようやく入れたし。

 今日は珍しくアルフレッド様が私の部屋にいない。ラナも。

 ラナに付き合ってもらう用事があるからと仰っていて、朝食以降二人の姿も見ていない。

 そのことを寂しく感じる自分に気づいて苦笑する。

 つい数か月前までは、小屋に一人で住んでいたというのに。やっぱり贅沢には慣れるのが早いのね、人間って。

 今日はラナの代わりに若いメイドのイリスがあれこれ世話を焼いてくれている。

 そのイリスを誘って、庭園を散歩することにした。

 そろそろ歩かないと、体力が落ちてしまいそうなんだもの。

 念のためゆっくりと歩くけれど、特に痛みを感じることもなくほっとする。


「奥様! もう動かれて大丈夫なのですか?」


 廊下に出て少し歩いたところで、警護の騎士が声をかけてくる。


「ええ、大丈夫。庭園まで散歩をしてくるだけです。心配してくれてありがとう。それから……あなたはあの日屋上にいた人よね? あの時は私が無謀なことをしてごめんなさい」


「とんでもない! 奥様がいらっしゃらなければ最初の突進で大きな被害が出ていたでしょう。奥様は勝利の女神です!」


「そ、そこまで……。とにかくご迷惑でなかったのなら良かったわ」


「はい、もちろんです! 私たち騎士は終生奥様に忠誠を誓います!」


 終生だなんて。

 うれしい反面、本当に私がずっとここにいていいのかしら? という気持ちもよぎる。


「引き止めて申し訳ありませんでした。行ってらっしゃいませ」


「ええ、行ってきます」


 その後も何度か警護の騎士とすれ違ったけれど、反応が恐ろしいほど好意的で戸惑った。


 久しぶりの外の空気はとても美味しく感じられた。

 目に映る美しい花々に心が癒される。

 ここまで歩いてきただけなのに少し疲れてしまって、庭園のベンチに座った。

 そのまましばらく日の光を浴びてぼーっとする。ふう、気持ちがいい。

 ふと気配を感じてそちらに顔を向けると、訓練所のほうから近づいてくる人影を見つけた。

 ――カイン卿だわ。

 彼は私の前に来ると、すっと頭を下げた。

 イリスはそんなカイン卿をポ~ッと見つめている。ふふ、素敵な方だものね。


「奥様。体調はいかがでしょうか」


「ええ、だいぶいいわ。カイン卿のお怪我は?」


「実は私も肋骨にヒビが入りました」


「まあ、そうだったのですか。私を守ったせいで申し訳ありません」


「とんでもない! 街を守ることができたのは奥様のご活躍によるものです。こちらこそ謝罪をしに参ったのです」


「謝罪?」


 カイン卿がその場に片膝をつく。


「お守りできず、このような怪我をさせてしまい申し訳ありませんでした」


 カイン卿が深々と頭を下げる。


「どうか頭を上げてください。しかも怪我をされているのですから、そのように膝をついてはいけません。私が勝手に乱入しただけなのです、カイン卿は何も悪くありません」


「いいえ、これは私の失態です」


「どうかそのようなことを仰らないでください。困ってしまいます。戦場に出る以上男も女も関係ありません。謝罪されると私も罪悪感にさいなまれますから、どうか」


 カイン卿が顔を上げる。


「承知しました。奥様を困らせたいわけではないので、謝罪はこれまでにしておきます」


「ええ」


 ほっと胸をなでおろす。


「しかし……奥様は見事な腕ですね。神話に出てくる弓の女神のようでした」


「いえそんな。褒めすぎです」


 また女神と言われてしまったわ、ううっ。

 褒められすぎるとおしりのあたりがムズムズする。


「本心です。それに、……その目……」


 魔眼のことを言いたいのね。

 カイン卿がイリスをちらりと振り返る。彼女は真っ赤になった。


「君、あちらに咲いているアレインの花をとってきてくれないか? 枕元に置いておくと安眠の効果があるんだ。いくつかを束にして花瓶に入れて飾っておくと奥様の安眠に役立つと思う」


「は、はい、承知しました」


 イリスが私から離れてアレインの花のところに行く。

 少し離れてはいるけれど姿が見える距離だし、相手はカイン卿だから何の心配もしていないのだけれど、ラナなら私から離れないだろうなとなんとなく思った。


「私に何かお話が?」


「さすがは奥様です。鋭くていらっしゃる」


「なんとなくそう思っただけです」


 私から少しだけ離れて立つカイン卿が、難しい表情になる。

 そして一歩私に近づいた。


「……以前、妙な噂を耳にしました」


「噂、ですか」


「……。団長と奥様は、書類上だけの結婚ではないかと……」


「!」


 思わずカイン卿を見上げる。

 いったいどこからそんな話が。


「噂はそこまででしたが。私は団長が法律の撤廃に尽力していることを知っています。だから、書類上の結婚だとしたら、期限も決まっているのではないかと考えました」


「副団長殿が気にされるようなお話ではありません」


 あえて副団長殿と呼ぶ。

 騎士団の副団長にとって、辺境伯夫妻の結婚の内情は関係のない話。

 少し厳しい言い方だけれど、そういう意味を込めて言った。


「ふ、優しげなのに厳しい面もあるのですね。そういうところも尊敬いたします。ですが、結婚に関しては事実のようですね。隠し事はお上手ではないようです」


「……」


「仰る通り私は騎士団の副団長に過ぎません。そして団長……アルフレッド様はお仕えすべきあるじです。心から尊敬しています。本来なら、その奥様にこんなことを言うのは許されざることです。ですが、……噂を聞いて欲が出てしまったのです。もし噂が本当ならと。そしてあの屋上で、私は完全に」


「カイン卿」


 彼の言葉を遮る。

 なんとなく彼の言いたいことがわかってしまった。


「どうか聞いてください奥様。もし……期限が決まっていて、その後……」


「カイン卿。これ以上はいけません」


 彼を真っすぐに見上げる。

 苦しさと切実さが入り混じった表情をしていて、少し胸が痛んだ。


「あなたは立派な騎士です、カイン卿。どうかこれからもアルフレッド様のお側でご活躍ください」


「……やはり騎士道に背くようなことをこそこそとするものではないですね」


 カイン卿が苦笑いする。

 ささやくような声は、ひどく聞き取りづらかった。


「本当は自分に可能性がないと気づいていました。ですが、一度抱いた夢を……欲望を、そのままなかったことにできませんでした。お心を煩わせて申し訳ありませんでした」


「……」


「どうか今の話はお忘れください。これからは騎士としての本分を忘れるような真似はいたしません」


「……ええ」


「奥様。私が前に進むために、最後に一つだけお聞かせ願えますか?」


 風が吹く。

 カイン卿の吐息のような声をかき消すように。

 私は、彼の問いに笑みを浮かべた。

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